第六章「征伐の行方」

取り引き(1)

 入室を許可され、部屋に入ったゼルの足取りは重かった。それがゼル自身の思い込みではないことを、フェルティアードの探るような顔つきが証明していた。


 変わった予定とやらで、普段より遅い時刻ではあったが、フェルティアードは今までと同じように椅子に座り、広い机を従えている。それが見えただけで、ゼルはなんとか心を落ち着かせることができた。


「ここの会話、外には聞こえないよな」


 開口一番の台詞に、フェルティアードの眉がしかめられた。


「仕事の話に聞き耳を立てるほど、使用人たちは物好きではないが。不安なら人払いをするぞ」


 ゼルとて彼らを疑う気はなかったので、ならいい、とフェルティアードの提案を断り、彼の机に手紙を置いた。


「読んでくれ」


 フェルティアード卿の騎士殿へ、としか書かれていないそれは、すでに封が切られている。フェルティアードが覗き込んだゼルの目は揺れていた。今にも大声で叫び出しそうなのを理性が押さえつけながら、しかしその理性は泣き出さんばかりの激情に囚われているかのようだ。


 そんなゼルに声をかけることもなく、フェルティアードは手紙を取り上げ、文面に目を走らせる。その彼の目がにわかに険しくなった。


「その忠告通りにしようかと思ったけど。あんたなら黙っててくれるだろ」

「無論だ。よく報告したな、ゼレセアン」


 はあ、と溜め込んだ息を吐く。これまで二度も、情報伝達を渋ったり、勝手な行動をしてしまっているのだ。三度目ともなれば、フェルティアードも黙ってはいまい。手紙の内容はともかく、この行動自体は評価をもらえたようだ。


「あんたも言いたいことがあると思うけど、まずはおれの意見を言わせてくれ。いいか」


 明らかな脅迫を共有したところで、ゼルは進言した。フェルティアードは厳しい表情を変えぬまま、聞こう、とだけ口にした。


「こうなったのはおれのせいだ。できれば、おれだけで片をつけたい。でも、無事で済むとは思えない。おれよりも、ケイトのほうがだ。来れば彼女を解放するなんて、どこにも書いてない」

「そこまで読めれば、まずは及第点だな。それで?」


 ゼルは奥歯を噛み締めた。羞恥の念が、顔を熱くさせていくのを振り切るように、彼は声をあげた。


「あんたの力を少しでも借りたい。いや、知恵だけでもいい。調子のいいことを言うなって思うのはわかってる。でも、あんたの言うように、おれはまだ未熟者だ。だから――」

「言いたいことはわかった」


 主張は半ばで遮られたが、ゼルは嫌な顔ひとつせず、割り込んできたフェルティアードの言葉の続きを待った。しかし残念ながら、それは期待とは逆のものであった。


「自己の見立ては的確だ。確かにおまえひとりの力では、とても敵うものではない。だが、今すぐ助力を約束することはできん」


 ゼルは、立っていた床が歪んだような錯覚を覚えた。


「まず、警備隊は動かせない。彼らは荒事を収めるのに長けてはいるが、隠密行動は不得手だ。これまでと違う動きを見せれば、やつらはすぐ勘づく。わたしが何かしらの案をおまえに預けるのもだめだ。この短時間のうちに、そんな妙案を準備してみろ。やつらは確実にわたしの関与を疑うだろう。疑われた時点で道は絶たれる」


 感情の窺えない、淡々とした声だった。それは何もおかしいところはなく、彼という人間であればいたって普通のことだった。その話題が、王都にいた時と同じように、ゼルや新兵たちに対してのものであれば。


 そんなことを言えた立場か、と己を叱りつつ、ゼルは叫ぶのを止められなかった。


「この街の人が危ないんだぞ。もちろん原因はおれさ、おれがまいた種だ。だけど、それじゃあんたはこのことを傍観するだけだってのか? あんたのことを慕ってる人が手にかけられるかもしれないってのに、何もせずに?」


 この薄情さが、フェルティアードの正体だというのか。親しまれるための仮面をつけて、その奥底ではたかが下級の領民と、相手にもしていなかったのか。自分はともかく、まるで街の人々が裏切られているようで、ゼルはさっきとは別の熱を感じていた。


 フェルティアードは、ゼルの問いには答えずに、静かに席を立った。


「ゼレセアン」


 ゼルよりも頭ひとつ分以上高いところから、琥珀色の目がゼルを射抜く。


「わたしはベレンズ王国貴族位、第一階位ジルデリオンを拝命した人間だ。そして先代のフェルティアード卿からこの街と領地、それらを治める資格を継いだ領主だ。我らが貴族たり得るのは民があってこそ。彼らをおびやかす者どもに、このわたしが、甘んじて勝手を許すと?」


 ――これは、逆鱗に触れたな。ゼルは熱が氷塊に転じたのを感じた。不遜ともいえる態度をとるのが常になっていたがゆえに、当たり前のことが頭から消えていたのだ。


 彼は広い領地を有し、戦火をくぐり抜け、国王に数多の功績を認められた大貴族ではないか。民を蔑むような貴族が、最高位に座する?


「答えは否だ。わたしがテルデにいる今、やつらを逃しなどするものか」


 彼の言葉は、言葉そのものが意志を持ち、人の形を取り、その意味するところを実現させる。そんな突拍子もない想像をしてしまうほど、揺るぎのない宣言だった。


 けれど、とゼルはうめきたくなった。指定の日時は目の前だ。それまでに、フェルティアードは一体どんな手を考えるというのだろう。


「ゼレセアン、おまえは万全の態勢を整えろ。キャスリーン・オルクを助けたいのだろう」

「当たり前だ」

「ならば、突破口を見逃すな。わずかな隙を突け、躊躇いは無用だ。使える物はすべて使え。何が起ころうとも、今言ったことを忘れるな」


 この男は、何かを企てている。それは間違いなかった。だが成功させるには、ひどい矛盾だが、自分がそれを知ってはいけないのだ。


「……わかった」


 ゼルは、絞り出すようにそう言った。フェルティアードが、領民であるケイトの命を最優先にする可能性は、大いにある。そのために、自分に犠牲を強いるかもしれない。いや、それよりも前に、賊が自分を殺しにかかるかもしれない。


 最悪の成り行きばかりが頭を駆け巡る。かげったゼルの表情に何かを察したのか、フェルティアードが怪訝そうな目を向けてきた。


「おまえ、馬鹿なことを考えているんじゃないだろうな。わたしは使い捨ての騎士を持った覚えはないぞ」


 ゼルが目を丸くした時には、フェルティアードは机上の文具を片づけ始めていた。そして、戻って早く休め、と言ったのが会話の終わりの合図だったらしく、彼はそれ以降何も話さなくなったので、ゼルは書斎をあとにしたのだった。

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