漆ノ巻 ハッピーエンドの決め台詞

「只今帰ったで御座る」


 夕暮れ時。出かけていた猿衛門は少年の家の玄関の戸を開けた。桃太郎とシロは既に旅に出たが、猿衛門はもう一泊ここに世話になることにしている。


 今日は少年に頼まれて少し遠くの家に届け物をしに行き、今帰ってきたばかりだった。そこには若い夫婦が住んでいたが、夫婦ともに話好きで世話焼きのため、届け物ひとつにいつも半日もかかるとのこと。猿衛門が代わりに行ってもやはり同じで、昼過ぎにはその家に到着したにもかかわらず帰ってきたのは夕方だった。


「あれ……出かけているで御座るか?」


 家には少年が待っていると思っていたが、室内はしんと静まり返っていた。足元もよく見えないほど暗い中で、囲炉裏の火だけがぱちぱちと燃えている。


(危ないで御座るな……)


 留守番のいない室内にしては、火は勢いよく火の粉を散らしていた。この状態で場を離れるとはいささか不用心なのではないか。そんな事を思いながらも、猿衛門は冷えた身体をあたためようと囲炉裏に近づいた。


「……あっ!」


 猿衛門が囲炉裏に手を翳した時、バチッと音を立てて赤い炎が弾けた。反射的に目を瞑った猿衛門の瞼に炎の中から勢いよく弾け飛んだ何かが当たり、焼きごてのようにじゅわりと薄い皮膚を焼く。


「あぁぁあああっ!!」


 猿衛門はあまりの衝撃に自らの顔を搔き毟りながら立ちあがった。目が開かない状態で、目指すのは水があるところだ。


「みず……水……」


 一刻も早くこの目を冷やしたい。失明の危機に怯えながら、猿衛門は手探りで水瓶を探した。やっとの事で探し当て、掬う手間を惜しんでそのまま顔を突っ込もうとする。


「うわぁああぁぁーー!!」


――チクリ、と顔面に何かが刺さった。焼ける熱さとは違った鋭く刺すような痛みに、猿衛門は両手で顔を覆う。水で火傷を冷やそうという目的も忘れて、今はとにかくこの家から外に出ようと思った。


「ああ……いたい、痛い……たすけ……っ!」


 手探りで玄関まで進んだ猿衛門は、その手前で何かを踏んだ。滑る足に力を入れるがどうにもならず、身体が前方に投げ出される。


「うわぁっ!」


 飛び出すように外に出て、猿衛門は玄関の外に倒れ込んだ。腫れ上がった顔が土に塗れる。蚯蚓みみずのようにみっともなく身体をくねらせながらどうにか起き上がろうと地面に手をついたその時。


――ドスン


 と上から何かが落ちてきて、猿衛門の身体の上に乗る……筈だった。しかしそれは僅かに逸れ、猿衛門はそのまま、命からがら逃げ出した。


「お前っ! 最後の最後に失敗すんなよ!」


 玄関の内側から、小柄な男が怒鳴りながら現れた。闇に紛れる黒い服、囲炉裏の火に栗を仕込み、弾けて顔に当たるようにしたのは彼だ。


「折角上手くいってたのによぉ。昼間栗が弾ける時間を研究して、ばっちり顔に当ててやったのに」


「…………」


 責められて、屋根から降りてきた大柄の男が申し訳なさそうに頬を掻いた。屋根の上から臼を猿の上に落とす役目を担ったのはこの男だ。


「ほら、追うぞ! さっさと捕まえて息の根を止めないと……」

「いえ。良いんです……ありがとうございます」


 近くの木の影で様子を見ていた少年が現れ、遠ざかっていく茶色い尻尾を見ながら言った。犯人を殺してやりたいと思う気持ちは母が死んだ時から持っていたものだが、今は少し違う。


「気がついたんです。猿衛門さんが死んでも、おかあさんが生き返るわけじゃない。おかあさんはこんなの喜ばないって……それに、あの猿衛門さんの慌てっぷりっ……あはははっ!」


 少年は盛大に吹き出した。いつも冷静で落ち着いている猿衛門があんなに慌てるなんて、滅多に見られるものではない。久しぶりに子どもらしく笑った少年を見て、男たちも安心したように微笑んだ。


「ま。良かったな……俺たちも殺しをせずに済んだし、少年の気も晴れたなら最高だ!」

「ウス!」

「ありがとうございます。蜂さんも……あれ?」

「そういえば蜂の奴どうしたんだ?」

「さっき羽の音がしたので、水瓶のところから外に出てきたと思ったんですけど……」

「行っちまったのか?」


 蜂の化身と名乗る怪しげな影は、少しの気配も残さず消えていた。


「ま、良いか。今日はこの臼で餅でもついて食べようぜ!」

「今からですか? もう遅いですけど……」

「いいじゃねーの。月夜の餅つきなんて乙だろ」

「なら、ちょうど作ってみたいものがあるんです。桃太郎さんが世界一美味しいって……」

「桃か?」

「いえ。お団子なんですけど……」


 復讐を遂げた蟹と栗と臼は、その晩おそく、団子で祝杯をあげた。


          ◇

 

 

 そして皆が寝静まったあと、夜風に揺れる柿の木の下に、ひとりの男が歩み寄る。

 

「完璧な計画でしたね」

「協力感謝する」

「……ウス」

 

 木の裏側から、とうに旅に出たはずの桃太郎とシロが現れた。男はひとつ頷き、紺色の包みを差し出す。


「おっ! これは……」

「うわぁ! 美味しそう!」

 

 その場で包みを開いた桃太郎は嬉しそうに笑い、隣で見ていたシロは涎を垂らす。中身は、桃太郎が雑談交じりに少年にレシピを伝えた「きび団子」だ。


「いっただっきまーす!」

「こら! 俺より先に食うな」

「いいじゃないですかー。皆に貰ったんだし……桃太郎さんのドケチ」

「ドケ……わ、わかったよ。食えよ。ほら、お前もどうだ?」


 桃太郎は頭上に丸い団子を翳した。枝と見紛うほど木に馴染んでいる茶色い尻尾が戸惑いがちに揺れる。


「降りて来いって」

「いや……拙者は」

「何だよ、お前もノリノリで演技してたじゃねーかよ」

「すごい名演技でしたね! 本当に痛そうに見えましたよ」


 揶揄うようなふたつの視線に耐えかねて、ようやく猿が木から降りてきた。顔面を焼かれ蜂に刺されたはずの彼は無傷だ。手に持っているのは木を薄く削って作った即席の仮面のようなもので、表面にはもち米を潰したものがべっとりと付いている。


 猿衛門が玄関を開ける前に背後から桃太郎が仮面を被せ、罠にかかった演技をしながら焼き栗と蜂による襲撃をこの仮面で代わりに受けるように伝えたのだ。あまりに急な事でつい言われるがままに演技してしまった猿衛門は、未だ微妙に納得がいかなそうな表情をしている。

 

「何とも姑息な手を使ってしまったで御座るな」

「今更だろ」

「しかし……やはり拙者は、あのまま潰されていた方が……」

「何言ってるんですか。人生一度きりなんですから、生きられるだけ生きなきゃ勿体ないじゃないですか」

「お前のそういうとこ、能天気でいいよな」


 きっぱり言い切ったシロに、桃太郎が笑った。早朝の作戦会議の様子を見て、寡黙で大柄な男なら味方になってくれるかもしれないと家を訪ねて頭を下げたのは桃太郎。そしてもち米付きの仮面を作って今回の作戦を立てたのは、意外にもその大男である。


「かたじけない」


 針と焼き栗が貼り付いた仮面を見せて、猿衛門は頭を下げた。男はじっとそれを見おろして、そして臼のように重い口を静かに開いた。


「……復讐では……幸せにならない」

 

「お前普通に喋れるのか」

「ウス」


 驚きに目を見開いた桃太郎に男は頷き、緩慢な仕草で少年の家の方向へと歩き出す。猿衛門は慌ててその大きな背中に声をかけた。


「拙者が言うのも何ですが……少年の事、よろしく頼むで御座る」


「ウス!」


 今までで一番声を張り上げて、男は拳を天に伸ばした。そのまま遠ざかっていく背中を見送る猿衛門と桃太郎。シロはその間、両手にきび団子を持って順調にその量を減らしていた。

 

「ありがとうウスさん! ……このきび団子すっごく美味しいですよ。食べましょうよ」

「お前食い過ぎだろ! そしてお前はひとつくらい食え」

「いや、拙者は……」

「ほら」


 桃太郎はしきりに遠慮する猿衛門に、きび団子を差し出した。拒否は受け付けないと言わんばかりの強い眼差しを、猿衛門の戸惑いがちな瞳が映す。


「お前が記憶に残すべきなのは、柿の冷たさじゃなくて握り飯のあたたかさの方だろうが」

「…………」


 猿衛門はきび団子を手に取り、口に入れた。あの日の握り飯とは違うが、感じるあたたかさはとても似ている。


「…………拙者は、生きていてもいいので御座ろうか」

「当り前だろ」

「私も死ぬところを桃太郎さんに助けられましたし、案内本ガイドから逸れた仲間ですね」


 桃太郎は頷き、シロは案内本ガイドをひらひら振った。「花咲か爺」で死ぬはずだった彼女と今の猿衛門は、確かに境遇が似ている。そういえばあの時も途中で文章や挿絵が変わったのだと思い出し、桃太郎はシロの手から案内本ガイドを取り上げた。


「あ! ちょっと、返してくださいよ!」

「いつお前のものになったんだよ……ほら、運命は変えられるんだよ。猿衛門も見ろ」


 桃太郎は柿の木のページを大きく開いて猿衛門に見せた。鮮やかな実を付けた木の少し向こうに、命からがら逃げだした猿の絵が書き足されている。


「……逃げ出した猿の姿を見て、蟹は復讐の愚かさを知った……確かに、最後の部分が変わっているで御座るな」

「なら、お前は生きて役目を終えたってことだ」


 不思議そうに案内本ガイドを読む猿衛門に、桃太郎は手を差し出した。


「俺たちと来ないか?」

「そういえば、桃太郎殿は何の旅を……」

「鬼退治だ」

「鬼退治?」


 予想外の言葉に驚いた様子の猿衛門に、桃太郎は旅の目的を話す。しかし恐ろしい鬼の島へ乗り込むと聞いても、猿衛門はそれ以上顔色を変えなかった。


「一度は命を失うことも覚悟した身。もう若くはないで御座るが、この身で役に立てる事があるのなら喜んでお供いたす」

 

 猿衛門はしっかりと頷き、桃太郎の手を掴んだ。固い握手を交わし、月が照らす道を進むのは、犬と猿をお供に連れた日本一の桃太郎。再び案内本ガイドを開いた桃太郎に促され、猿衛門が首を傾げながら自信なさげに口を開いた。


「めでたしめでたし……で御座るか?」

「もっとしっかり言わないと締まらないだろーが」

「しかし、これには何の意味が……」

幸運な結末ハッピーエンドの呪文ですっ!」

法被はっぴ……遠藤えんどう……?」

「たぶんそれじゃねぇわ」


 

 賑やかに遠ざかっていく三人。その様子を陰から見るのは、「蜂の化身」を名乗る影。


 

「桃太郎……「犬」に加えて「猿」までも助けやがって……」


 

 整った眉をキリリと引き上げ、青い瞳に闘志を燃やし、鋭く尖った「針」を隠して闇夜に紛れる男がひとり。



「なにが幸運な結末ハッピーエンドだ。「物語」を滅茶苦茶にした罪、必ずや償わせてやる」

 


 苛立ち交じりに零れた言葉は、柿の木だけが聞いていた。

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