巡視(2)

「困ったな。誰か、おれが何もしてないと言ってくれる人はいないかい?」


 往来は激しく、その瞬間を見た人のほとんどはそこにはいなかっただろう。だがテルデの民は、誰もが思いやりにあふれているらしい。男の助けを求める声に、応じる者が現れたのだ。


「ああ、ちょうど見てたぜ。その人、助け起こそうと手を伸ばしただけだ。そしたらその子がいきなり驚いたんだよ」


 ゼルたちを囲むように、うっすらと作られ始めた人垣の合間から、恰幅かっぷくのよい男が歩み出ながらそう言った。どうやら、通りに出ていた店の男のようだ。


「ゼレセアン様、わたしたちのことを思っての行動、感謝いたします。でも、誓ってこの人は、その子に手を上げてはいませんでした」


 頭を下げつつそう証言されれば、ゼルも声を荒らげることはできなかった。彼に礼を告げると、ゼルは安堵のため息をついていた男に陳謝した。


「せっかくテルデにいらしたところ、不快にさせてしまい申し訳ありません。わたしはゼレセアン、ここの領主の騎士をやっている者です。今は警備隊と一緒に、巡回をしている最中でして」

「騎士殿が巡回とは、仕事熱心なおかただ。あなたのような方がいれば、ならず者も尻尾を巻いて逃げ出すでしょう」

「だといいのですが。つい先日、賊の何人かが捕まったばかりなのです。警戒は強めていますが、あなたもどうかお気をつけて。ほらアレン、そろそろ立てって」


 いまだ座り込んでいたアレンに小声で呼びかけると、彼ははっとしたように立ち上がり、すぐに赤い外套のうしろに隠れた。ゼルは男のことを、アレンが見た賊の誰かだと思ったのだが、当の男はアレンを気にかけるそぶりもない。


 軽い別れの挨拶をして、男は異邦人らしく、店や建物を眺めながら雑踏に消えていった。外套を下に引っ張られ続ける感触は、そのあいだも止まることはなかった。


「アレン、なんだよ脅かしやがって。おれはてっきり賊の男かと思ったじゃないか。いや、向こうがおまえだってわからなかっただけで、実はそうだったのか?」

「……いや、違うんだ。知らない人だった。顔が似てたんだ。それで」


 珍しく歯切れの悪い返事だったが、面影のある容姿だったなら、驚いて当然か。普段より神経を尖らせてるであろう彼を責めることはできない。


「おまえこそ気をつけろよ。まだ母親に話してないんだろ? なんなら、けりがつくまで家族ごと屋敷にかくまえるって、シトーレさんたちが言ってたぜ」

「お屋敷の方はみんな優しいな。おれもあの日屋敷を出る時、相談事があれば使えって、ラヴァエ班長から合言葉を教えてもらったんだ。へへ、フェルティ様のお屋敷に入れる魔法の言葉だぜ」


 屈託なくアレンが笑う。彼はよくこうやって、嬉しいこと、楽しいことを話題にする。きっと、不安を少しでも和らげたいのだ。早く、そんなことをしなくて済むようにしてやりたい。


 ラヴァエ班長の合言葉というのも、おそらくシトーレかフェルティアードから言いつかったものだろう。彼の独断で、テルデの民とはいえ屋敷外の者をすんなり入れることはできないはずだ。彼らも、できる限りの手を尽くそうとしているのだ。


「そうか、じゃ遠慮なく使えよ。また家を見張りに行くんだろ、細道は通るなよ」

「わかってるよ。じゃあまたな」


 今度こそアレンを見送ると、ゼルは踵を返し、ラヴァエのもとに向かった。アレンだけを守ればいい話ではない。街の住民の誰に手を出されるかもわからないのだ。いきなり持ち場を離れたことは、さすがに注意されるだろうと思っていたのだが。


「ゼレセアン様、巡回お疲れ様です」


 ゼルを出迎えたのは、なんとシトーレだった。屋敷では見たことのない服装――ラヴァエと同じだ――で立っていたので、ゼルは声をかけられるまで彼だとわからなかったのだ。銀のような短い白髪はくはつに、皺が刻まれながらも精悍な微笑みをたたえる彼の顔は、見間違えようもない。


「シトーレさん! その格好、どうされたのですか?」

「たまには、部下たちの仕事ぶりを見てやらないといけませんからね。よければ見回りをご一緒にいかがですか? まだ知らない地区もありますでしょう。ああ、ゼレセアン様が抜けたあとはご心配なく、ひとり補充が入ったので」


 さすがは警備隊長、手回しが早い。ゼルはその手腕に感心した。しかしそこまで整えてくれるとなると逆に、彼には何か自分に話したいことがあるのではないだろうか、と勘繰ってしまう。ラヴァエと目を合わせると、いってらっしゃいませとばかりの目配せをされた。


「では、ご厚意に預かります」

「そう緊張せずとも大丈夫ですよ。道中は世間話でもいたしましょう。随所に隊員はいますがもちろん、我々もぬかりなく」


 ゼルは頷き、シトーレに合わせ歩き出した。





 男は品物を手に取ってみたり、立派な佇まいの建造物をしげしげと眺め、旅人のようなをしながら、慣れた足取りでとある路地裏に入り込んだ。そこには、木箱の中身を確認しようとしている男がふたりいただけだった。


「何か用か」


 木箱を覗いていた男はそう言って、彼が今まさにしている地味な仕事には似つかわしくない、額に巻かれた青紫の布をひらめかせ、またすぐ荷の確認に取りかかった。


「“使い”だ。遅れて悪いな」


 壁に押しつけた腕に体重を預け、男はそう名乗った。荷ほどきの男は手を止め、今度は探るように“使い”を見る。端正な顔をさらにしている双眸が、革帯にぶら下がった、美しく長い尾羽の飾りを認めると、彼はとうとうすっかり荷解きをやめてしまった。


「さっきのあれはあんただったのか」

「おや、ほんの数分前だったのに、お早いことで」

「例の小僧でな。一応軽くつけさせているんだ」

「掻っ攫わないのかい」

「子供の割には、よく周りを見てる。それに警備隊の姿も増えていてな。様子見だ」


“使い”はふうん、と軽薄そうに笑い、姿勢を正した。


「ま、あの子供はあんたらの好きにするとして、だ。例の騎士についてだが、返事をもらったぜ。聞いて驚け、“口は出さない”とさ」


 男の眉がしかめられた。まるで“使い”が、太陽は西からのぼるのだ、とでものたまったかのように。


「冗談だろ? 騎士身分、しかもあのフェルティアードの騎士だぞ」

「おれが知るかよ。だが、中継ぎからの相違ない言伝ことづてだぜ。こんなもん持たされちゃいるが、案外大元はベレンズ貴族じゃないのかもな」


“使い”が羽飾りを撫でた。


「で、やるのか? あの騎士を」

「当然だ。“口を出す”と言われたとしてもな」


 男は鋭い目で“使い”を睨んだ。会話に入らず座り込んでいた、仲間らしきもうひとりの男も、彼の気迫を感じ取ったのか視線だけを投げかけてくる。


「あの野郎、一丁前に騎士のご身分だったとはな。おれらの話をあらかた聞いたうえ、突っ込んでくる度胸は認めるが、噂通りの田舎者だ。そのあとのことを何も考えちゃいねえ」


 整った顔からは想像もできない、気性の荒さを感じさせる怨嗟が、苦々しげに歪む唇から放たれていく。


「真っ当じゃねえ人間相手に、中途半端に手を出したらどうなるか、わからせてやらねえとな」

「んじゃ、やる気満々のあんたにもうひとつ」

「まだあったのか」


 用は済んだと、手で追い払う真似をしかけた男が、面倒そうに唸った。“使い”はそれに対して楽しそうに、その言伝をゆっくりと唱えた。

「“物言わぬむくろにすることだけは許さん”。とさ」


 男は目を丸くしかけ、しかしすぐにその目を細めた。口角が上がり、薄く開いた唇の合間に、わずかに歯が覗く。


「上等だ。ただ殺すなんてつまらないからな」


 言って男は、半端に開いた荷には目もくれず、座っていた仲間を立たせその背を叩いた。


「タージ、今すぐ連中を集めろ。早い者勝ちだと言っておけ」

「何をするんで?」

「騎士をめる。すぐ実行できる案を出せたやつには、おれが晩飯を奢ってやるよ」


 男たちは暗い路地から姿を消し、残った“使い”はそれを見送ると、迷子のようにきょろきょろとしながら、明るい道へと戻って行った。

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