第二章「テルデの館」

歓待(1)

 それはとうに予想していた状況だった。暇で退屈で居心地が悪くて、きっと自分は外の景色ばかり眺めているのだろうと踏んでいたゼルだったが、まさにその通りになっていた。すぐ横の――と言っても子供ひとり分の隙間はあったが――貴族の男は、腕を軽く組んだ姿勢を崩さず、目を伏せているか、時たま思い出したように遠くを見ているだけだった。もしかしたらほかに何かしらの動作をしていたかもしれないが、ゼルが盗み見たものは、たったのこれだけだった。


 当然、会話などあるはずがない。いや、するにはしたのだ。今向かっているのはテルデという大きな街で、そこにあるフェルティアードの屋敷が目的地だということはわかっている。だから、街の様子や、屋敷での予定などを聞いたのだが、それで終わってしまったのだ。

 ゼルが話の種を探しているうちに、分厚い沈黙の壁がそびえ、ふたりを隔ててしまっていた。進んで話したいわけでもなかったので、ゼルはこれ幸いと口を開かなくなったが、半分は黙り続けることに苦痛を感じていた。啖呵を切って怖がるものか、と意気込んでも、この貴族独特のぴりぴりとした空気を、平気だと断言するまでには至っていないのだ。


 王都に来た時から馬車に興味を惹かれていたゼルは、この旅路自体には舞い上がりたい気持ちでいっぱいだった。しかし同席する相手がこの男では、馬車に乗るのが楽しみだった、と言い出す気にすらなれなかった。


 ゼルはまた窓枠に肘をかけ頬杖をつきながら、まとまって見えるようになってきた家々を認めた。馬車の振動は不調をきたすほどひどくなく、むしろほどよい眠気を誘い出してくれた。しかしここで眠りでもしたら、フェルティアードの目が今まで以上に険しくなるのは確実だ。目を覚ましているために、流れていく集落の中に、何かしら目を引くものを見つけるのが、長い道中でゼルが努力したことだった。


 いくつか通り過ぎた町並みは、ゼルの暮らした村と同じくらいか、少し大きいという程度のものばかりだった。それらと交互に現れたのは、畑や林、小さな森ぐらいだ。どうしようもなくなりそうな眠りの波から、気まぐれにゼルを救い出したのは、デュレイと宿を取った集落を思い出させる、比較的大きな町だった。しかしそれも数えるばかりで、何度目かの見慣れた、的確に言えば見飽きた風景を拒否しようと、ゼルの両まぶたが重くなり始めた時だった。


 地平線上に、城が現れた。ゼルは慌てて目をしばたたく。その正体は、実際には城ではなかったのだが、眠気まなこの青年を騙すには十分な佇まいであった。


 城は、小高い丘の上に鎮座した屋敷だった。装飾は少なく、権力を誇示するような派手さは見受けられない。ゼルに城と見間違えさせたのは、古めかしい石造りの棟があったからだ。

 屋敷から丘のふもとにかけて、王都の街並みをぎゅっと縮めたような光景が広がっている。壁に囲われたその街の周りにも、あふれたように家屋が散らばっていた。


「見えたか」


 しばらくぶりに発せられたフェルティアードの声に、ゼルは振り返らず素直に答えた。


「ああ。あれがテルデの街なのか?」

「そうだ。フェルティアード領テルデ。わたしの騎士となった今、おまえにとって第二のふるさとになるだろうな」


 自身の領地だというのに、まるで他人事のような言い草だったが、ゼルの気がそちらに向くことはなかった。

 生まれ育ったウェールの村ほどではなく、しかし王都以上には馴染むことになるであろうその街は、澄んだ青空のもと、静かにひとりの騎士を迎えた。





 特別な札を見せることもなければ、馭者ぎょしゃやフェルティアードが何かを言うこともなく、門番は微動だにしないまま馬車を通した。どうやら、この馬車そのものが通行切符になっているらしかった。

 馬車が速度を落とすほど、街は人々で埋め尽くされ、活気にあふれていた。初めて来たにもかかわらず、ゼルはこのにぎやかさをうわついているように受け取った。何かを喜んでいるようだったのだ。


「なんだか、騒がしいくらいだな。祝い事でもあったのか?」


 街道を行き来する人たちに覗き込まれても恥ずかしくないよう、ゼルは正面を向きつつ、ちらちらと様子を確認していた。


「祝い事か。原因はだろうがな」


 別に何を指さすわけでもなく、フェルティアードはそう言った。


「これ?」

「この馬車、つまりわたしとおまえだ。領主の帰還、そしてその領主が騎士を伴ってきたのだ。騒がしくもなるだろうな」


 淡々とした口調だったが、その意味するところは、フェルティアードの帰着は、テルデの住民にとって一大事だということだった。それも喜びを引き連れてのものだ。ゼルの存在は、その喜びをさらに増幅するものになっていたのだ。


「き、騎士をとるって、そんなに大騒ぎになることなのか?」


 途端に、地方の寒村出身だということが気まずく思えてくる。

 フェルティアードは、この問いには答えなかった。先ほどまでのゼルのように、窓枠に肘を乗せた姿勢になっていた彼は、気に障ったのか面倒になったのか、唇の端を小さく歪めただけだった。


 しかし、この様子を見る限りでは、この大貴族はかなり領民に慕われているらしい。そうでなければ、こんなにも温かい歓迎の空気がかもしだされるわけがない。


 領主の到着が街中まちじゅうに伝わっていったのか、屋敷へ近づくほどに、馬車を眺め見送る人の数は増していった。その中には、こちらに向かって手を振る者も少なくなかった。だが領主ではなく、もっと年若い青年の姿を目にした人々は、はたとその手を止め、じっとその目を凝らしてくる。ゼルはそんな不思議と驚きと、人々それぞれがいだいたであろう感情の混ざった視線を、幾度となく受け止める羽目になってしまった。


 そんな中で、こちらを凝視せず、きびきびとした一礼をすると即座に踵を返していく者もいた。軍服のように整った身なりの彼らが、いわゆる自警団の身分であろうことは、ゼルもすぐに思い当たった。この騒ぎを見越して配置されているのかとも考えたが、それにしては観衆を見回している様子はない。むしろ姿を隠したがっているようでもある。そのくせ何度も目に入るので、衛兵のいる柵門を通過するまでに、ゼルの中にはわずかばかりの不安の芽が生じたのであった。

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