使用人の依頼
夕食の時間を待つのみになった頃、ゼルは部屋に戻った。ケイトの姿はなかったが、何かの気配を感じる。見回すと、今まではなかった家具がひとつ、ひっそりと増えていた。
気配を感じたのは、家具の存在感のせいではない。正確に言うと、家具ではなかったのだ。この部屋では逆に目を引く質素な台に、中の様子がすっかり見える半球形のかご。その中で、一羽の鳥が羽を休めていた。
かごが狭そうに見えたのは、鳥が大きかったからではなく、体と同じくらいの長さがある尾羽のせいだった。夕焼けの空に染められたような色を基調に、尾羽には青や緑も見える。ゼルはあまりの鮮やかさに息を呑んだが、それが自分の所有物になるものでないのは知っていた。
二日ほど前、その日の報告を終えたゼルに、フェルティードが“鳥”の話を切り出した。一体何のことかと返答に窮していると、彼はもう一言「エティールだ」とつけ加えた。それでも反応を示さないゼルから、彼はたまたま部屋を訪れていたシトーレへと視線を移した。瞳には問い質したい意志がありありと覗いていたが、シトーレの受け答えは普段通りのものだった。
「申し訳ございません、旦那様。今進めている教科書には、エティールの項は記されていないのです」
そのようなやりとりがあったので、このエティールという言葉については、ゼルはフェルティアードから直々に教えられることになった。つまるところそれは、貴族同士での簡素な
フェルティアードは、近々自身のエティールを、ゼルの部屋で飼育させる旨を伝えてきた。見せびらかすためでないのはゼルもすぐ理解していたので、理由を話そうとする彼の言葉を遮る真似はしなかった。
エティールをゼルの部屋で暮らさせるのは、ゼルを新たな行き先として覚えさせるためであった。エティールは元来色覚と嗅覚に優れ、またそれらを関連づけて記憶するよう交配が進められてきた。よって、ゼルの匂いと同時に、決まった色を日常的に視界に入れさせながら餌を与えることで、ゼルの存在を新たな餌場に――人間にとっては、新たな手紙の届け先に仕立てることができる、ということだった。
「失礼いたします、ゼレセアン様。お戻りですか?」
記憶の反芻を中断させたのは、廊下からの軽やかな声だった。ゼルが入室の許可を告げると、初対面の日よりもずっと滑らかに、ケイトが姿を現した。
「夕餉のご準備が……あ、ご覧になられましたか? 旦那様のエティールでございます。お食事から戻られましたら、餌の与え方をお教えいたしますわ」
今のケイトには、あのそわそわしているような雰囲気はなかった。ニールにあの話をされていなければ、自力で話題を切り出すのも忘れていただろう。
「ありがとう。ところでケイト、頼み事……というほどじゃないんだけど、お願いがあるんだ」
「はっ、はい! どんなご用でございましょうか」
特に声をひそめたわけでもなく、ごく普通の、いつも通りの調子で話しかけたはずだったが、ケイトは何を感じたのか、すっかり肩をすくませ、注意や忠告や、そういったものを受け止める姿勢になってしまっていた。
「大したことじゃないよ。次の休みの日に、テルデを案内してほしいんだ。ここに来るのはこれっきりにはならないだろうし、少しでも慣れておきたくて」
それを聞いたケイトの肩からは、目に見えて力が抜け、丸くなった目が数回瞬きしたかと思うと、口元が溶けるように綻んだ。
「はい、
「し、仕事としてじゃなくていいんだ。できればきみも休みを取って……ああ、これはフェルティアードに言っておいたほうがいいか」
口の中で呟くにとどめた声は、ケイトには届いていなかった。職務の一環でない、というゼルの言葉が発せられると、彼女はわずかに顔色を変えていた。
「あの……ゼレセアン様。お仕事でなくて構わない、というのであれば、実は、私もひとつお願いが……」
ケイトの申し出に、ゼルの胸が期待で高鳴った。彼女がこの提案を受け入れてくれるであろうことは、ニールの話もあり予想済みだった。だが、彼女自身が自分に、街を案内する以外のことで頼みたい何かがあったなど、少しも考えていなかったのだ。
ようやく自分も、騎士として頼られるようになってきたんだ――ゼルはそんな無垢な自信で頭がいっぱいになっていたので、嬉々として彼女の次の言葉を待ったが、もう少し落ち着くべきだったと、のちに反省することになった。
ケイトは何度も下唇を噛んでから、意を決したように目を閉じて、こう言った。
「その……。ね、猫を探してほしいんです!」
痛みこそなかったが、頭の奥深くを殴打され、その振動が目の裏側まで伝わってきたような感覚が駆け巡った。
どうやら、これが
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