揺らう矜持(2)

 シトーレとの巡回に戻ってすぐ、ゼルたちは昼食を取ることになった。そこでゼルはシトーレに、ケイトと何があったのかをすべて話すことにした。

 ゼルから一部始終を聞いたシトーレは、眉をひそめ、指で顎をさすりながら、ケイトが立ち去ったことについて不思議がった。


「あの子は、融通のきかない性格ではありません。そこまで話されたのであれば、ゼレセアン様からのお返事を待つと思うのですが。念のため、ゼレセアン様が話したがっていることを、隊員たちにも伝えておきましょう」


 明日になればまた会えるのだから大丈夫だ、とゼルは遠慮したが、シトーレは「そうだとしても、そこまでしている、と知らせることがいいのですよ。ゼレセアン様の真摯しんしさが伝わります」と言って、その場で隊員に連絡させていた。


 無理に混ぜてもらったこともあり、丸一日を警備隊として過ごすことはできなかったので、ゼルは昼食を終え一時間経った頃には、屋敷に戻ってきていた。わずかな休憩を挟んで、フェルティアードを相手にした剣の訓練が始まる。本当は今日ではなかったのだが、フェルティアードの予定が変わった影響を受けてのことだった。


 彼を前にして剣を交えているというのに、ゼルはケイトのことばかり思い出していた。こうして、少しでも一人前の騎士になろうと研鑽を積むだけで、彼女が持ったかもしれない誤解は解けるだろうか。どうすれば、あの時は自然と助けに走っていたんだと、わかってもらえるんだろうか。


 ゼルは、ここまで雑念だらけのまま稽古に出たことがなかったので、フェルティアードは、ゼルがいつもの調子でないことをとっくに見抜いていたようだった。急に剣を振るう腕を止めると、疲れているのなら意味はない、やめるぞ、と言い放った。もちろんねぎらいの色はなく、切り捨てるような言い方だった。


 疲れなどなかったのだが、フェルティアードにそう見られているならちょうどいい。ゼルは、やっぱりもう少し休ませてくれ、と申し出て、フェルティアードは渋ることもなくそれを許した。そうなることがわかっていたかのように。


 帰着時と同じように、自室にエティールはいなかった。フェルティアードが手紙を出すのに連れて行ったのだろう。個人的なつき合いをしている人は少なそうだが、ジルデリオンという肩書きの男だ、いやでもやり取りが必要なのかもしれない。


 小さな町の宿のものと同じくらい、雑な扱いができるようになった寝台に、倒れるように背を預ける。明日、ケイトになんて話そうか。どんな言い回しならわかってくれるだろうか。そう考えを巡らせているうちに眠ってしまったらしい。扉が叩かれる音が何度も聞こえて、ゼルはそれが自分の部屋のものだと気づき飛び起きた。


 夕食には早い時間だったので、なんの呼び出しかと出てみれば、ゼル宛の手紙を預かった、というものだった。しかし、表には「フェルティアード卿の騎士殿へ」としか書かれておらず、差出人の名もない。使用人の話によると、人づてに屋敷まで持ってこられたらしく、どんな人物からだったのかはわからないという。


 届けてくれた使用人を見送り、封を開く。わざわざ手紙まで出してくれる間柄になった人がいただろうか。アレンが文字を書けたかは聞いていないし、せいぜいマルドのご主人様くらいか、などと考えながら、その一行目に目を走らせる。


 ゼルの目が凍りついたように動きを止めた。数行しかないその手紙は、彼の呼吸以外の、すべての動きを縫い止めていた。





 根城にしている家の戸が叩かれ、レドは反射的に腰に吊った剣に手をやった。あらかじめ決めている間隔の音でないことから、そこにいるのが仲間でないのがわかる。であれば“使い”でしかないはずだが、ここの警備隊は思っていたより仕事ができる。用心するに越したことはない。


 警備隊の制服か、あるいは住民だったとしても、ひとりだったなら胸をひと突きにしてやる。額に巻いた青紫の布切れを、軽く締め直す。今までは向こうの牽制につき合っていたが、仲間を取られた以上続ける義理などない。不幸にも訪問先を間違えた住民のひとりくらいなど。


 音を聞きつけた仲間も警戒する中、レドは静かに戸を引き開けた。その隙間、頭の高さあたりから腕が伸びてきたので、レドはぎょっとしたが、その手首にあるものを見て、安堵した。


「早いな。何の連絡だ」


 柄にかけた手はそのままに戸を開け放って、レドは相手の全身を見た。昼間来た“使い”でないのは、羽飾りをつける位置と、その長さが異なっていたことからわかっている。


「警備隊の編成が変わったようでして。細かくはないが、使えるでしょう」


 伸ばした腕を支えに、戸のふちに寄りかかるような姿勢のまま、新しい“使い”はふところから紙切れを取り出した。その瞬間だけ、身体をすっぽり覆う頭巾つきの外套の内側が覗いた。外套こそ汚らしいが、中は上等なのを隠しきれていない。目深に下ろした頭巾で顔を隠しているところを見るに、今度の“使い”は、大元に近いところから来ているようだ。


 だからと言って、レドはその頭巾を剥ぎ取る気はなかった。この場でこの男をふんじばり、誰が主人なのかを吐かせるのは簡単だ。だが、それが何になる? 賊自身が、賊を利用する高位身分の何者かを告発したところで、自ら首を差し出すようなものだ。あとさきを考えない、あの騎士のなりたてとは違う。


「変わったのは知ってる。だがまあ、ないよりはましだ。いただこう」


 指先で紙を取りあげ、折りたたまれていたそれを広げ始めると、“使い”はうしろ手に戸を閉め、小屋の中を見回した。天井に吊られた灯りは、広くもないこの一室を十分に照らしている。そこに、レドを含めて五人もの男が詰めているさまは、彼の目には特異に映ったのだろう。


「会議中でな。明日、事を起こす」


 レドがそう言うと、“使い”はそれは急な、と意外そうだ。


「時間を与えるのは、考える余裕を与えるのと同じだ。余裕がないほど、人は正常な判断ができなくなる」

「相手は、例の騎士で?」

「当然」

「おびき出すと? 自ら罠に飛び込むほど馬鹿ではないと思いますが」

「来るさ、必ずな。ひとでなしなら別だが」


 レドが仲間のひとりに目で合図をすると、その男は席を立ち、ひとつしかない扉の錠を開けた。レドはそこに“使い”を呼び、中を見せる。


 一本の蝋燭が、椅子に腰かけていた年若い女の姿を浮かび上がらせていた。しかし、彼女の口は布で塞がれ、開かれた目は、遠目でも震えているのがわかる。賊たちにくしを使う習慣はないと見え、長い黒髪はひどく乱れたままだ。背に回されて見えない手は、縛りつけられでもしているのだろう。


 これを見た“使い”は興味をそそられたように、ほう、と声を漏らした。


「女ですか。見事な手際だ」

「専属の世話係らしい。極上の餌だ、食いつかないわけがない」


 救いを求めるような女の視線を遮るように、レドは戸を閉めた。


「女を人質にとれば、手出しができない騎士を思うままにいたぶれるというわけですね」

「利き手を潰しちまえば、やつには騎士どころか兵士としての価値もなくなる」

「しかし、未熟で貧弱だとしても、あのフェルティアードが選んだ騎士。それを再起不能にすれば、きみたちを全力で消しにくる可能性も……」


 普通に考えればその通りだ。貴族の所有物にも等しい騎士を、悪意を持って傷つける者があれば、十分に処罰の対象になる。強い権力を持つ貴族なら、彼ら自身が持つ人脈も総動員し、犯人を吊し上げることもできる。


「はっ、隠居も間近の大貴族様が、そこまでするかよ。急に騎士をとるなんて、どう考えてもお偉いさん特有の気まぐれだ。ひとり潰したところで、どうせまた代わりの騎士をとるだろうよ」


 だが、レドの予想は違った。ただの一度も騎士をとったことのなかった大貴族が、勇退も囁かれる歳になって騎士を据えた。レドにはこれが、権力は使えるだけ使っておこう、という、いかにも貴族らしい偉ぶったものにしか見えなかったのだ。


“使い”は貴族寄りの人間なのか、レドの推測を聞いて、そういう考えもあるか、とつぶやいた。


「罠の手筈は?」

「手紙を送りつけた。誰にも助けを乞わず、ひとりで指定の場所に来なければ、世話係の女の命はない、とな。なに、おれたちだけで楽しむのももったいない。せっかくのでかい街だ、盛大にやらせてもらうさ」

「おもしろい」


“使い”の唇が弧を描いた。


「おれも見学させてもらいましょう。フェルティアードがどう動くか――いや、が見ものだ」

「見届けるのも指令か?」

「まさか。この計画はたった今知ったんです、おれの個人的な興味ですよ。まあ、万が一の場合は失礼させてもらいますがね」

「いいだろう。邪魔をしないなら勝手にしてくれ。計画は簡単に教えてやる。来な」


 レドは“使い”に背を向け、卓に歩み寄った。その背後で“使い”は、浮かべていた笑みをいびつに噛み殺していた。

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