領主の真性(2)

「あの、ゼレセアン様。お渡ししたいものがあるのですが」


 会話の口火を切ったのは、ケイトのほうだった。空っぽかと思われたかごの中から、彼女の手に収まるほどの包みが取り出される。


「焼き菓子でございます。マルドの飼い主から、あの子を連れてきてくれたお礼にと」

「もしかして、おれを探しにきてくれてた?」

「は、はい。ラヴァエ班長にお聞きしたら、シトーレ様と巡回に出たと教えていただいたので。お声がけしようと思ったのですが、熱心に話し込まれていたので、出直そうと思ったところだったんです」


 包みを受け取ると、ゼルはシトーレの行ったほうを見た。通り過ぎる人の頭や体の隙間から、彼と隊員が話す様子が垣間見える。

 用意周到そうなシトーレにしては、ずいぶんと急な用事だった。もしや彼は、追いついたものの声をかけあぐねていたケイトに気づいていて、わざとふたりだけにしたのでは。


 問いただしてもはぐらかされそうだな、と思いつつ、ゼルは包みの中身をさっそくつまんだ。ひと口かじっただけだが、予想より強い甘味が、口中に広がっていった。


「わざわざありがとう。シトーレさんにもあげていいかい?」

「はい、もちろんですわ。……あの、ゼレセアン様。実はお聞きしたいことがあるのです」

「うん」


 軽い返事をしたことを、ゼルはやり直したくなった。ケイトの表情は、焼き菓子をくれた時とは打って変わって、深刻なものになっていたからだ。


「先ほどのシトーレ様とのお話、少し聞いてしまいまして。その……ゼレセアン様は、フェルティアード様のお人柄を好いておられないと」


 ゼルは息が詰まりそうになった。彼女は、さっき自分がフェルティアードを嫌いだ、と言ったところを、しっかり耳にしていたのだ。彼女がほかの使用人と同じく、下手をすればそれ以上に、フェルティアードに尊敬の念を持っているらしきことは感じていた。よりによってその彼女に、あんな強い言葉を聞かれるなんて。


 ケイトは目を伏せた。完全に、猫探しなど頼んで申し訳ない、と言っていた時の落ち込み方とは違う。ゼルは、どうにかつくろおうと言葉を探したが、ケイトに先を越されてしまった。


わたくし、おふたりは、ゼレセアン様が騎士になられた一件で、信頼し合っているものとばかり思っておりました。だから……」


 途端に、ゼルの脳裏には王都でのフェルティアードの振る舞いと、そのせいで受けることになった不快さまでがよみがえった。それらは床にこぼれた水のように、ゼルの心のすみまで広がっていく。

 まるでたった今、フェルティアードに辛辣な言葉を吐かれたような気分だった。だから彼は、ケイトの声がかすかに震えていることに気づかないまま、突き動かされるように叫んでいた。


「信頼? あのフェルティアードが誰かを信頼するなんて。少なくとも、おれたち新兵に対してそんな感情は絶対に持っていなかったよ」


 思いのほか大きい声になっていたことに、肩を震わせたケイトを見て初めて、ゼルは理解した。彼女に言ってしまったという後悔はあったが、これは真実だ。あの男は、ただ民を想い街を守る、絵に描いたような聖人じゃない。


「そんな、お屋敷ではそんなふうに感じたことはありませんでしたわ」

「でも、おれたちには逆にそれしかなかったんだ。信用する気のないのが明らかな人を、ケイトは信じられる?」


 ゼルの諭すような言葉に、ケイトは腕にかけたかごを抱き締める。ややあって、ケイトは苦しそうにその言葉を吐き出した。


「では、そんな不信しかない大貴族様をお助けしたのも、単に騎士の地位欲しさからだったということでございますか?」


 予想外の問いは、ゼルから返答を思考する余地まで奪った。すぐに否定できなかったのは、騎士――貴族になる夢を、ずっと持ち続けていたからだ。貴族になるために、どんな些細な機会も逃したくなかった。だが、あの森の奥で、凶刃に倒れようとしていたフェルティアードを見つけた時、あれを貴族への道筋だと喜んだ覚えはない。


「そうじゃない、彼は大貴族ジルデリオンだ。彼が殺されでもしたら、ベレンズがどうなるか」

「ジルデリオンでなければ、お助けしなかったと?」

「違う! あいつの階位がなんだろうと、おれは助けたさ。王都に帰って、陛下からの手紙をもらうまで、助けたことで褒美を頂けるかもってことすら、頭になかったんだ。要は……考えなしだったんだよ」


 自分でそのことに気づいたゼルは、言いながら気恥ずかしくなってしまった。


「それは……ゼレセアン様は、本当は陛下から何かを頂く予定だったのですか?」


 彼女の口調が、幾分か和らぐ。そういえば、あの日のことはケイトに話したことがなかった。


「お金か何かだったんだろうけど、フェルティアードが陛下に進言して、こうなったんだ」


 ゼルは自分の外套と、淡い水色の胸飾りを見下ろした。


「お待ちください、ではフェルティアード様は――」


 その時、突然通りがどよめいた。そしてその場には似合わない、大きなものが転がっていく音が背後から響く。ゼルは反射的に、ケイトをかばうように体の向きを変えた。足を止め始めている人の頭越しに背伸びをしてみたが、この背丈ではとても見えたものではない。


「何かあったみたいだ。ケイト、話の続きは戻ってからでいいかな」


 物が投げられ、盛大に割れる音まで聞こえてきたせいだろう。ケイトは身をすくませ、はいと答えるだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る