15 はじめての家具

 それから小一時間後。部屋の隅に生えたキャットタワーの頂点で、毛繕いをしているもちさんがいました。

 勝利の凱歌のように、大音量で喉を鳴らすもちさん。それとは対象的に、わたしは五体を床に投げ出しシクシクと呻いていました。


「う……うう……もちさんの、わからずや……!」


 わたしはもちさんに不満を抱いたことはあまりないのですが、この時ばかりは恨み節を漏らしていました。

 しゃがみこんだきらりんさんが、わたしを慰めてくれています。


「家具ならまた手に入るんじゃない? だから元気だしなって。しっかし、もちって結構ガンコレストなんだね」


 言い負かされそうなわたしを見かねて、きらりんさんもいっしょになって説得してくれたのですが、もちさんには通用しませんでした。

 猫さんというのは気まぐれなものですが、もちさんは一度こうと決めたことはちょっとやそっとのことでは覆さない、初志貫徹猫さんなのです。


 わたしはさめざめとした顔をあげ、空にそびえるしろがねの城を見上げます。

 それは天井に届くほどの高さで、爪とぎや猫じゃらし、ボックス型の小部屋やハンモックまで完備したデラックスなものでした。


 こんな豪華なキャットタワーはうちのアパートには置けません。置いたら最後、床が抜けてしまうことでしょう。

 もちさんはあっぱれといった表情をしていたので、きっとわたしと同じで自分の城が欲しかったのでしょう。


「まあ、もちさんの夢が叶ったのなら……」


「ねぇねぇひなっち、外ってどうやって見んの?」


 きらりんさんが空気を入れ換えるみたいに、話題を変えてきました。

 たぶん、気を使ってくれているのだと思います。


 わたしは気を取り直すと、きらりんさんを連れて宝箱から顔を出します。

 いつもより低い視界が珍しいのか、きらりんさんはあたりをせわしなく見回していました。


「うわぁ、すごいすごいすごい! 隣にちっこいひなっちがいる! なんか、ふたり乗りのブランコに座ってるみたい!」


 いまのわたしたちは幼子のような見た目ですから、言い得て妙かもしれません。

 きらりんさんは歩きたがったので、歩く方法も教えてあげます。

 彼女は数歩歩いただけで、弾けるように笑っていました。


「あはは、なんか変なカンジ! 二人三脚やってるみたい!」


「にゃっ!」わたしたちの間ににゅっと顔を出したもちさんが抗議してきます。


「あ、ごめんごめん、三人四脚か! じゃ、そろそろ行こっか! 帰りの旅に、スターテスト!」


 船長のように勇ましく、村の外を指さすきらりんさん。

 その合図に合わせ、わたしたちは船を漕ぐようにえっちらおっちらと歩きはじめます。


 通りすがりのヤギたちがメェ~と、村の人たちも声を掛けてくれました。


「おっ、きらりん、もう行っちまうのかい? がんばれよ!」


「あんたがウワサの腕輪持ちかい!? 今度はうちにも寄っておくれよ!」


 きらりんさんは宝箱から身を乗り出す勢いで、手をぶんぶん振り返していました。


「ほらほら、ひなっちも手を振って!」


 きらりんにそう促されたのですが、わたしはちょっと気後れします。

 だって村のみなさんは、きらりんさんのことを……。


「おおっ、ひなっち! かぶりものはやめたんだな、そっちのほうがずっといいぜ!」


 その声に、わたしは頬が赤くなるのを感じながら、ちいさく手を振り返します。


「また、いつでも来てくれよな! あんたたちながら大歓迎だぜ!」


 多くの声援に背中を押されるようにして、わたしたちは村を出ました。

 目指すは、村はずれにある転送ゲートです。

 きらりんさんは颯爽と言いました。


「ああっ、なんだか走りたい気分! ひなっち、もち! ランゲストしよ!」


「あっ、はい」「にゃっ!」


 誰からともなく、ちょこまか足を動かします。すると3人がかりであることや、以前習得したスキルが効いたのでしょう。

 わたしたちは一気に加速し、草原を駆け散らす速さで横切っていきました。


「わぁっ、ファーステスト!」「あっ、はい」「にゃーっ!」


 遠くに見えていた、灯台のような光を放つ東屋がぐんぐんと大きくなっていきます。

 額に汗が浮かんできましたが、心地よい風のおかげでちっとも嫌な気分ではありません。

 わたしたちはもっと早く、もっと早くという気分になっていました。

 きらりんさんは息を切らしながら言います。


「みんな、いっしょにね! 抜け駆けしちゃダメだからね!」


「あっ、はい、わかりました」「にゃっにゃっ!」


「「「……ゴールっ!」」」


 3人揃ってバンザイをしながら、魔法陣の中へと飛び込んでいきます。

 まばゆい光に包まれながら、わたしはこんなことを考えていました。


 ……いまもちさん「ゴール」って鳴いたような……?



◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 気づくとわたしは、『到着ロビー』なる看板を掲げた、窓のない小部屋にいました。

 目の前には、警備員のような格好をしたエルフさんと、受付嬢のオペレッタさんがいます。

 背中には、リュックサックともちさんの感触。視線を落としてみると、スウェットではなく学校の制服を着ています。

 もちろん、宝箱はどこにもありませんでした。


 大草原からいきなり無機質な部屋への転送。そして非日常のような格好から、日常的な格好への変身。

 わたしはキツネさんとタヌキさんに両側から頬をつままれたような、不思議な気持ちでいっぱいになっていました。


「……あ……あの……」


「おかりなさいませ。初めての特区、いかがでしたか?」


 オペレッタさんがくれた笑顔は、鎮静剤のようにわたしを落ち着かせてくれました。


「あっ、はい……楽しかった……です……」


「それはよかったです。こちらは現在、お客様がお見えになった日の、夕方6時です」


 きらりんさんの言っていたことは本当でした。

 そしてわたしはいまさらながらに、きらりんさんがいないことに気づきます。


「あっ、あの、すいません、きらりんさん……いっしょにいた人は、どこに……?」


「お連れの方でしたら、こちらとは別の到着ロビーにおられます。特区ステーションではプライバシー保護のため、別々のロビーに出る決まりとなっておりますので」


「あっ……そうなんですね……」


 次元のはざまに飲み込まれて行方不明になった、とかではないようなので一安心です。


「さて、戻った早々でお疲れかもしれませんが、保安検査を受けていただきます」


「あっ、はい……」


 保安検査は行きの時と同じく、簡単な身体検査と手荷物検査でした。

 リュックサックの中から空気の入ったビニール袋が出てきたときはちょっとドキッとしましたけど、没収されることはありませんでした。


「お疲れ様でした。それでは、こちらをお返しします」


 オペレッタさんが差し出していたのは、わたしのお弁当箱と水筒でした。


「あ……ありがとう、ございます……」


 手に取ってみると、お弁当箱は温かく、水筒は冷たいままでした。

 わたしの質問を見越していたのでしょう、すぐにオペレッタさんが教えてくれました。


「痛むといけませんので、お預かりしている最中は冷蔵庫の中に保管しておりました。私どもエルフの冷蔵庫は、物体ではなく時間を凍結させるのです」


「はぁ……」


 なんだかよくわかりませんでしたが、できたてを保持してくれていたようです。


 オペレッタさんに見送られて到着ロビーを出ると、そこは多くの人たちでごった返していました。

 アロハシャツで日焼けした人や、厚着にスノーボードの板を持った人、大きなトランクをカートに積んで運んでいる人……みなさん、自分なりの特区をエンジョイしてきたのでしょう。


 人波をぬって特区ステーションの外へと出ると、目に染みるような夕焼けと、ネオンがともりはじめた街がそこにありました。

 ずっと、長い夢を見ていたような……。いや、夢はまだ続いているような……そんな気分でした。

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