ロット通りの少年(2)
「あそこは表に比べて、賊とかが入り浸りやすい地域なんだ。もちろん警備隊は巡回してるけど、いたちごっこさ。向こうも正体を隠してるから、明らかに悪いやつと鉢合わせなんて、そうそうないんだけど……」
「駆け込んだ路地の先で、悪いやつどころか、その悪行の瞬間に鉢合わせたってことか」
アレンはうつむき、小さく頷いた。
「顔見られたのか?」
「目が合ったから、多分見られたと思う。それにひとりじゃなくて、三、四人くらいはいた気がするんだ」
「あの慌てようじゃ、その人相も覚えてないんだろ」
アレンはまた頷く。テルデの自慢にあれだけ明るくなったのは、我が身に降りかかった不幸を、少しでも忘れたかったからかもしれない。
「あんまり思い出したくないと思うけど、どう殺されてたかは教えてくれ。殴られてたとか、刃物で刺されてたとか」
「……刺されてた。胸、あたりだと思う」
はっきりした証言ではなかったが、ゼルもそれ以上追求しなかった。自分は警備隊員ではないし、この件についてはアレンに代わって通報するだけの異邦人なのだ。今は、事件の発生と目撃情報を、街に報告する段階に過ぎない。
「おれ、殺されるのかな」
力ない声が、下を向いたままのアレンの口からこぼれた。兵役に就くまで五、六年は待つであろう子供が、そんな未来を想像するなど、ゼルには信じられなかった。思わずを張りあげる。
「何言ってるんだ、ここはあのフェルティアード卿がいるテルデだろ? 子供ひとり守れないような街か? おまえがおれみたいな田舎者に、気軽に聖堂や市を見てこいって言えるのも、街の長や警備隊ががんばってるからじゃないか」
弾かれたように、アレンの顔が上がった。両目は赤かったが、その表情に怯えはない。
「心配するな、このことはちゃんと街の偉い人に伝える。なんせお屋敷の使用人様が一緒に聞いてくれたんだからな。あと、これが解決するまであの辺には絶対行くな。何があっても外に出るのは昼間だけ、行っていいのは人通りの多いところだけだ」
この対策が、絶対に正しいという自信はない。人混みに紛れて襲ってくる可能性もある。だが、たったひとりでいるよりはずっとましだと、ゼルは考えたのだ。
命を狙われている、と恐れている今のアレンなら、その人混みゆえの危険性をすぐにでも突いてきただろう。しかし、彼はぽかんとゼルを見つめ、ただつぶやいた。
「あんた、
いずれ街を離れる人がここまで親身になるなど、疑問でしかないだろう。ここまできたら、助ける見返りに金品の類を要求してくるのが普通だが、幸いにもゼルの
「確かに他所もんだけどな。おれはゼレセアン、フェルティアード卿の騎士だ。世話になる街や人のために、できることやるのは当然だろ?」
アレンの目が大きくなった。とうとうその口から、感嘆の言葉が漏れ出る――とゼルは期待を寄せたのだが。
「こんなみすぼらしい外套で出歩く騎士がいるかよ。剣もないくせに嘘つくなって」
遠慮のかけらもなく両断された。疑いようのない貴族の証――淡い水色のウォールスを戴いた外套の留め具を、ポケットに忍ばせているはずもなかったので、今更声を大にしても逆効果だ。
「まあ! ゼレセアン様はまぎれもなく」
「ケイト、今はいいよ」
まさかケイトの言葉だけで納得するような少年ではないだろう。逆に、実は使用人を脅している悪者だと思われかねない。ゼルは、誤解を正そうと割って入ってくれたことに感謝しながら、握りしめられた彼女の手に触れ、とどまらせた。
「名前は知ってるよ。フェルティ様の窮地を救ったって。なんでも、騎士のほうも危ない状況だったけど、それをおして行ったって聞いたよ。間違いない? 使用人様」
「え、ええ。その通りよ」
「敵兵を三、四人は倒したって。フェルティ様の足も引っ張らずにやるんだ、相当な剣の使い手なんだろうな。街で会ったら剣さばきを見せてくれるかな。あ、もしその時まであんたがいたら、騎士様の相手になってくれよ」
ゼルは調子の戻ったアレンから、尾ひれのついた自分の武勇伝を知るはめになってしまった。あの時、自分の剣は敵の誰ひとりも刺し貫かなかった。この場で、自分が騎士であることをわかってもらえたところで、ごくごく普通の、平均的な剣技を披露するのはできれば避けたい。数分前に身なりを質素にしたことを悔いたが、今はこれでよかったと安心さえしていた。
「騎士様がお忙しくなかったらな。それじゃ、おれたちはそろそろ帰るよ。おれは警備隊に、彼女はフェルティアード卿に、今日のことを詳しく伝えてやるから」
「任せて、アレン。間違いなく旦那様のお耳に入れるわ」
「ありがと。あと、その……ゼル。ほんとに、今日のことどうにかしてくれるのか?」
席を立って玄関に向かうゼルに、アレンがおずおずと切り出した。
「おれ、手間賃になるようなもの、なんにも渡せないぞ」
「子供から物取りあげる気なんかないよ。言ったろ、おれはできることはやる、全部だ。見過ごしたくない。それに、何もおまえだけの問題じゃない。人を殺すような連中を、街にのさばらせておけないだろ」
ゼルは扉の前で振り返ると、誤解されたままの自分の立場を思い返しながら、言葉を選んだ。
「おまえがおれを心配するとは思えないけど、心配するなとは言っておくよ。おれの行動が、おまえにとって余計なことにはならないようにする。こうしてフェルティアード卿の使用人様にも会えたんだ、お手伝いさせてくれって口添えしてもらうさ」
「フェルティ様はお厳しいんだぞ。部外者のお願いなんか聞いてくれるもんか」
「お願い
無駄だと言わんばかりに返してきたアレンは、すでに笑顔になっていた。ゼルもそれに笑い返し、アレンの家をあとにした。
ケイトと肩を並べ、数歩歩いたところで、ゼルは口を開いた。
「さっきの話なんだけど、警備隊への報告って、見かけたら誰でもいいのかな」
「それでも構いませんが、ゼレセアン様は騎士でありますから、直接警備隊長にお話しするほうがよいかと思いますわ」
「隊長って、屋敷にいるのかい?」
「はい、隊長はシトーレ様でございます」
ゼルは思わず大声をあげてしまった。確か使用人の取りまとめ役だったはずだが、もうひと役兼任していたとは。
「でも、警備隊そのものはどちらかというと、副隊長が取り仕切っている形のようです。シトーレ様は、副隊長とのやり取りを密にされ、その詳細を旦那様へお伝えするお立場だと。ですので、今では副隊長が隊長と呼ばれてるそうですわ」
「なるほど。それじゃ、ぼくは帰ったらシトーレさんと会う約束があるから、彼にはその時にぼくが。ケイトは、休みの日にすまないけど、フェルティアード卿への報告をしてもらっていいかい?」
屋敷で仕事をする者は、その肩書きや勤続年数に関わらず、屋敷の主に自由にお目通りできると聞いていた。であれば、夕食後の定期報告の前に、詳細を把握していてもらえるはずだ。少しでも滞りなく通達できたほうがいい、と判断しての役割分担のつもりだったのだが。
「あ、あの……お願いされた身で心苦しいのですが、旦那様へのご報告は、その、ご遠慮できればと」
やはりあの堅苦しい空気は、たかが見て数日で慣れるものではなかったか。やんわりと拒絶の意思を示したケイトの顔はしかし、なぜか赤らんでいる。
「急にこれから旦那様のお部屋に参るなんて、
「そ、そう? 無理にとは言わないから大丈夫だよ。まあ話しづらいよな、あの雰囲気は」
「いえ、そういう理由では」
早口に否定するケイトをまじまじと見ると、さっきよりも顔が赤くなっているようだった。
「……えっと、緊張して上手く話せなさそう?」
「え、ええ、そうでございます。お顔を拝見するだけで精いっぱいですわ」
そうは言われたが、何か違うものを感じ取りながらも、ゼルは自分がふたりに報告する任を負うことにしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます