ロット通りの少年(1)

 閉め切る寸前のところで扉を止め、その隙間から外の様子をさっと見回してから、やや大きめの音を立てて、少年は今度こそ扉を閉めた。

大人が全力で蹴破れば、とても耐えられないような錠をかけると、すでに卓に案内されていたゼルとケイトのところに、少年は戻ってきた。


「見慣れないやつはいなかったから、多分大丈夫。いいよ、座ってて。母さんはまだ帰らないし」


 煉瓦れんが色の髪をした少年はそう言うと、彼には少々高い椅子を引き、腰かけた。ゼルはケイトと顔を見合わせてから、同じように座った。

 年の頃は十歳を越えたくらいだろうか。背は高くないが、それに比べると大人びた顔つきをしていた。あんないたずらをしてくるのだから、精神は歳相応か、もしかしたらそれ以下かもしれない。そうすると、幼さを薄めているのは、勉学で多くの知識を得ているからか。


 そう見立てたのも、この家に通されてすぐに、何冊かの本が目に入ったからだった。はた目にもぼろぼろで、どこかからか借りたものであることは明らかだ。テルデではどうかわからないが、本はひどく高価で、高い身分の人しか持てないと聞かされていたゼルは、たとえ使い古されていても、庶民の家にこれらがあることに、村との差を感じていたのだ。


 家屋自体は、階上の部屋もない質素な空間だったが、ゼルの目にはそうは映らなかった。彼にとっては、木造でないだけで立派に見えたのだ。それがこの街において、決して“立派”でなく、どちらかと言うと“平均”に属するものであることは、目の前の少年の身なりを見れば察しがついた。


 新しいものに見とれる癖がそう簡単に抜けるわけもなく、こうしてゼルは室内の造りや、今は冷えて暗い暖炉までせわしなく視線を泳がせたが、それも数秒ほどで終わった。そんな様子を、少年の真ん前で長々と見せたくなかったし、相手の出方を待っていたというのもある。一向に口を開く様子のない彼に、ゼルはひとまずの疑問をぶつけた。


「で? なんでおれたちは、おまえの家に連れて来られたんだ?」


 ゼルは、落ち着きを取り戻していた少年の顔に、わずかな恐れがよぎったのを見逃さなかった。こうなることになった原因――彼が言っていた、“殺人の瞬間”を思い出したのだろう。


「あ、あそこに残ってたら、兄ちゃんたちだって危ないと思ったからさ! おれに関りがあるやつだってわかったら、きっとあいつらも兄ちゃんたちを」

「関わらせたのはどこの誰だよ」


 頬杖をつきながら、ため息交じりにゼルが吐き出す。う、と言葉を詰まらせた少年に、助け舟を出したのはケイトだった。


「大丈夫、わたしたちを助けてくれたことはわかってるから。ありがとう。わたしはケイト、フェルティアード様のお屋敷で働いてるの。あなたの名前は?」

「えっ、あ、アレン」

「アレンね。ロット通りのアレンという子は勇敢だって、お屋敷に広めてあげる」


 フェルティアードの名が出ると、少年――アレンも目を丸くした。そして、思いがけない形の褒美に、今度は顔を赤らめた。


「ケイト、あんまりおだてないほうがいいよ。そもそもの原因はこのアレンじゃないか」

「そうね。だからアレン、あなたの勇敢さをお屋敷のみんなに教えるには、ひとつだけやってほしいことがあるの。あなたならわかるわよね?」


 ケイトはこう言った時さえ、幼子おさなごを懲らしめるようなそぶりは一切見せず、微笑みを絶やさぬままだった。そのおかげか、アレンは素直に小さく頷くと、その髪の色とよく似た目をゼルに向け、口を開いた。


「その……ごめんなさい。あんなふうに跳ね返ると思わなくて」

「おもしろいのはわかるけどな。高いところにいる人を狙うのは、もうやるなよ」


 反省しているのは、目を見ればゼルにもわかった。たとえウェールの村とは比べ物にならない栄えた街でも、子供の本質は変わらないようだ。


「うん、次からは体に当てるようにするよ」

「このっ、次はなしだ!」


 しかし、こういうところまで変わらないとは。しおらしい様子はどこへやら、あの場から逃げ出した時と同じように笑って言うので、ゼルはアレンの髪をめちゃくちゃにかき回してやった。


「へへ、もう兄ちゃんにはやらないよ」

「ほかの人へもだめだ。ほら、調子戻ったんなら話の続きだ。事によっちゃ警備隊とか、フェルティアード卿本人に伝えなきゃいけないかもしれない」

「兄ちゃんの名前は? テルデの人じゃないだろ」

「おれはゼルだ。ここにはその、フェルティアード卿の――」

「わかった。出稼ぎに来た田舎もんだろ」


 間違いないと言わんばかりに歯を見せるアレンに、ゼルはなんだと、と叫ぼうとして言葉に詰まり、ケイトのはうは、ゼルがやっと聞こえたくらいのか細さで悲鳴をあげた。


「裏路地にいる時まで、すげえきょろきょろしてたからな。優しいお屋敷の使用人様と偶然お近づきになって、ちょっといいとこ見せようとしてたんだろ?」


 どこから訂正していいのかわからなくなり、ゼルは眉を上下させたり、むにゃむにゃと何か言おうとした。しかし、今明らかにしたいのはアレンの見たという出来事についてであり、自分の本当の素性ではない。長居をしようとも思っていなかったので、弁解するのはすっぱり諦めることにした。先程の比ではない、長大なため息が流れ出た。


「もういい。おれはここに数週間だけ滞在してる、ゼルっていう男だ。おまえの当てずっぽうな推理は置いといてくれ」

「当てずっぽうなもんか! よし、図星だな」


 ひとり満足するアレンを尻目に、まさかこんな形でこの格好をしたことを後悔するとは、とゼルは落胆していた。


 騎士の身分を表す赤い外套ではなく、ベレンズにおもむく時にまとった質素な外套を選んだのは、単純に目立たないようにするためだった。街の人々が“フェルティアードの騎士”に対して、並々ならぬ想いを持っているのは、十分感じている。真正直にあの立派な外套を羽織り、ウォールスを戴く銀の留め具を輝かせようものなら、今頃はマルドの家の近くどころか、広場を抜けていられたかどうかもわからない。いずれにせよ、とても猫探しなどできなかっただろう。


 当然帯剣もしていないので、出発の時、ケイトには騎士の外套でないことを不思議そうに見られた。だがこの理由を素直に伝えると、すんなり納得してくれたのだった。その反応を見る限りでは、どうやら彼女は“騎士ゼレセアン”であることを期待していたようだが。


「いいところだろ、テルデは。ルサール聖堂は行った? コイン邸も見ないで帰るなよ。そうだ、こっちに来たんなら、当然モルトのいちは回ったんだろ。どのくらいここにいるか知らないけど、もしかしたらこれっきりになるかもしれないぜ」


 聞きかじりのようなつたない言葉で、懸命な罵倒でもしてくるかと構えていたが、アレンの口から飛び出したのは、意外にも街の自慢話だった。数秒前までからかう気しか見せていなかった彼だが、そんなことよりテルデを誇るほうが好きらしい。


「おれだって案内ができる程度には詳しいんだ。お忙しい使用人様を、いつまでも独り占めするなよ。巻き込んじゃったのは確かだし、できるだけ埋め合わせはするからさ」


 アレン自身の言葉で、ようやく話が戻された。ゼルは改めてアレンを見る。ケイトは逆に視線をさ迷わせ、机上にあった自分の両手をぎゅっと握りしめた。

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