第五章「暗躍」

巡視(1)

「信じらんねえ。フェルティ様にあんな口きいてるなんて」

「会うなりそれかよ。軽蔑したきゃ勝手にしろ」


 足元に座り込み、いじけるように向こうを向いているアレンに、ゼルはそう言って通りを眺めた。文句を言ったらさっさと消えるものと思っていたので、少し居心地が悪い。


 警備隊の編成にうまいことゼルは、この市街で一番大きい宿の壁を背に、不審な者はいないか用心深く往来を見張っていた。騎士の赤い外套のおかげで、通りかかる人の半分以上と目が合う。


「軽蔑はしないよ。フェルティ様、怒ってるようじゃなかったし」

「“フェルティ様”って言っちゃっても、何も言われなかったしな」

「う、うるさいな! 懐の広い方なんだよ、ゼルのあんな態度を許すくらいなんだからさ!」

「あいつが、ああいう態度できるもんならやってみろって言うからやってるんだ、おれが貴族みんなにああだなんて思うなよ」

「あいつ!? フェルティ様にそんな」


 こちらを振り向き、とうとう立ち上がりそうな気配を感じたので、ゼルはアレンに向き直り、さあ今度は何と言おうかと息を吸い込んだ時、その背後から芝居がかった大きな咳払いが飛んできた。

 思わず硬直したゼルは、たった今吸った空気を全部吐き出してから、そっと見張りの立ち位置に戻った。


「ゼレセアン様、民と仲睦まじくするのはいことですが、今はお仕事に集中していただければと」


 扉一枚分の距離を空けて、ゼルと同じように立っていた隊員――ラヴァエは、微動だにしないままそう言った。アレンとゼルの関係を直接見ていたためか、よそ見を指摘するような軽さだ。すみません、と謝るゼルの視界の下のほうで、アレンがにやにやしているのが見えた。

「ゼルがあんなふうに話すのを許されるんだから、さすがフェルティ様はジルデリオンを叙されるだけあるよな。ただ規律に厳しいだけじゃないってことだよ」

「そう言うおまえは、おれが騎士だってわかってもそのままなんだな。ぞんざいな喋り方を許した覚えはないぞ」


 足を引っ張ろうとしてか、アレンはまだ話を続ける。それにつられるものかと、ゼルは口だけを動かして応えてやった。


「おれはゼルを思って変えてないんだぜ。このへらず口が、突然かしこまってみろよ。どう思う?」

「自覚あるのかよ」

「大人がそう思ってることくらいわかるよ」


 質問には答えなかったゼルに、アレンはこれ見よがしに咳払いをする。ラヴァエがちらりと覗き込んできたのをよそに、アレンは口を大きく開いて息を吸い、


「ゼレセアン様、まさか騎士のご身分とは露知らず、無礼な言葉を幾重にも重ねたことをお詫び申しあげます。どうか寛大なお裁きをお願い申しあげます」


 仰々しくそんなことを言い始めるので、曇り気味ながら暖かい日だというのに、ゼルの背筋に悪寒が走った。


「おいやめろ、誰がそこまでやれって言ったよ」

「おれとゼルの立場の差考えたら、これくらいじゃないのか?」

「いくらなんでもやり過ぎだ。おれの階位は下から二番目なんだぞ」

「でもほら、不気味だったろ?」


 思わずアレンのいるほうを見下ろすと、彼は待ちかねたように笑って見せた。


「おれだって、王都の街道でゼルに会ったら、今みたいに話す気にはなれないよ。でも、かしこまるのは苦手だから、ゼルがフェルティ様みたいに心の広い人で助かった」


 フェルティアードの心が広いかどうかは定かではないが、どうやら褒められているようなので、ゼルは悪い気はしなかった。


 もし通行人に不敬だ、と通報されたとしても、それを一律に取り締まる法はない。たとえゼルがフェルティアードに対し、どんな暴言を吐こうとも、フェルティアード自身が申し立てなければ罪にはならないのだ。アレンのゼルに対するものも、それと同じだ。


「大体、剣も持たないでうろつくゼルも悪いんだぜ。庶民の格好してても、これは絶対偉い人だってわかっゃうくらい、こうさ、雰囲気出さないと。フェルティ様ならきっとできるぜ」

「比べる相手がおかしいだろ、おれがこの身分になったのは――」

「ほんのちょっと前だってんだろ? 言い訳すんなって、がんばってフェルティ様から技盗めよ」


 そう言うと、アレンはぱっと通りに出て、人の波に入っていった。余計なお世話だと心の中で毒づきながら、見え隠れするそのうしろ姿を目で追う。するとちょこまかと走っていたからか、さっそく誰かとぶつかり、その頭がすっかり見えなくなった。


 相手は親切に立ち止まってくれたので、転んだアレンは彼に任せることにし、ゼルは別の方面へ顔を向けようとした。が、突如響いたアレンの叫び声が、ゼルの視線を引き戻した。


 その声は決してつんざくようなものでなく、雑踏から離れた者には届かなかったかもしれない。だが、たった今まで話していた少年の知った声は、まっすぐにゼルの耳に飛び込んできたのだ。同時にゼルは通りに駆け込み、人混みを押し退けながら剣の柄に手をかけた。


 ゼルは最悪の事態だけを考えていた。流れていく人の中で、ただひとり止まっている男をめがけて進む。アレンは地面に尻餅をついたような姿勢のまま、動いていない。その地面に赤いものがないことを確認すると、ゼルはその前に立つ男を睨みつけた。


「おまえ、この子に何をした!」


 薄手の外套を羽織る小綺麗な服装から見て、外から来た人間だろう。賊のかしらはもっと庶民的な服だったが、見た目だけで判断はできない。剣はいつでも抜ける。

 男のほうは、今にも斬りつけんばかりの騎士らしき青年と、彼の声のおかげで四方から見られ始めているのが影響してか、きょろきょろしながら弁明した。


「いや、すまんが何もしてないとしか言えないな。おれはただ、ぶつかられただけなんだよ。むしろ起こしてあげようとしたんだが」


 敵意がないのを見てとって、ゼルはやっと柄を握った手を開いた。へたり込むアレンの横についたが、相手が妙な動きをしても対処できるよう、わずかに前に出る。その時になって、ゼルはやっとアレンの顔を見ることができた。まるで、いるはずのない者に会ってしまったかのような形相だった。

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