どうせみんな死ぬ。~ふたり~

さくらのあ

トリニティペアーズ

 あの日。まながいなくなって、八年が経ったあの日。


 私は、ユタザバンエ・チア・クレイアの生誕祭に参加し、愛しい人――あかりと、再会し、幾度目かの思いを告げた。


 引き留める私の手を、優しく解こうとする彼を、私は、離せなかった。ずっと離せないでいるから、あかりは、すごく、悲しそうな顔をして、


「いいよ。これからは、ずっと一緒にいよう」


と言ってくれた。――言わせてしまった。



 翌日。


 ユタザバンエ・チア・クレイアの訃報とともに、マナ・チア・クレイアが魔王に即位したと報せが入った。


***


「ずっと、一緒にいようって、言ったくせに……!」


 私は、愛する人を、またしても紙切れ一つで失ってしまった。


 ――勇者と魔王は、互いを互いにしか殺せない。


 それは、ルールではなく、契約。首を切ろうと、心臓を貫こうと、頭を割ったとしても、勇者と魔王は、互いにしか殺せない。


 先代魔王のユタが自殺し、私の大好きなまなは、魔王になった。


 だから、あかりは勇者として――国王として、魔王を、倒さなくてはならない。


 けれど、国の女王である私は、あらゆる方法でもって彼を止めた。彼が死地に赴かなくていいように手を回した。


「この戦いが終わったとしても、大丈夫だよ。僕かまなちゃん、どっちかは生き残るからさ」


 それだけを書いた紙が、机上に置かれていた。初めに出てきたのは、とめどなく溢れ出る、彼への悪態だった。


「ごめんね」


 そのあとで、意味のない謝罪とともに、無価値な涙が流れた。


 汚い字で、いつもなら読めないくらいなのに。こんなときだけ、すぐに分かってしまう。


 どっちが勝つかなんて、分かりきっているくせに。諦めでも、決めつけでも、侮蔑でもなく。


「あなたは絶対、まなさんに勝てないのに。どうせみんな死ぬのに」


 人間たちは、あかりが戦うことを、満場一致で望んでいる。その上に立つ、私だけが反対している。それも、完全な私情で。


 人々の感情も、抑えきれなくなってきて。それでも、どうしても、戦わせるのが嫌で。彼一人を守るために、多くの人々を死なせた。殺した。


 その矛先が私に向くのを、彼は恐れたのだろう。


「嘘をつかせて、ごめんね」


 紙切れを置いて旅立つ前も、彼は、得意の笑顔を装って、


「ちょっと、そこまでトンビアイス買ってくるね」


 なんて言って。


「また、みんなで食べよう」


 ほんの少しだけ、未練を残して。


「行ってきます!」


 まるで、帰ってくるみたいに明るくて。


「トンビアイスが、食べたい」


 朝の授業前、昼休み、放課後。まなと、あかりと、みんなで揃ってアイスを食べる、何気ない時間が、思い出されて。


「あなたは、ただいまを……いつ……、いっ、つ、持って、帰って……くれ……っ」


 それに、おかえりと返す今が、いつかこうやって終わりそうで。ずっと、怖かった。


 私はもう、彼に二度と、おかえりを言えない。


「――私に、まなさんを憎ませたこと、絶対に、許さないから」


 だって、あかりを殺すまなを許すことは、永遠にできないから。


***


 もし、過去に戻れるなら。私は、いつまで戻ればいいのだろう。


「まなちゃん、止めに来っ――舌噛んだ」


「……あかりって、決めようとするとダメよね」


 勇者と名乗るだけあって、魔王城の玉座に座る私に、彼はたどり着いて、剣を刺し向けていた。


 初めてだ。この椅子に座ったあの日から、この場所に人間が来たのは。


 私は頬杖を突いて、届かない足を組んでいた。この玉座は、私の身の丈にあまりすぎる。


「あんたが死んだら、あの子が悲しむのに、どうして来たわけ?」


「戦う前から勝つ前提なの酷くない?」

 

「もう死んでるわよ」


 空気中の原子で線を作ったものを束ねて、細い糸のようなものをつくり、首を刈り取ってある。


 試しにコンマ一秒にも満たない間だけ、ぱかっと首を切り開いてみれば、あかりは喉元に手を当て、冷や汗をかきながら、ニヤリと笑った。


「神経を繋いでるから思考できるだけ。とっくに死んでるわよ」


「あーあ、失敗したなあ。君は、あの子が悲しむようなことは、しないと思ってた」


「あたしには、お姉ちゃんとハイガルさえいれば、何もいらないもの」


 お姉ちゃんとハイガルは、私が前魔王から殺されそうになったとき、助けてくれた。


 ――私はそんな二人を助けるために、願いを魔法の力に変えた。


 前魔王は、どういうわけか、魔王の血筋を滅ぼした。生き残りは、私だけ。


「お姉ちゃんとハイガルと、三人で笑って暮らせる国を、あたしは作りたい。――だから。お姉ちゃん以外の人間は、滅ぼさなきゃならない」


 人間と魔族との戦争は、どちらかが滅びるまで、終わらないのだから。


「人間の王様は今、あの子なんだからさ。今後は戦争しないって約束すればいいじゃん。簡単でしょ?」


「あたしは魔族で、あんたとあの子は、人間なのよ。あたしは三百年生きる。でも、二人は百年も生きられないかもしれない。――百年の平和があったとしても、その後には二百年の地獄が待っているだけ」


 どうせみんな死ぬ。私を残して。


「でもこうやって猶予をくれるってことは、まだ迷ってくれてるんだ?」


 私に、人の心を期待するような言葉は、どこまでも冷え切った、諦観した黒い瞳で、軽い響きで告げられた。


「あの子が悲しむから。――迷ってるわけじゃないわ。覚悟を決めてただけよ」


 すぱっと、神経を刈り取り、絶命させ――、


「待って待って! 最期に、一つだけ」


 もう、覚悟は決まった。あかりが言い終えたら、それが合図。続く言葉がなんであれ、迷わず切る。


「マナは、君のことが大好きだよ。今でもね」


 刹那、心が触れた。


 その一瞬で、彼は私の頭を、魔法で撃ち抜いていた。


「そんな無意味なことされても、痛いだけじゃない」


 撃ち抜かれた頭を魔法で再生して、直った口でそう悪態をつく。


 けれど、絶命した彼の顔は、ピクリとも動かない。その顔で即死だったのだと悟る。


「そんな顔で死んで。あんた、あたしに罪悪感が残らないよう、わざと撃ったでしょ」


 清々しい。悔いなんてないような。一人だけやりきったみたいな、すっきりした顔で。


「……そのくらい、いくらあたしが馬鹿でも、分かるわよ。本当に、痛いわね」


 私はもう、マナに許してもらえないだろう。あんなに私のことが、大好きだったのに。


「マナが可哀想だわ」


 その時、原子の糸がすべて切られる気配がした。


***


 ――死ぬときに、一番最後まで残るのは、聴覚だったっけ。


 不思議と首元に痛みはなくて、何も見えなかったけれど、音だけは聞こえていた。


「返して」


 怒りを纏ったその声は、僕の首を切った何かを排除しながら、繰り返す。


「返してよ……っ」


「あたしが殺したの。返すことはできないわ」


 きっと、彼女たち二人は、同じ感情だっただろう。それを剥き出しにして燃やしているか、それを必死に押し殺して凍らせているかの違いだけだった。


 何かが違えば、僕の死を悼んで一緒に悲しむことだってできたはずだった。だって、二人はあんなにも仲がよかったんだから。


 あーあ。どこで間違えちゃったんだろう……。


「ぅぁぁあああああ!!!!」


 喉が壊れそうなくらいに叫んで、あの子はまなを懸命に殺そうとする。ぐちゃぐちゃと肉の抉れる音と、ぽたぽたと血の流れる音がする。


 けれど、


「何をしたって無駄よ。あたしは、死なないわ」


 あの子は、勇者ではない。


「何回殺したって、私はあなたを、許せない」


「――いいわよ。何回だって殺されてあげる」


 痛みを感じないわけではないだろう。それでもまなが平然とした声を続けるのは、自身への罰と捉えているからか、あの子の復讐の手を止めないためか。


 いずれにせよ、死んでしまった僕は、無力だ。


「あかりは、あなたを殺せなかった。なのに、どうして――」


「だって。勇者を見逃したら、魔王としての信頼がなくなるじゃない」


「そんな、ことのために」


「魔王カムザゲスは、そんなくだらないことのために、あたしとお姉ちゃんを、折檻した。――それなのに今、あたしは、同じことをしているの。同じように、大切な人を傷つけているのよ」


 だんだんと、意識が薄れてきた。そろそろ、本当に終わるのだろう。


「だから、もう、止まれないの。あたしにとって、一番許せないことをしてしまったのだから」


「それでも、私はあなたを、あかりを、愛してる」


「――ごめんなさい」


 ぷつんと、終わるときは一瞬で。声の一つも聞こえないまま、ドサッと、何かが落ちる音がした。


「最期ぐらいは、二人仲良く並ばせてあげる。もし、次があるなら。死ぬまでずっと、トンビアイスを一緒に笑って食べられるような、そんな世界で会いましょう」


「最期に、三人で話せなかったわね。……まあ、あたしたちは、二人が三つ集まったようなものだったから」


「それぞれの終わりのときに、二人きりでよかったのかもしれないわね」


 もう何も聞こえない。

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