02 はじめてのエルフさん

 特区ステーションはうちのアパートから歩いて10分ほどの、『百合ヶ崎駅』の近くにあります。


 通学のときに通り掛かる特区ステーションは、特区で働いているサラリーマンさんや、特区で学んでいる学生さんたちでごったがえしています。

 休日の今日は朝のピークを終えて空いており、並ばずに入れそうでした。


 しかしわたしの足は、特区ステーションの入り口である自動ドアの前で止まっていました。

 いざ目の前まで来ると、特区への敷居が国境の壁のように高く感じられたからです。


「きょ……今日は、日が悪いみたいですから、止めておきましょうか……。夕方くらいまで公園で時間を潰して……あいたっ!?」


 後頭部に鋭い痛みが走ります。背中のもちさんがわたしの頭に噛みついたのです。

 きっと、ここで引き返したらお駄賃がもらえないと悟ったのでしょう。


「も、もちさん、やめてください! じゃ、じゃあ、こういうのはどうでしょう!? 最初に提示したお駄賃の1割……いや、半分というのは……!?」


「にゃーっ!」「あいたたたた!」


 わぁわぁにゃあにゃあと揉み合っているうちに、わたしは気がつくと自動ドアの向こうにいました。


「いらっしゃいませ、特区ステーションへようこそ。今日はどちらへお出かけですか?」


 にこやかに出迎えてくれた受付のお姉さんを見て、わたしは言葉を失ってしまいます。


 特区ステーションに入った緊張からではありません。

 受付のお姉さんが、絶世といってもいいほどの美人さんだったからです。


 特区ステーションは、北極に住んでいた『エルフ』という種族によって運営されています。

 エルフさんは一見して北欧の人みたいなのですが、みんな美形で背が高く、プロポーションも抜群。顔の横から翼のように飛び出た長い耳が特徴です。


 わたしは受付のお姉さんに見とれるあまり、花の蜜を求める蛾のようにカウンターの椅子に座っていました。

 お姉さんはカウンターの上にある、台座に乗せられた小玉スイカのような水晶球を手で示しています。


「ではお客様、こちらの水晶球にお手を置いてください。そちらのお客様もお願いします」


「あっはい」「にゃっ」


 わたしはおそるおそる手を出し、もちさんはわたしの肩から身を乗り出してにゅっと手を出し、ふたり同時に水晶球に触れます。

 水晶球はお姉さんが操作しているパソコンと繋がっているようで、モニターを見ていた姉さんは「あら?」と意外そうな声をあげました。


「登録がございませんね……。おふたりとも、特区は初めてですか?」


「あっはい」「にゃっ」


「そうなのですね。それでしたら、まずは審査からとなります。特区は法律上、外国の扱いになりビザが必要となりますので」


 そういえば学校で習った気がします。それで思い出したのですが、特区ステーションには大使館のような役割もあり、内部は治外法権であると。

 ようは、いまわたしがいるのは異国ということになります。そう思うと、なんだか急に怖くなってきました。


「そ、そうですか、じゃ、じゃあ今日はこれにて……」


 ドロンのポーズを取りながら、逃げるように立ち上がるわたし。しかしお姉さんともちさんが言葉で追ってきます。


「お待ちくださいお客様、審査は簡単な質問に答えていただくだけですぐに終わりますから。それに、ビザも即時に発行できます」「にゃっにゃっ」


 もちさんはわたしの肩からカウンターに移っており、すっかりお姉さんの味方をしています。

 わたしは上げた腰を戻すほかありませんでした。


「そ……そうですか……じゃ、じゃあお願いします……」


「では、審査を始めますね。まず、お客様のお名前をおっしゃってください」


「あっはい、鹿毛かげひなたといいます……」「にゃっ!」「こっちは、もちもちさんです……」


「鹿毛ひなた様と、鹿毛もちもち様ですね、承りました。これで審査終了、おふたりとも合格です」


「早っ!?」「にゃっ!?」


「水晶球に触っていただいた時点で、お客様の生体情報をもとに日本政府から提供されているデーターベースへの照合が行なわれます。そこで不審な点がなければ大丈夫なんですよ」


「はぁ、そうなんですか……」


「審査は終わりましたので、次は登録についてのご案内です。最初の職業はなにになさいますか?」


「しょ、職業……?」


「はい。特区では必ずひとつの職に就かなくてはなりません。『戦士』や『魔術師』などのほかに『村人』や『農夫』などもございますが……」


 そういえば小学校の修学旅行の時、生徒みんなが初めての特区だったので、出発前日に特区でなんの職業になるかのアンケートが取られていました。

 わたしはその時に、第1希望として書いた『職』を口にします。


「えっと……猫さんを……」


「えっ、ネコサン? それはひょっとして、動物の猫のことですか? それはちょっと……」


「あっ……や、やっぱりすぐにはなれないんですね。猫さんともなれば、勇者とか賢者みたいに資格が必要とか……」


「いえ、猫というのはそもそも職業ではありませんので……」


「あっ……そ、そうですよね……」


「もし他にご希望が無いようでしたら、お客様のステータスをこちらで調査して適職をご案内できますが、いかがでしょう?」


「あっはい、それで、お願いします……」


 いたたまれない気持ちでいっぱいになるわたしをよそに、お姉さんはキーボードを打ちはじめました。

 カウンターの上のもちさんは、ヘソ天ですっかり寛いでいます。

 そのもふもふのお腹を撫でようとして、トラバサミのように手をガッと捕らわれていると、お姉さんはすっとんきょうな声をあげました。


「う……うそ……。こんな適職、初めてだわ……」


 わたしのほうに向き直ったお姉さんは、カルチャーショックの表情です。


「お客様の適職は、『ミミック』です……」


「み……みみっく? なんですか、それ?」


 お姉さんがキーボードをタンと打つと、わたしの目の前にあった水晶球に絵が浮かび上がります。

 その絵は、半開きの宝箱の中から眼光が光り、触手みたいなのが伸びている、いかにもモンスターさん然とした存在でした。


「これがミミックです。ヤドカリのように宝箱に入り、近づいた人を襲います」


「そ……それって……モンスターさんっていうのでは……?」


「はい、モンスターです。モンスターが適職に選ばれることはごくたまにあるのですが、ミミックは初めてのことです」


 モンスターさんが職業扱いなのに、なんで猫さんが職業じゃないのかという疑問が真っ先に浮かびましたが、そんな考えはずいっとカウンターから乗り出してくるお姉さんの迫力ですぐに消え去りました。


「お客様、ぜひミミックをお選びいただけないでしょうか……?」


「えっ……な、なぜですか?」


「モンスターが適職として出た場合は、他の人間的な職業も同時にお勧めしているのですが……。ミミックというのはなにぶん、初めてのケースでして……。こちらとしましては、新しいデータが取れるのです」


 ようは、モルモットということでしょうか。

 わたしが特区に行く理由は『友達づくりのキッカケ』です。仮にここで、ミミックを選んだとしましょう。


『えっ、鹿毛さんも特区デビューしたんだ! 職業はなに? ミミック……? あ、そう……』


 クラスメイトたちが潮のように引いていく姿が目に浮かぶようです。

 そうなったら最後、わたしのぼっち人生が3年間延長されるのは火を見るより明らかでしょう。


「そ……それはちょっと……。できれば、人間的な職業のほうが……」


「そこをなんとか、お願いします。もしミミックになってくださいましたら、お礼にこれを差し上げますので」


 お姉さんは引き出しから取りだしたチケットのつづりのようなものを、そっとカウンターに置きました。


「なんですか、これは……?」


「クリーニング券です。これがあれば、全国のクリーニング店が無料で利用できます」


「く……クリーニングっ……!?」


 衝撃で貫かれたわたしの脳裏に、ある言葉が蘇りました。

 それは小学生の頃、家で『将来の夢』という作文の宿題をしている時、母に尋ねた時のことです。


『母の夢ですか? それはね、服をクリーニングに出すことです。クリーニングって、母のかわりにお洗濯をしてアイロン掛けまでしてくれて、新品みたいに服を仕上げてくれるお店なんですよ』


 お店でごはんを食べるのは、お金持ちがすることです。

 それどころか服までお店で洗濯してもらうなんて、まさに大金持ちだけに許された贅沢と言えるでしょう。


「そんな特権になれる特券が、いま目の前に……!?」


「そうです。手を伸ばせば、すぐそこにありますよ」


 気がつくとわたしの震える手の中には、クリーニング券が。

 お姉さんの目が、ちゃーるを目撃したもちさんのように、らんらんと輝いていたのが印象的でした。


「交渉成立、ですね」

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