領主の真性(1)

 シトーレに半歩遅れて歩きながら、ゼルは彼からテルデの名所案内を受け続けていた。初めて訪れる者なら、誰でも目を奪われるものはもちろんだが、言われなければ気づかない小さなものまで、とにかく枚挙にいとまがない。


 それに、あそこは何週先まで工事をしているとか、ここは何日前に模様替えをしたとか、情報も新しい。使用人の長でもある彼が、一体いつ外に出ているというのだろう。


 そんなシトーレが、ただのんびりと案内人を務めているだけでないのは、ゼルも気づいていた。そのくすんだ碧眼は時折、特に物陰や細道へと向けられた時に、輝きを取り戻しているように見えた。


 要所に立っていたり、巡回中の班に会うたび、シトーレは彼らと言葉を交わし、何事かなかったかを確認していた。シトーレとの散歩が始まってから十分は経っただろうか。幸い、大きな揉め事も騒ぎも起きていないらしかった。


「素晴らしいですね。こんなに安全な街は、そう多くはないでしょう」

「なに、たまたまですよ。ご安心ください、お帰りになるまで、必ず一度は問題に出会われましょう」


 あまり安心したくない予言だったが、問題が起きたところで、きっとシトーレと警備隊なら、すかさず収めてしまうのだろう。


「大きな街は、それだけよからぬ者が潜みやすいのです。現に、賊がはびこっているのも事実。いかにフェルティアード卿のお膝元といえど、やつらは気にもとめないのですよ」

つらの皮が厚いやつらばかりですね。でも、今回はおれが余計なことをしたばっかりに、シトーレさんや警備隊の負担を増やしてしまって、申し訳ないです」


 肩を落としたゼルに、シトーレは優しげに語りかけた。


「気に病むことはありません。正しいと信じたことに真っ直ぐに、たったひとりでもそれを貫こうとする。わたくしは好きでございます。若い頃の旦那様を思い出しますなあ」


 ゼルはびっくりしてシトーレを見上げた。まさか今、フェルティアードと重ねられたのか。

 シトーレはそれを待っていたかのように、さらに思い出話を続ける。


「意外ですかな? 旦那様はあれでも、昔は無茶をしたものです。といっても、大変大きな無茶を、一度きりでしたがね。しかし、ゼレセアン様はこれから何度も無茶をなされそうで、私はとても楽しみでございます」


 楽しみにされても困る、とは口に出せず、ゼルは相づちにもならないような、ため息とも返事ともつかない声を出すだけだった。楽しみだ、と言いながら、彼の表情にどこか陰が差したように見えたせいもあったかもしれない。


「そういえば、ゼレセアン様は王宮で、旦那様に面と向かって“おまえが嫌いだ”とおっしゃったと聞きましたが、本当なのですか?」


 この人は、ついさっき仲良くなったばかりの通行人だっただろうか、と記憶を反芻させたくなるような気さくさだったので、こっそりあくびをしようとしていたゼルは、咳き込む羽目になった。


「なん、なんですか急に」

「今の旦那様の、若者への接し方からして、どうしてもにわかには信じられないので」


 そんなことを話すのは、当の本人であるフェルティアードしかいないはずだ。であれば、なぜ自分が貴族相手にそんな口をきいたかも、流れで話しているはずなのに。


「ええと、確かに言いました、フェルティアード卿に、嫌いだと。……煽られてですけど」

「無理に敬称をつけられなくてもいいですよ」


 身内も同様であろうシトーレを前にして、さすがにそれはできない。上官が嫌いだと、その上官の右腕のような、さらに年上の男に告白するのだけでも、心臓がうるさく鳴っているのだ。


「なるほど、けしかけてみたら逃げなかった、というのはまことでしたか。いえ、ゼレセアン様からもぜひお聞きしたいと思っていましたので」

「おれ、騎士としてはとんでもないやつですよね、きっと。ためらいもなく上官が嫌いだなんて言う部下、絶対ベレンズにいませんよ」

「ですが、本当に心からお嫌いであれば、なぜ旦那様の騎士に? いや、というよりも、なぜ旦那様をお助けに?」

「それは――ベレンズに必要な人だと思ってたからです。国の威信に関わるような貴族を助けるかどうかを、たかが好き嫌いで判断するなんて」


 青年の淀みない答えに、老齢の警備隊長は満足そうに目を細めた。


「さすが、旦那様が選ばれた方ですな。改めて、我があるじフェルティアード卿の命を救ってくださったこと、心から感謝いたします」


 シトーレは足を止めて、ゼルを正面から見下ろすと、深々と頭を下げた。慌てて通りのあちらこちらに目を向けたゼルは、ちょうど自分たちのうしろにいた人と目が合ってしまった。

 が、にじみそうになった愛想笑いは霧散した。それはケイトだったのだ。


「ゼレセアン様。警備隊のお仕事までされるなんて、ありがとうございます」


 非番だった彼女は、ともに猫を探しに出た時のような、いち住民らしい姿だった。手提げのかごからは、もはや満開に近い花が覗いている。色は紫に近かったが、ゼルはその花に、彼女が運んだ料理にあった、食用の花ウォルマを思い出していた。


「ケイト、今日はお買い物かな? ここからふたつ先の角にある店に入った桃が、とても美味しいと聞きましたよ」

「まあ、本当ですか? 買う予定はなかったのですけど、せっかくですから行ってみますわ」

「うちの隊員も、なかなかどうして舌が肥えていますからな。間違いないでしょう。そうだ、ゼレセアン様。ここの班に、欠番が出そうだという話がありまして。少しばかり再編について話をしてくるので、ここでお待ちいただけますか?」


 ゼルが了承すると、シトーレは向かいの角にいた警備隊のところへと、道を横断していった。そしてその場には、ゼルとケイトだけが残された。

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