14 はじめての朝

 なんだか、鼻がムズムズします。指で鼻をこすったのですが、そのむず痒さはしつこく付きまとってきます。


「くしゅ!」


 くしゃみをした途端、目が覚めました。

 寝過ぎたのか、目がショボショボします。


 瞼をゆっくりと開けると、窓から差し込む陽光をバックに、ヴィーナスのように寝そべるきらりんさんがいました。

 まだ頭がボンヤリしているせいか、その姿はこの世のものならざる美しさでした。

 そばには、お座りをしているもちさんがいます。


 きらりんさんと目が合うと、彼女はニカッと笑いました。


「おはよ、もうすぐ昼だよ」


「えっ……そう……なんですか……?」


 わたしがアクビをすると、それが移ったのか、きらりんさんともちさんも大口を開けていました。


「ふたりとも、早くに起きてたんですか?」


「うん。することなかったから、ひなっちの寝顔を見てた」


 わたしの寝顔なんて、娯楽という言葉からもっとも縁遠いものだと思うのですが。


「途中で、もちが寝顔をチョイチョイやりだしたから、どこまでやって起きるかゲームをもちとやってたんだよね」


 前言撤回です。まさかわたしの寝顔で、黒ひげさんも危機一髪なゲームが可能だったなんて。


「いやぁ、ラッキーだったね。朝起きてすぐにいいことあるなんて、人間合格っしょ」


「いいこと? なにがですか?」


「あーしの番で起きなかったら、次はもちが爪でなんかするところだったんだよ」


「にゃっ」


 もちさんが片手を挙げ、爪をシャキンと出します。わたしは背筋が寒くなりました。

 危うくゲーム感覚で、顔に一生残るかもしれない傷を付けられるところでした。


「それにしても、ひなっちってばメチャ寝付きいいんだね。けっこういろいろやったけど、なかなか起きなかったから」


 実はこのあと洗面所で顔を洗ったのですが、鏡を見て顔に落書きされているのに気づきました。

 しかしこの時点では気づいていないので、尋ね返すわたしはかなりお間抜けな顔だったに違いありません。


「え……そうなんですか……?」


「うん。そんなんじゃ毎日寝坊なんじゃない?」


 寝坊した理由はなんとなくわかりました。

 わたしはいつも、母が作ってくれる朝ごはんの匂いで目を覚まします。

 この部屋は干し草の匂いがするのですが、干し草は食べられませんので、目覚ましのかわりにならないのは当然といえるでしょう。


 朝の雑談もそこそこに、わたしたちは起きだしました。顔を洗ったあとに階下の酒場へと降りていきます。

 酒場はわたしたち以外の客は誰もおらず、貸し切り状態。チーズいっぱいの朝食をいただきました。


 だいぶ遅めの朝食。いわゆるブランチというやつです。

 ブランチという言葉はセレブ用語で、テレビで知りました。

 三食きっちりいただくこのわたしが、まさかこのような形でセレブ体験をするとは……人生というのは本当にわからないものです。


 酒場のご主人にはすっかりお世話になったので、去り際にお礼を言うと、こんなことを言われました。


「いいって! 初めて腕輪持ちに会えて嬉しかったぜ! よかったら、また来てくれよ! あと、友達とかにも宣伝しといてくれよな!」


「オッケー! おじさん、任せといて! あーしの友達にジャンジャン言っとくから!」


 わたしには友達はいませんので、宣伝はきらりんさんにお任せしましょう。

 それから酒場を出たわたしたちは、村の外に向かって歩きはじめました。

 ちょこちょこ歩きするわたしの前で、きらりんさんは後ろ歩きしながら覗き込んでいます。


「ひなっち、歩くのうまくなってきたね」


「はい、だいぶ慣れてきました」


「ずっと気になってたんだけど、その箱って中はどうなってるん?」


「これは……」


 きらりんさんは口と同時に手が出るタイプのようで、わたしが答える前には宝箱に手を突っ込んでいました。

「わあっ!?」という間にきらりんさんの身体が宝箱に吸い込まれ、わたしたちは宝箱の奥にある小部屋にいました。


 わたしの目の前には、わたしと同じ幼児サイズになったきらりんさんが、目をぱちくりさせています。


「な……なにこれなにこれ!?」


「ここは、宝箱の中です」


「ええっ!? 中ってこんなになってんだ!? や、ヤバーいっ!? マジでヤバくない!? アンビリーバレスト!」


 初めての宝箱体験に、きらりんさんは大興奮。

 大きくなったもちさんを抱きしめ、小さくなった身体を鏡で見ては爆笑しています。

 しかしまさか、自分以外の人間も宝箱に招き入れられるとは思いませんでした。

 そして、忘れかけていたあのウインドウが現れたのです。


『初めて客を招きました! スペシャルインテリアを獲得できます!』


 レベルアップを告げているのかと思いきや、文面はいつもと違います。


 ウインドウ上にはずらずらっと何かのリストが並んでいました。

 見てみると、そこにはソファ、テーブル、ベッドなどなど……。どうやら、家具のリストのようです。


「もしかして……この部屋に、家具が置けるんでしょうか?」


「へぇ、すごいじゃん! まるで動く家みたい!」


 きらりんさんの一言に、わたしは色めきたちます。


 いままではただの収納だと思っていたものが、急に住まいのように思えてきたからです。

 それは、お酒のおつまみだったものが、ごはんのお供にもいけるとわかったような、リノベーション的感覚でした。


『動く家』……それは、わたしの理想のひとつです。

 ベストは猫になってダンボール箱に入り浸ることなのですが、動く家があればそれに近しい生活も夢ではありません。


 終の棲み処はここしかないという気すらしてきて、わたしの手は自然と震え出しました。


「お……落ち着いて……。と……とりあえず……初めての家具を、選ばないと……」


 目移りしているわたしでしたが、きらりんさんに抱っこされていたもちさんが、「にゃっ!」とある項目を指します。

 そこには慮外のものがありました。


「えっ、キャットタワー……ですか? 初めての家具に、それは……」


「いーにゃ!」


「あの、キャットタワーはまだ猫になってないわたしには無用の長物ですし、いまはふたりで使えるもののほうが……」


「いーにゃ!」


「そんな……あの、ソファとかどうでしょう? ふかふかですよ?」


「いーにゃ!」


「あ……あの……こればっかりは、もちさんの頼みでも……」


「いーにゃ!」


 断固たる口調のもちさん。わたしは気づくと、床にひれ伏していました。


「も……もちさま……! い……一生のお願いです……! ど……どうか、どうか……! ソファを……この部屋に置かせてくださいっ……!」


 きらりんさんはわたしを見下ろしたまま、口をあんぐりさせています。


「猫に土下座してる人、初めて見た……」

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