世話係(1)

 生まれて初めての豪勢な食事を堪能したゼルは、晩餐の終幕と同時に、フェルティアードから書斎に来るよう命ぜられた。彼についていく形で向かってもよかったのだが、数時間前の馬車の旅が思い出されたので、飲み物を一杯もらい、それをゆっくりと、何回かに分けて飲み切ってから席を立った。


 食堂に向かう道すがら、フェルティアードの書斎は使用人から聞いていたので、ゼルは迷わずそこへたどり着いた。入口のそばに控えていた使用人は、ゼルを見つけるとすぐさま部屋の扉を叩き、騎士の到着を告げていた。


 書斎は、フェルティアード自身の屋敷ということもあってか、王宮の倍の広さはあった。カーテンが引かれた窓が並び、その反対側の壁の大部分は、本棚で占められている。それらを従えるように堂々と、やはり大きな机が佇んでいたが、フェルティアードはその席にはいなかった。明かりが届きにくい部屋の隅、そこにある本棚から一冊を取り出し、振り向こうとしていたところだった。


「来たか。早速だが、明日からの生活の流れと、おまえの世話をする使用人について話しておく」


 ゼルの口元が引き締まった。まるで来賓らいひんのごとくもてなされたが、そもそもゼルは騎士として、フェルティアードの休暇を利用し、学びを得るためここに来ているのだ。厳格と噂に高く、そしてまさにその通りであるフェルティアードが、ほんの二週間程度の期間であっても、何の予定も立てていないはずがないのだ。


 ともあれ、たったの二週間程度であらゆる知識を習得するのが現実的でないのも確かである。それも織り込まれてか、フェルティアードが話した詳しい予定の流れは、思っていたよりも窮屈ではなかった。

 もとより、このテルデへの帰還は、彼の療養という名目である。よって彼が担当するのは、一部の座学と剣術程度であった。ほとんどは、あのシトーレが教鞭を取るということだった。


 ゼルが少し気になったのは、使用人たちと接する時間が割かれていたことだった。確かに彼らは、それぞれの職については自分よりも豊富な知識を持っているはずだ。けれど、あのフェルティアードが、彼らにまで教師の紛いごとをさせるのだろうか?


 首をかしげるまでには至らなかったが、わずかな逡巡を見せたゼルに、椅子に腰かけていたフェルティアードは短い補足をつけ加えた。


「屋敷の者との時間は、休憩の雑談と思って構わん。彼らの目から見たものも、知識の足しにはなるだろう。これに関しては日ごとの報告は不要だ」


 勉学漬けにしたところで、所詮は地方の出身、会得しきれるわけがないと思われているのか。そんな想像をしてしまうほど、肩に力を入れる必要のない、落ち着いた生活になりそうであった。


「もうひとつ、おまえにつく使用人についてだ。誰か気に入った者はいたか」

「はっ? 気に入る、って……急に何の話だよ」


 てっきり、フェルティアードがすでに取り決めていたと思い込んでいただけに、この問いかけは意表を突かれるものだった。


「彼らはずいぶんとおまえを歓迎しているようだ。誰が担うことになろうと、存分に働いてくれるだろう。あとはおまえが、自分の意思で選べ。頼もしそうな者、話しやすそうな者、基準は好きにするがいい。ああ、もちろんシトーレは除外のうえでだ」


 どうやらフェルティアードは、自分の使用人を選ばせてくれるらしい。言われて思い起こしてみると、浮かぶ顔は年長者ばかりだ。誰もかれもが頼もしく、親しみやすいように感じられてくる。

 無意識のうちに片手が顎に触れる。毎日対話をし、顔を合わせるとしたら――と想像を巡らせる中で、ふとひとりの使用人が引っかかった。


「気に、なっただけなんだけど、おれくらいの歳の人もいたよな。確か、食べられる花が乗ってた料理を運んでくれた」

「彼女か。シトーレから聞いていたが、わたしも会うのは今日が初めてだった。働き始めてまだ日も浅いようだ」


 料理を落としたとか、派手に転んだとかではないが、注意を受ける場面が見られたのも納得できた。今日まであるじが不在だったのだから、当然客人をもてなすような食事も、茶会の類もなかったはずだ。きっと、本番の空気に緊張していたのだろう。


「基本的な仕事がやっと身についてきたところ、というのがシトーレの見立てだそうだ。多少の仕事の漏れや勘違いが起きる可能性はあるが、そこはわたしの関知するところではない。おまえが寛容であるなら、大した問題ではないだろう」


 熟練の者を推すこともなく、かと言って新人を揶揄やゆする真似もせず、フェルティアードは淡々と続けた。選択するのはあくまでもゼルであり、その材料になる事柄を、平等に与えようとしているようだった。


「悩む時間は取っていないぞ。おまえが誰かを選んだならば、外の者がすぐに知らせることになっている」


 再び立ち上がったフェルティアードの手には、さっき本棚から取り上げていたものとは別の本があった。彼はそれを、部屋の扉に近い棚へ戻しに歩いただけだったが、その動きすら、ゼルは急かされているように感じられた。


 フェルティアードの言うように、彼女は失敗を犯す可能性が考えられた。本来なら不要な、心配や不安の種を持つことになるかもしれない。教示を得ることに集中したいのであれば、わずかなものでも懸念事項は排するべきだ。

 だが、ゼルはそこまで理屈で固められた男ではなかった。確かにこの屋敷の使用人たちは素晴らしい。フェルティアードに仕えているのが不思議なほど堅苦しくなく、ほがらかだ。安心してあらゆることを任せられるに決まっている。けれども――失礼だとも思いつつ――どこか味気ないようにも見えたのだ。


 ゼルは、そう考えてしまった理由に気づいた。自分はどうやら、気軽に話せる友人を求めているらしい。年格好が近いだけで、彼女に対し、無意識のうちに同期のデュレイやエリオを重ねていたのだ。

 そんな奇妙な下心に、うしろ髪を引かれる思いはあったが、ゼルはそのひと言を声に出した。


「わかった。その人にしてくれ」


 ゼルの胸中がいかなものか、フェルティアードに推し量れたのかはわからないが、己の決断を口にしたゼルの目を見た彼は、ただ「よかろう」と返した。

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