陸ノ巻 早朝の作戦会議

 翌日朝早く。少年の家に、二名の客が訪れた。


「よぉ、蟹の坊や。呼び出しなんて珍しいじゃねーか?」


 軽く片手を上げたのは、尖った頭の小柄な男だ。隣には力士のように大柄な男がどっしりと立っている。

 

「おはようございます。栗蔵さん、宇助さん。急に呼び出してしまってすみません」


 少年は申し訳なさそうに頭を下げた。彼らは近所に住んでいる農民だ。母親を亡くしたばかりの頃は自分の家の子のように面倒を見てくれていたが、最近の少年はすっかり成長して大抵の事は自分で出来るようになったので、今はそれほど頻繁にこの家に訪れることは無い。今日は久しぶりに、少年の方から声をかけたのだ。


「で、どうしたんだ?」


 囲炉裏の前に座った小柄な男がまず言った。隣に大柄な男も座っているが、彼は寡黙で普段から滅多に口をきかない。少年は声を潜めて、昨夜の話を二人に聞かせた。


 桃太郎と猿衛門は昨夜すっかり意気投合したらしく、ともに剣の稽古をしに出掛けたばかりだし、シロはまだ客間の布団で寝息を立てている。今なら、少しくらい内密な話をしても問題ないだろう。


「実は……」


 

「まさか猿衛門が、探してた「猿」だったとはな」

 

 全ての話を聞き終えて、栗蔵は腕を組んだ。猿衛門の事は男たちも知っているが、彼に茶色の尻尾がある事は誰も知らなかったのだ。


「でもお前、猿衛門あいつとは仲が良かったろ」

「でも、やっぱり許せないよ……」


 少年は拳を握った。昨夜のショックで彼は一睡も出来ていない。濃い隈に囲まれた赤い瞳が復讐に燃えているのを見て、無理もないかと彼は頷いた。栗蔵も宇助も、全面的に少年の味方だ。


「で。何すりゃいいんだ?」

「協力してくれるんですか!?」

「当ったり前よ! なぁ宇助?」

「ウス」


 声をかけられてようやく、寡黙な男が低い声で答える。少年はふたりの前に、ある一枚の紙を出した。


「実は、この計画に協力してくださる方がいるんです。本人は事情があって、人前に顔が出せないらしいのですが」


「なんだそれ、怪しいじゃねーか」


 栗蔵が怪訝な表情で片膝を立てた。しかし少年は首を振る。


「いえ、昨夜とても親切に相談に乗ってくれて。実は……」


 少年は蜂の化身から渡された一枚の紙を出すと、栗蔵に渡した。それを読んで彼はひとつ頷き、身を乗り出す。


「ひとまずわかった。俺たちはお前の味方だ。何があってもな」

「栗蔵さん……ありがとうございます」


 少年は座ったまま深く礼をした。そこから一層声を潜めて始まった復讐の計画。襖を挟んで隣の部屋では、シロが白い耳をピクピク動かして聞き耳を立てていた。


「(復讐が始まりますね)」

「(結局案内本ガイドの通りになったな)」


 桃太郎は畳に座って腕を組み、今後の予定を考えていた。今朝から少年の様子が不審だったので、出かけるふりをして様子を見ていたのだ。


「しかし、この案内本ガイドというのは不思議で御座るな」

「あっ! 猿衛門さん!」

「いつの間に……」


 襖から少し距離を取った部屋の隅にいる猿衛門が、いつの間にか案内本ガイドを手に取って読んでいる。渡したはずが無いのにいつの間にと、桃太郎は横目で彼を睨んだ。


「手癖の悪い猿だな」

「何処で何の経験が役に立つかわからんで御座るな」

「何の経験が生きたんだよ?」

掏摸すり

「お前! 畑だけじゃねーのかよ」

「畑の野菜だけじゃ何ヶ月も生きられまい。しかしそっちの方は、本当に困った時だけ。裕福な身なりの者を選んで少し拝借した事があるという程度で御座る」

「泥棒じゃねーか」

「紛れもなく」


 肩を竦め、猿衛門は笑った。桃太郎は呆れた視線を向けたが、ネタにして笑うくらいには過去になっているようだと少し安心もした。彼は正義感は強いが、それなりに柔軟でもある。生死がかかっているならともかく、何十年も前の小さな窃盗を掘り返して責める気は更々ない。


「……案内本それが何なのか俺にもよく分からないんだが、そこに書いてることはかなりの確率で実際に起こる。このままいくと、お前は死ぬ事になるんだが……」


「それが運命なら、仕方ないで御座るな」


 案内本ガイドを閉じて、猿衛門は寂しそうに微笑んだ。すっかり諦めているような様子を、桃太郎は意外に思う。


「お前は綺麗に死ぬよりみっともなく生きる事を選ぶ奴なんじゃねーのか?」

「拙者はもう充分生きた。最期に拙者の命であの子の心が少しでも慰められるなら、それで良いで御座る」

「ダメですよ猿衛門さん!」


 シロが襖から耳を離し、猿衛門の方を見る。一応小声の体裁は保っているが、語気は強めだ。


「死んでも良いなんて、そんな寂しい事言わないでください」


「……案内本ガイドに書かれている話がその通りなら、復讐が今のあの子の生きる理由であり、それが成功して初めて彼は前を向けるのだろう。ならばその通りにする事が、あの子から母親を奪ってしまった拙者が唯一出来る事なのかもしれないで御座るよ」


「あの少年の母親を殺したのはお前じゃない」


「しかし、拙者の過去の軽率な行動が彼女の未来を奪ったのは事実で御座ろう」


 きっぱりと言った猿衛門に、シロは真っ直ぐ視線を向けた。


「死んじゃったら何もできないんですよ。そんなので罪悪感を消そうとするなんて、それこそ「逃げ」じゃないんですか。それに、猿衛門さんが死んだら、あの子の心にもその罪悪感が刻まれちゃうかもしれないんです。それでもいいんですか?」


「それは……」


 猿衛門は案内本ガイドに目を落とした。そこには復讐で猿が死んで喜ぶ蟹の姿が描かれている。こんな風に彼の心が晴れるなら、自分は死んでも構わない。しかし、自分の死が彼の心に新たな棘として刺さるのなら。それは果たして正しい選択なのだろうか。


「俺も、今回だけはシロこいつの意見に同意だ。畑荒らしや掏摸すりについて容認するわけじゃないが、お前がここで死ぬべき奴とは思えねー」

 

 桃太郎が、猿衛門の視界から案内本ガイドを隠すように取りあげた。栗皮色の瞳が揺れるが、彼はやはり首を振る。


 それからもふたりでしばらく説得したが、彼の首は最後まで、縦には動かなかった。




 

「猿衛門さん、本当にそのまま死んじゃうつもりなんですかね」


 昼過ぎ、ふたりは礼を言って少年の家を出た。旅を続けようと歩き出した桃太郎の背中に、シロが話しかける。


「あいつがそれを望むなら、俺たちの出る幕は無いだろ」

「でもせっかく未来がわかってるのに、見殺しにするようなものじゃないですか」

「そうは言ってもなぁ」


 桃太郎は足を止め、柿の木の幹に手を置いて振り返った。猿衛門が助けを必要としていたら、どんなことがあっても助けるつもりでいた。しかし、助けを拒む者にどれほど関わってよいものか、彼は迷っている。


「忠告はしたから、これ以上は行き過ぎたお節介かとも思ったんだが……仕方ないな」


 少し迷って、桃太郎は来た道を戻り始めた。少年の家に戻るのかと思いきや、玄関には入らず裏に回り、少し向こうの家へと歩いていく。シロは不思議に思いながら、彼の後ろをぴょこぴょことついて歩いた。


「桃太郎さん? どこ行くんですか」

「決まってんだろ。お節介しにいくんだよ」

 

 やがて桃太郎がたどり着いたのは、一軒の家。トントンと叩いた木の扉の中から現れた見覚えのある人物に向けて、彼は丁寧に頭を下げたのだった。

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