第18話 願いの代償/菜月②

 菜月を抱えたまま、黒斗は物陰に隠れて迫る光をやり過ごし、乱れた呼吸を整えている。慰霊碑からここまでそう距離はないものの、人一人担いでの移動は、黒斗でなくとも重労働だろう。ましてや、彼は体格に恵まれている訳ではない。こんな状況でなければ、よくがんばったと褒めてやりたいところだ。


「で、どうして逃げる訳?」

「逃げるに決まってるだろ。死にたいのか?」

「そうじゃないけどさ。でも、このまま放っておいたら、最悪大量に死人が出るんじゃないかって……」


 菜月がそう言うと、黒斗は大きくため息を吐く。


「アホか。今回の事件は、放置してもたぶん死人は出ない」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「話しててわからなかったのかよ。道真公には悪意がない。殺すつもりで呪いをかけたなら、対象者はとっくに死んでるはずだ」


 道真公に関する曰くくらいは、菜月でも知っている。菅原道真と言えば、日本三大怨霊に名を連ねる大怨霊。その呪いが簡単に人を殺めるのは言うまでもない。


「で、でも、それなら何で、道真公は田原さん達に呪いをかけたのさ」

「そこがわからない。たぶんあのSNSアカウントが関係してるんだけど、道真公が黒幕とは考えにくいんだ」

「それって、道真公を手駒として使っている何者かがいるってこと?」


 神様を手駒にするなど、いったい何者ならば可能なのだろうか。神様の上下関係など知らない菜月には、全く思い当たる節がない。


「お前を狭間に引き込んだもの、たぶんその黒幕だよ」

「そうなの!?」

「あんまり大声出すな。あの光に見つかる」


 そう言われて、菜月は慌てて口を両手で塞いだが、「はて?」と疑問符が浮かぶ。


「あの光って何なのさ。何かしつこくこっちのこと探してるっぽいけど……」

「あれはそういう術式って言うか……。分霊って言うか……」


 言葉の歯切れが悪いのは、恐らくその手の事情に疎い菜月にもわかりやすい言葉を探っているからだろう。分霊と言うくらいだから、ある程度は自らの判断で動いているということか。


 非常に興味深いが、それに触れたら死が確定すると言われれば、多少の恐怖も湧くというもの。一度は決めた覚悟も、お米様抱っこの衝撃の前に儚く散っている。少なくとも、黒斗がこちらを助けようとしている間は、おいそれと命を投げ出すのは違うと、菜月は思っていた。


「……で? これからどうするの?」

「もう一度道真公に接触して、別の形で話をつけるしかないだろ」

「あの光から逃げながら?」

「一度発動した術式を解除出来るのは、術者本人か、術者より格上の奴だけだからな。そうなる」


 打てる手は少ないと、そういうことらしい。


 光の移動速度は人が歩く程度と、然程速くないものの、常に最短距離で移動してくるので、気を抜くことは出来ないだろう。だとすれば、こうして黒斗と行動を共にするのは、状況的に効率が悪いのではないか。


「それはダメだ」


 まるでこちらの思考を読んだかのように、黒斗が口を挿んだ。今まさに「別行動しよう」と言いかけていた菜月は、面食らって言葉に詰まる。


「藍川が1人でいる間に、あの光に追いつかれたら終わりなんだからな。別行動なんてもってのほかだ」

「で、でも、光から逃げながら交渉なんて――」

「それは気にするな。言ったろ? こっちには奥の手がある」


 確かに、公園に来る前に、黒斗はそのようなことを口にしていた。しかし、それが何であるのか、菜月は知らない。そんな状況で、本当にそれに賭けてしまっていいのだろうか。


「おい、藍川」


 急に、黒斗の声色が変わる。真剣みが増したと言うか、何やら覚悟を決めたような、そんな雰囲気を醸し出していた。


「これから俺が言うこと、絶対に口外するなよ」


 その後、彼が口にしたことは、とても衝撃的で、菜月は思わず大声で叫んでしまう。結果、例の光に見つかり、またしてもお米様抱っこのまま公園内を駆け巡る羽目になるのだが、幸い他に人がいなかったので、黒歴史に刻まれることだけは避けられたのだった。

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