03 はじめての異世界

 わたしは札束のようにクリーニング券を握りしめたまま、お姉さんの案内に引き続き耳を傾けました。


「これで、お客様の職業はミミックになりました。では次に、行き先はどちらになさいますか?」


 お姉さんは世界地図みたいな紙を出してきてカウンターに置きました。

 どうやらこれが特区の全体図のようです。特区の全容が、ロールプレイングゲームの攻略本にありそうなタッチで描かれています。


「初めてのお客様には王都などの、人の多い賑やかなところをお勧めしております」


「あっいえ、できれば人のいない静かなところのほうが……」


「なるほど、都会の喧噪はお嫌いなのですね。では、のどかな地方の村などはいかがでしょう?」


「あっいえ、できれば人の気配すらないようなところが……。『死の大地』みたいなところはありませんか……?」


 するとお姉さんは絶句してしまいましたが、のちに納得したような顔で頷いていました。


「お客様の適職に、ミミックが出た理由がわかったような気がします……。でも、さすがに人里を離れたところには転送できませんので、過疎の村をご案内させていただきます」


 お姉さんはパソコンを操作してなにか調べものをしたあと、紙の地図の北東の果てを指さしました。


「こちらの『カソンの村』はいかがでしょう? 高原にある小さな村です。人口200人ほどで、飼育しているヤギの数のほうが多いくらいですね」


 村の人口なんて気にしたことがありませんから、それが多いのか少ないのかピンときません。

 でもヤギさんならいくらいてもいいと思ったので、その村にすることにしました。


「では、行き先のほうをカソンの村に設定します。渡航費につきましては、配信を行なえば無料となります」


「は……配信?」


「はい。お客様が特区に降り立った時点で、その模様が専用の動画配信サイト『トックチューブ』にて公開されます」


「とっくちゅーぶ……? それってもしかして、スマートフォンで観られるテレビみたいなものですか……?」


 たぶん、クラスメイトのほとんどが休み時間の時に観ているやつでしょう。


「はい、そうですね。仮に配信で収益が発生した場合、その50パーセントが特区ステーションのものになります」


「な……なんだかよくわかりませんけど、嫌です……」


「50パーセントの手数料につきましては、特区ステーションとトックチューブを維持するために必要なものでして……」


「あっ、いえ。手数料が嫌というわけではなくて、配信自体が嫌なんです……」


「プライバシーのことでしたらご安心を。配信といってもずっとではなくて、着替えや入浴の時などは自動的に中断されますので」


「そ……それでも嫌です……誰かに見られるなんて……」


 配信というのはようするに、目や耳の付いた壁や障子の中で暮らすようなものだと思います。

 そんなの、想像しただけで身の毛がザワッとなります。それに、だいいち……。


「……ぼっちが配信しても、いいんですか……?」


 借りてきたチワワのように震えだしたわたしを見て、お姉さんはクスッと笑いました。


「その点でしたら、ご心配なさらずとも大丈夫です。トックチューブのチャンネル数は50億を突破しているのですが、そのうち観られているのはわずか5千チャンネルほどですから」


「はぁ……」と小首をかしげるわたしに、お姉さんは噛んで含めるように教えてくれました。


「観られていないチャンネル数を割合でいえば、99.999999パーセント。一般の方の配信が視聴されることは、NASAの安全基準と同じくらいに起こりえないということですね」


「はぁ……そうなんですね。ちなみに、配信をしない場合の渡航費はいくらになるんですか?」


 200円くらいだったら支払ったほうがよさそうです。300円と言われたらちょっと迷いますが。


「えっと、カソンの村でしたら往復で500万円ほどですね」


「配信でお願いします」


 わたしの即答に「かしこまりました」とニッコリお姉さん。


「それでは最後にもう一度だけ、水晶球にお手をお願いします」


 お姉さんがカタカタとパソコンを操作すると、水晶球から小魚の群れのような光が飛びだし、置いたわたしの手のひらへと吸い込まれていきました。


「はい、これですべての手続きが完了です。現地で困ったことなどありましたら、こちらのガイドブックをご覧ください」


 お姉さんは文庫本みたいなのをカウンターに置きました。そこには『特区の歩き方 戦士用』とあります。


「こちらのガイドブックは本来ですと職業別でご案内しているのですが、あいにくミミック用のはございません。ですので、こちらでご容赦いただけますか?」


「わ……わかりました」


「最後に、なにかご不明な点はございますか?」


 この手の質問をされた時、わたしはいつも「いえ、別に……」と答えるようにしています。

 でも今回に関しては、どうしても尋ねておきたいことがありました。


「あの……特区にはモンスターさんがいるんですよね……? ということは、襲われたりするんじゃ……?」


「はい、襲われます」


「えっ」となるわたしを見て、お姉さんはなんだか嬉しそうでした。


「でもご安心を。魔王軍との協定により、渡航者とモンスターは魔術のフィールドで守られています。よってお客様がモンスターの攻撃を受けてもケガをすることはありませんし、お客様がモンスターを攻撃しても殺してしまうようなことはありません。どちらにしましても、多少の痛みはございますが……」


「多少の痛みって、どれくらいですか……?」


「即死クラスの攻撃を受けた場合、タンスの角に足の小指をぶつけたくらいの痛みになります」


「そ……それはちょっと……」


「ご安心ください。即死クラスの攻撃を出すようなモンスターは、魔王軍のテリトリーでも奥深くにしかおりません。ご案内している場所は初めての方でも安全に冒険できる、弱めのモンスターしかおりませんから」


「そ……そうなんですか……それなら……」


「それに転送ゲートのそばでしたら安全ですから、とりあえず行って様子を見て、少しでも危ないと思ったらすぐに戻ってくるとよいですよ。初めてのお客様にはいつもそうご案内しているのですが、すぐに戻ってきたお客様はひとりもおられません。みなさん特区を楽しんで戻ってこられますよ」


「わ……わかりました……」


 わたしの最後の懸念が解消されたところで、いよいよわたしともちさんが特区……異世界に旅立つ時がやってきました。

 別のスタッフさんから、『出発ロビー』と札の掲げられた窓のない別室に案内されます。

 そこには空港の保安検査場みたいなゲートがあって、その向こうには魔法陣みたいなのが浮かび上がっていました。

 どうやらあの魔法陣の中に入ると、特区に行けるようです。


 しかしここで、問題発生。

 保安検査でリュックサックの中身を調べられたのですが、お弁当と水筒が引っかかってしまいました。


「お客様、食べものや飲みものは特区には持ち込めませんので、こちらで没収させていただきます」


 エルフさんの検査官さんにそう言われ、わたしは呆然としてしまいます。


「えっ、没収……? そのお弁当と水筒は、どうなるんですか……?」


「こちらで処分いたします」


「そ……そんな……!?」」


『ごはんひとつぶは血の一滴』。これは、我が家の家訓のひとつです。

 したがって検査官さんの宣告はわたしにとって、身体じゅうの血液を抜かれる処刑に等しいものでした。

 しかもその方法として注射器などを使うのではなく、大量の蚊がいる部屋に閉じ込めるという残酷なものです。


 わたしは血の気が引くのを感じながら、検査官さんにすがりついていました。


「やめてください! それは、母がわたしのために作ってくれたものなんです!」


 わたしの肩にいたもちさんも「ふにゃーっ!」と加勢してくれます。

 もちさんも、母の料理が大好きなのです。


「そんなことを言われても困ります、規則なので……」


「だったら特区に行くのをやめます! 母が作ってくれたお弁当が捨てられるなんて、ぜったいに嫌ですから!」「うにゃーっ!」


 それだけは譲れないとばかりに、うーっフーッと唸るわたしともちさん。後ろから声がしました。


「でしたら、こうするのはいかがでしょう?」


 振り返るとそこには、受付けのお姉さんが立っていました。


「お客様が特区からお戻りになるまで、そちらのお弁当と水筒は、この私が責任を持ってお預かりいたします」


「い……いいんですか……?」


「はい。お客様にはぜひ、特区に行っていただきたいので」


「そ……それなら……おねがいします……!」「にゃーっ!」


 わたしはお姉さんに向かって深々と頭を下げます。肩にいたもちさんも必然的に頭を下げる形となりました。

 無事に保安検査をパスしたわたしたちは、お姉さんに見送られながらゲートをくぐります。

 魔法陣に入る直前でわたしは足を止め、振り返りました。


「あ……あの……! お……お姉さんの名前を、教えてください……!」


 するとお姉さんはちょっとびっくりしたような顔をしたあと、クスリと微笑んでくれました。


「『オペレッタ』ともうします。それでは、よい旅を」


 光に包まれたわたしが最後に見たのは、最高の笑顔を浮かべながら、まるで手を振るみたいに長い耳をぴこぴこさせるお姉さんでした。

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