守護の騎士(1)
「わたしの街で人殺しとは、穏やかでないな」
報告を終えると、今回は椅子に腰かけていた部屋の主人はそう言った。同時に、今まさに犯人を目にしているかのごとく忌々しげに、黒髪の合間から覗く目を細めるので、広い机を挟んで立っていたゼルは、言われのない緊張感を浴びせられる羽目になった。
「シトーレから、賊らしきものがうろついているとは聞いていたが」
「じゃあ、そいつらが」
「断定はできん。別の集団の可能性もある。そうだったところで、そこまで賊どもが
ゼルは自分の村と王都、そして王都への旅の途中で泊まった集落しか知らなかったが、このテルデはきっと巨大な街に分類される規模だと思っていた。それだけ大きければ、隠れる賊もひとつやふたつでないかもしれない。
「しかし、わたしたちが戻る前から、巡回は強化していると言っていた。それをやつらが気づかんはずはない。見つかる危険を冒してまで、わざわざ外で事を起こすなど」
「賊が仲間割れとかしたんじゃないか? 殺されたの、まだ街の誰かかどうかもわからないんだろ」
帰館してから、事件のことをシトーレに話していたゼルは、彼が現場に警備隊を回すことと、周辺の住民から、行方知れずになった者がいないか聞き込みをすることを聞いていたのだ。それからまだ一時間も経っていない。
「可能性はあるが、それにしてもだ。まあいい、ここでおまえと話していても
話は終わりかと思ったその時、厳かなノックとともに、シトーレが自身の声で到着を告げた。ゆっくりと入室した彼は、ゼルに軽く会釈をする。常日頃から落ち着き払っているシトーレだったが、皺の目立つ
「旦那様、ゼレセアン様から詳細はお聞きになられましたかな?」
「今しがたな。もう何かわかったのか」
「不完全ではありますが、第一報という形でお知らせすることをお許しください。机を少しお借りしたいと……ああ、恐れ入ります。では、まずこちらを」
フェルティアードが数枚の書類をどかすと、シトーレは主の机上に、その半分にも満たない、しかし広々とした地図を慣れた手つきで伸ばした。ところどころに汚れが見えたが、これだけ大きく、また使い古されているのであれば、仕方のないことだ。
一緒に持ってきていた重しで固定すると、シトーレは地図上の一角に、小指ほどの駒を置いた。子供用の盤上遊戯で使われていそうな簡素さである。
「ここが、通報いただいた現場でございます」
「やけに的確だな。そのあたりは道も細く入り組んでいる。ゼレセアンがそこまで知っているとは思えんが」
「ご心配なく。同行していたケイトに確認を取っています。間違いございません」
ほう、とフェルティアードがつぶやき、視線をゼルに向けた。ゼルは何を問われるかと固まってしまったが、当のフェルティアードの目には好奇も、ましてや
ケイトの確認を取ったというのは本当である。フェルティアードへの謁見を断った代わりに、彼女はシトーレへの報告に同席し、あの場所への道のりを事細かに説明してくれた。その時、シトーレは数分ばかりゼルたちを待たせたのち、この地図を運んできて、今駒が置かれている地点を特定したのだ。
フェルティアードが続きを促すと、シトーレは短い報告を述べた。
「現場及び周辺の路地には、当然と言うべきですが、亡骸はありませんでした」
シトーレは上品に肩を落とした。
「時間が経ち過ぎているからな。目ぼしいものは残っていないだろう」
「まだ調査中ではありますが、今までのところ、血の痕なども見つかっていないようです」
「……なるほど。姿を消した者の有無はどうだ」
「申し訳ございませんが、こちらはまだ時間がかかるようで。怪しい者を見ていないかも聞いて回っておりますが、これもまだでございます」
ふたりの応酬を見ていたゼルは、ケイトを疑ったわけではないものの、シトーレが警備隊長であることにやっと納得していた。それに、この短時間で現場を確認し、その結果を屋敷まで届ける俊敏な隊員たちは、よほど鍛えられているのだろう。それを担うのがシトーレなのか、はたまた実質的な隊長にされている副隊長なのかは知る由もないが、フェルティアードの居城と、その街を守るにふさわしい存在に思えた。
「夜までには把握できるな?」
「もちろんでございます。できれば、目撃者のアレンにも話を伺いたいところなのですが」
シトーレがゼルに問いかける。そこには高圧さはなく、むしろ遠慮がちであった。ゼルから聞いた
「ぼくもそれがいいと思うんですが、アレンのあの様子だと、多分家族には言ってないと思います。家族まで巻き込みたくない、って」
「となりますと、
警備隊が訪ねてきたとなれば、たとえ運よく家にアレンしかいなかったとしても、近所や通りかかった人の目にとまってしまう。彼の家族に知られるのは時間の問題になるうえ、噂が広がれば、賊にアレンの居場所を知らしめるようなものだ。そうゼルが簡単に想像できることを、シトーレにできないはずがない。
「仕方ありません。彼のお話は、ゼレセアン様からお聞きすることにいたしましょう。なに、通い詰めて聞き出せなどと、乱暴なことは申しません。ちょっかいを出されたから、出かける時に彼の行動を見張ってないと気が済まない、ということにしておけばよろしいかと」
アレンの家があるロット通りの巡回頻度と隊員の数を、目立ち過ぎないようほんの少しだけ増やすことをつけ加え、シトーレは続けた。
「こうして水面下で動けるのも、ゼレセアン様がご身分を隠されていたからこそでございます。しばらく窮屈な思いをさせてしまうでしょうが、事の次第が明らかになるまで、どうかご容赦を」
「わかりました。ぼくも騎士に叙された身です、テルデの人たちのためならなんでもしますよ」
深く頭を下げて、シトーレは再び主とともに地図を覗き込んだ。そして、地図の各所にまた別の駒を配置していく。一時的にせよ、警備の持ち回りにに手を加えることになるため、どの一団の何名に、どう移動してもらうかの試案が始まったのだ。ゼルもシトーレの手さばきを眺めていたが、元の警備隊の配置を知らないので、まったく話についていけなかった。
最終的にシトーレの言った通り、目立たない程度にロット通り周辺の守りを固める調整が済むと、彼は手早く持ち物をまとめ、手本のような一礼をして退室した。今度は編隊の変更を指示しに向かうのだろう。
「ところでゼレセアン。おまえはなぜ彼女のことを黙っていた」
扉が閉まるやいなや、フェルティアードがそう切り出した。
「何か隠したいことでもあったのか」
「そ、そんなものないさ。事件に直接関係ないことだから、あんたには簡潔な報告のほうがいいと思って、省いただけさ」
そう返したが、発端になった猫探しの件は、実はシトーレにも、フェルティアードにも話していなかった。彼らには、ケイトに街を案内してもらう、としか言っていない。上流階級の彼らに、使用人にお願いされ、住民の飼い猫探しを自ら率先して手伝っていた、などと知られたら、フェルティアードは言うまでもないが、シトーレにすら呆れられそうで言い出せなかったのだ。
「それはそうだが、こうして話をすり合わせる時になって、
「……わかった」
ぶしつけな返答になってしまったが、それも反論の余地がないゆえだった。
報告はとうに終わっていたので、ゼルはさっさと部屋をあとにすることにした。休日に、決められた時間以外でこの上官と顔を合わせるのは、可能なら最低限にしたい。
足音を察してか、使用人の手で滑るように開いた扉をくぐる寸前、座ったままのフェルティアードが、ゼレセアン、と呼び止めた。
「街はどうだった」
どう、とはどういう意味なのか。眉をしかめてひと息分置いてから、ゼルは答えた。
「よかったよ。次の休みにも散策してくる。アレンのこともあるしな」
フェルティアードは、低い声でそうか、と言うと、ひらりと手首を返した。出ていっていいという合図だ。
遠目では、彼の表情ははっきりしなかった。見えたところで、どうせ普段と変わらないのだろうが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます