過ち(1)

 班長に計画のすべてを話し終えた頃には、屋敷はもう目の前だった。広い庭園を横断せずに済む裏口に向かうと、ちょうどケイトが戸を開け放ったところだった。


 班長は賊の捕縛時点で、一報をたずさえた隊員を屋敷に送っていたので、使用人たちはすでに迎えの準備を整えていたのだ。だがアレンがいることは想定外だったので、彼は通りかかる使用人全員に目を向けられることになった。


 当然、軽蔑の眼差しなどではなかったが、どんどん力がこもっていくアレンの肩を、ゼルは書斎の前に着くまで何度も撫でてやった。


 ゼルはまず、扉に控えていた使用人にエティールについて聞いてみた。部屋にはいないらしく、ゼルはこのことをアレンに伝えた。高まる緊張の中で、わずかながら安心を取り戻せたのか、アレンはぎこちなく、笑顔のような表情を作った。


 書斎に入ると、フェルティアードは机のそばで、ゼルたちのほうを向いて立っていた。金色にほど近い目がゼルを見、そして隣のアレンを見る。王宮でよく見た鋭い目ではないが、柔和とは縁のない顔つきの男だ。ゼルもその視線を追ってアレンを見下ろしてみると、すっかり真顔になっていた。


「報せは受けた。石売りのベルナーを脅していた賊が捕まったそうだな。おまえが噛んでいるとは聞いたが、その少年は何者だ」

「噛んでるとはなんだよ、おれだって功労者だぜ。もちろんアレンもな」

「アレンだと?」


 フェルティアードはわずかに表情を変えた。当のアレンは、数秒前まで無表情だった顔を一変させ、まずゼルを見上げ、即座にフェルティアードを見て、またゼルを見上げた。その目はこぼれ落ちんばかりだ。


 ゼルは、アレンがそんなことになっている理由を察したが、今はフェルティアードに事のあらましを話すことを優先させた。


 あの日、偶然にも賊の密談を聞いたゼルは、まずはその中にあった暗号めいた言葉を、忘れずにいることに集中していた。マルドを届け、飼い主から感謝の言葉を贈られ、帰り道についてケイトと話せる状態になるまで、それは続いた。おかげでマルド捕獲については、飼い主にはとても喜んでもらえていたらしい、という曖昧な記憶しか残っていなかった。


 最初にゼルは、エーラ通りというところに、派手なものを売っている店はないか、とケイトに聞いた。すると彼女は困り顔になってしまった。通りの名前こそはっきりしていたが、漠然と“派手なもの”とだけ言われれば、難色も示すだろう。


 棚から失敬する、とも言っていたので、人が持てる大きさのものが、店に並べられている、とつけ加える。するとケイトの考える候補はぐっと狭まり、やがてひとつの店に絞られたのか、あそこのことではないでしょうか、とある店を教えてくれた。

 時間もあったので、ケイトはエーラ通りにゼルを連れて行ってくれた。そこが、あのベルナーという男が持つ宝石店だったのだ。


 宝石とはいっても、ケイトの話では特別高価なものではないということだった。どちらかというと安物で、それでも欲しがる庶民向けの店であった。装身具に加工してくれるわけでもなく、見た目が比較的美しい石ころを売るだけで、一応棚には大きな原石が飾られていると、聞いたことがあるらしかった。


 そんな店は、まだ多くの人が歩いているというのに、閉店の看板がかけられていた。隣の店に聞いてみると、ここ数日ずっと開いていないのだという。


 やめるなんて聞いてなかったんだけどな、というぼやきを聞くのもそこそこに、ゼルは賊の言っていたのが、この店のことだと推測した。彼らは店主にずいぶんと待たされていたと言っていた。それは、店主が賊となんらかの話を進めるために必要なものを、調達しようとしているからだ。明後日の十一時に、また賊と会うことはすでに決まっていて、その日までになんとかしようと、店を開けている暇もなかったのだ。


 これで目星はついた。当日、閉まっている店の戸を片っ端から叩くよりはずっといい。ケイトから細かく聞いた手前、ゼルは彼女に賊の密談を聞いた、とだけ話した。そして自分はその場を乱し、賊の力を削いでやる、とも。


 ケイトはすぐに、ひとりでそんなことをするなんて危な過ぎる、旦那様にお知らせしなければ、と真っ当な案を推した。だがゼルは、もとよりひとりでどうにかできるとは考えておらず、またそのつもりもなかった。広くもなさそうな屋内で、人を殺すのに躊躇ためらいのない男三人に勝つなど、それこそフェルティアードでもなければ難しい。


 ケイトを安心させ、納得してもらうために、ゼルはその場で手筈を説明した。問題の時間になる数分前に、自分は使いを装い無理やり店内に入る。入れなくても、店の主人に言伝さえできればいい。裏口に回って荷を受け取れ、と。

 この荷というのは、当然存在しない嘘のものだ。店の裏には、十一時に警備隊が来るよう、事前に仕向けておく。ここで何やら騒ぎが起きてるらしい、とでも知らせ、さらに道案内もできれば上出来だ。


 そこまで話して、ゼルはその役柄をケイトにやってもらおうか、と思い立ったが、すぐにやめた。警備隊がすぐそばにいる状況だとしても、女性を危ない場所には行かせられない。通りすがりの誰かでも構わなかったが、見知らぬ人に「これから揉め事が起きるから警備隊をここに呼んでくれ」と言われて、素直に聞いてくれるかは微妙なところだ。


 ゼルは少々頭を悩ませたが、知り合った人たちの顔を思い浮かべる中に、あのいたずら少年が出てきたことで解決した。あいつならできる。自分の言う通りにしてくれれば、賊を負かすことができる、と言ってやれば、きっと乗ってくる。あれだけ駆け回る元気があるのだから、ここに一時的にしかいない賊に比べたら、裏道を駆使して逃げおおせるなど朝飯前のはずだ。それ以前に、賊の影に震えている状態なのだから、もし危険を察知したらすぐに身を隠すだろう。


 ゼルはその足でアレンの家に向かった。家に来る人を確認していると言っていたアレンが、家の中にいないのはわかっていたので、アレンの名を呼びながら家の周辺を歩き、また混み合う通りに戻ってみると、人波の隙間からひょっこりとアレンが顔を出した。


 ゼルはアレンに計画のすべてを話し、やれるか、とまっすぐに目を見て問いかけた。アレンは、自分を狙っているかもしれない連中に、ひと泡吹かせられるということを信じられない様子だったが、最後にはゼルの言った通りにやる、と答えた。


 そして今日、アレンは見事に警備隊を誘導し、ゼルはひとりの賊を相手にするだけで済み、殺されるかもしれなかったベルナーの危機を救ったのだった。


 同席していた警備隊の班長が、アレンは真に迫った演技をしていたんだな、と褒めると、ゼルの報告を黙って聞いていたフェルティアードが、彼らに近づいた。ゼル以外のふたりはそれを見て、緩んでいた背を一瞬で正した。


「ラヴァエ、いい手際だった。何事もないせいで、腕がなまっていないかと不安だったのだが、杞憂だったようだな」

「お褒めいただき恐縮です、フェルティアード卿。あなた様と、シトーレ隊長のお力添えがあっての警備隊です。此度の連中も、所詮は末端の末端。根絶に向け、今一度気を引き締め、職務に臨む所存であります」

「頼むぞ。それとわかっているだろうが、今回の件で例のことに修正が入る。今夜、カルプスも含め話をしたい。伝えておいてくれ」


 班長が了承の返事をすると、フェルティアードは隣のアレンに視線を落とした。同時に少しうしろに下がってから、口を開いた。


「きみがロットのアレンか。我々が守るべききみに協力を請うことになるとは、迷惑をかけたな。だがおかげで、あそこにいた賊は残らず捕えられた。我が騎士ゼレセアンへの助力に感謝しよう」


 子供相手でも、フェルティアードの語調はいささかも柔らかくなかった。だが、そこに傲慢さはない。

 面と向かってフェルティアードに礼を言われ、アレンは口を動かしたが、そこからは意味を持った音は何も出てこなかった。これではまるで、アレンに出稼ぎにきた田舎者と言われた時のゼルそっくりだ。


「だが、ラヴァエの言った通り、賊の大部分はテルデに残っている。きみはまだ安全とは言い難い。引き続きゼレセアンの忠告に従い、何かあれば警備隊を頼るといい」

「は、はい。あの、フェルティ様。あ……っと、お褒めのお言葉、とても嬉しいです。ありがとうございます」


 何も言えずにいるのは失礼と思ったのか、アレンは絞り出すように喋り出した。その中で“フェルティ様”と口にした時、ほんの少しだけ言葉を詰まらせた。班長ラヴァエとゼルは、そんな彼に息を吐くような笑声をこぼしたが、フェルティアードのほうは顔色ひとつ変えないまま、少年の必死の礼を聞き届けていた。

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