第17話 願いの代償/菜月①

 「菅原道真」という名前を聞いて、菜月は今も持ち歩いているお守りのことを思い浮かべた。全般的に学業の成績がかんばしくない彼女だが、こと日本の神様についての知識だけは他人ひとより多く持っている。別に日本神話に思い入れがある訳ではない。あくまで神頼みの対象として、どの神様に、どんなご利益があるのかを、インターネットを使って調べまくった過去があるだけだ。


 ともあれ、目の前にいるのが、ただの幽霊ではなく神様だと言うのであれば、これはえらいことである。本物の神様に出くわす機会など、まずないと言っていい。何かを頼むなら今のうちだと、菜月の脳みそは全力でこの場に相応しい願いごとを探り始めた。


 そして数秒後。菜月の口から出たのはこんな願いごとだったのである。


「最近、体調を崩した友人がいるんです。何とか助けてあげられませんか?」


 菜月は、今回の騒動の元凶が目の前の道真公であることを知らない。にもかかわらず、紡ぎ出された願いは、的確に騒動を静めるものであった。傍で聞いていた黒斗も、これには大層驚いた様子。開いた口が塞がらなくなっている。


「って、学業の神様にこんな願いごとをするなんて変ですよね? でも何ででしょう。これが一番いいような気がしまして……」


 対する道真公の顔は真剣だ。固く口を結び、睨むまで行かなくとも、菜月を見据えるその眼光はとても鋭い。


「ふむ。真相を知らぬままに、真実を射抜くか。世が世なら、妖怪変化にとって恰好の供物であったろうが……」


 道真公の意味深な一言も、菜月には理解が出来ない訳である。しかし、次いで口にされた一言の意味は、すぐに理解することが出来た。


「して、願いを叶えるにあたり、そなたは何を差し出す?」


 菜月は知っている。神様に願いを叶えて貰うのは、本来ただではないのだ。だからこそ、日本でも古くから、豊作祈願の捧げものなどがされるのである。


 今回の菜月の願いは、要約すると不特定多数の人間の救済。それほどの奇跡を起こすにあたり、どれほどの対価が必要となるのか。流石にそこまで見出みいだせるほど、菜月の直感は磨かれていない。


「おい、藍川。神様相手に交換条件なんてろくな結果にならないからやめておけ。最悪、お前が死ぬぞ」

「でも、こうしないと田原さん達があのままなんだよね? それは何て言うか、ダメだよ」

「他人のために命を投げ出す気か!? お人好しってレベルじゃないぞ!」

「そうかもね。それでもさ――」


 怖くないと言えば嘘になる。それでも、菜月は精一杯の笑顔を浮かべてこう言った。


「誰かが困っていて、本気で相談されたのなら、こっちも本気で受け止めなきゃダメじゃん?」


 それを聞いていた道真公は、菜月の覚悟を認めたのか。目を閉じて、黙り込むこと数秒。再び目を開き、菜月を真っ直ぐに見据えてから、言葉を紡いだ。


「その覚悟、確かに受け取った。そなたの願いを叶えよう。他者の命を救おうというのだから、当然代償は、そなたの命の時間だ」


 道真公の右手の平がこちらに向き、何やら光を発する。それがとても恐ろしいものだということは、菜月にもわかったが、身を隠すという選択肢はない。これで田原姉妹を始めとした、どこかにいるであろう見ず知らずの被害者は救われるのだ。想定したより規模は大きくなってしまったものの、これでクラスメイトからのお悩み相談は、解決という形で閉幕することが出来る。


 後悔はない。自分可愛さに誰かの不幸を見過ごしたとあっては、他の誰でもない、自分自身に顔向け出来ないからだ。


 道真公の手を離れた光が、こちらに向って来る。菜月はそれを受け入れようと、両手を広げて光を迎えようとした。しかし――。


「その契約、待った!」


 突如、おごそかな空気を切り裂いて、黒斗の声が周囲に響く。そして次の瞬間。菜月の身体は彼によって担ぎ上げられ、光から逃れるように移動を開始した。


「ちょっ、皐月原君! 何するのよ!」

「何って、お前がバカな契約しないで済むように逃げるんだよ!」

「にしたって、持ち方ってものがあるでしょう? お姫様抱っことか!」

「俺の筋力じゃ、お前の体重を両腕だけじゃ支え切れないっつ~の! 大人しく担がれてろ!」


 身体をくの字させられ、肩に乗せられる姿は、まるで米袋のよう。故に、この体勢は、一部の人間にこう言われる。


「お米様抱っこってどういうこと~!?」


 菜月の叫び声が、公園中に響き渡った。

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