11/20 たぷたぷ

 学祭の次の日は、後片付けの名目で休みだ。ゼミの簡易メイド喫茶は昨日、後夜祭を待たずにさっさと撤収され、今日は特に何もない。 

 夕方、大学に行ってみた。閑散としているほかはもういつもの校内で、駐輪場の壁面にはがし残された、「落研スペシャル寄席!」のチラシの下半分だけが祭の名残を感じさせる。

 PC室には課題をやっている子もちらほらいたが、橘さんの姿は見えなかった。それはそうだ。橘さんは実家から通っていて、すごく遠いわけではないけどバスと電車を乗り継ぐ。なんとなく性格的にも、わざわざ休日には出てこないだろうなと思った。


 校舎の外から見ると渡り廊下にあたる部分に、小さな売店がある。今日は休みのようだ。前のベンチにも誰もいない。自販機の電気は点いている。学校っぽいといえば学校ぽい、カップに飲み物が入るタイプの自販機。ホットココアを選ぶと、ガガガ、と調子が悪そうな音がして、明らかに多すぎる、今にもこぼれそうな量のココアが注がれた。


 座って、もう一度辺りを見回してから、タブレットにイヤホンを挿した。こんな見晴らしのいい場所で「帝王の首塚ドットコム」を開くのは初めてだ。今日は、声はデフォルトの女声になっている。指先がつめたい。橘さんと、偶然会うことを想像した。私に気づいた彼女は、あれ、といつものように、ちょっと手を挙げる。


「なにしてんの」

「えっと、課題しよっかなーって」

「真面目だね、リツは」

「たち、……椿も来てるじゃん」

「やめてよー、下の名前恥ずかしいんだよ」

「えー、まえ呼んでいいって言ったじゃん」

「そうだけどさー、てか、そのココアすごい、たぷたぷだ」

「ここの自販機壊れてるよ」

「少ないよりよくね?」

「そうだけどー」


 カツン、と音がして、慌ててタブレットの画面ロックボタンを押した拍子に、買ったまま冷えかけていたココアを少しこぼしてしまった。かばんからティッシュを取り出しながらおそるおそる顔を向けると、ヒールを履いた知らない女の子が一人、こちらを見ずに横切っていっただけで、私は深く息を吐く。少し濡れてしまったベンチを拭ってから、まだたぷたぷと揺れているココアに、やっと口をつけた。

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