第二十二話 火の神様、母になる4
僕の体調は劇的に改善した。
診察に来た初老の医者が苦々しく若さだと、
まるで僕が医療に対して
重大な背反行為をしたとでもいうように診断した。
話を聞いた何人かはさっそく見舞いに来てくれた。
リンケルはちょっとまだ食べられそうにないグラーシュを
作って持ってきてくれた。
「もっと食べて、食べないと治らないよ?」
デンケルは新しい仕事を見つけてきた。
「明日から働かないならこの話はなしだ」
ルインは新しい人形のアイディアを喋りまくって
僕を休ませなかった。
「ちゃんと聞いてるのか、情熱を失うのは死と同義だぞ」
みんなで僕を殺そうとしてるのかな?
それでも僕の快復を喜んでくれる人がいるっていうのは
嬉しくて、毎日だれかが来てくれるのを楽しみにもしていた。
一日目に、フラウは来なかった。
二日目の夜、目を覚ましてもフラウは僕を見ていなかった。
誰もフラウを話題にせず、
僕から聞きにくい雰囲気に不安になり始めた三日目、
意外な来客があった。
「アントンに痛めつけられたわりには元気そうでなにより」
「また逮捕するんですか?」
「そのことで謝罪に来たんだよ」
僕に許可を求めるでもなく部屋に入ってきたクリストフを
なるべく見ないようにしていると、
指を鳴らして僕の顔を彼に向けさせる。
謝りに来た態度じゃない。
でも僕と目が合うと帽子を取り、ちゃんと頭を下げた。
「アントンはカルンの連続爆破事件で一人娘を失っている。
難産で産まれた子だ。
運はよくないが強い、俺みたいな子だってよく自慢してた。
その子……マールっていうんだが、
マールを失ってあいつは一時期、壊れてしまったんだ」
「今は治ったみたいな言い方ですね」
「嘘だと思うだろうが、だいぶよくなってはいたんだ。
任務に復帰できるくらいにはな。
だが、今回の爆破テロはマールが死んだ状況を再現していた。
間違いなく、カルンの連続爆破と同一犯だ」
「なんでわざわざ自分だとわかるようなやり方をするんです?
藪蛇でしょ。
何もしなければ自分の存在を隠しておけるのに」
「俺たちだってバカじゃない。
あいつがトラーンの反政府組織の手引きで
ブルンナゴに入ったのはわかってる。
これは公表されちゃいないが、あいつは反政府思想の持ち主だ。
カルンでは統国党関係者の家族を徹底的に標的にした」
つまり、こいつらはわかってやっていた。
街中で目立つように
ブルンナゴの実効支配が進んでいるプロパガンダ映像を撮影し、
自分たちを標的にした。
周囲にどれだけの被害が出るかなんて考慮しない。
なるほど、立派な特務隊員だ。
クリストフは僕の頭の中でも覗いているみたいに満足してうなずく。
「アントンの言う通り、頭の回転が速い。
あいつじゃなくても犯人だと疑いたくなるよ。
お前はこう思ってるよな?
おびき出しておいて偽装を見抜けなかったうえに
アントンの傷まで抉られた。完全敗北だ、ざまあみろ」
「ざまあみろとは思ってません。
僕だって庇ってもらわなかったら危なかった」
「ざまあみろとは思ってない、ね。
他はそう思ってる?」
「……多少は」
「別に怒らないよ、俺もそう思ってる。
ただ、今回の件でどうしてあの連続爆破事件を
防げなかったのかがわかった」
僕に考える時間を与えるみたいに黙り込み、
クリストフは無責任な期待の目を向けてくる。
一緒にクロスワードパズルでもしているみたいな目だ。
「幻影術です。
訓練を受けていても初見ではまず見抜けない高度な偽装」
「そして現場にいた幻影術士はお前一人」
「結局は尋問ですか」
「専門家の意見を聞きたいだけさ。
お前はあの幻影術をどう見る? 幻影だと気づけたのか?」
僕は爆破があった日のことを思い出し、首を振る。
気づいたのはアントンで、僕はほんの少し違和感があっただけ。
師匠だって実物と区別がつかない幻影は不可能だと言っていた。
幻影はあくまで幻だと。
本当にそうか?
僕の頭には何度も繰り返し見てきた映像が浮かんでいる。
ニュースを上映しているときは考えなかったが、
どうしてあんなことができたんだ?
「ゴール銃撃事件」
「そうだ。ゴールは庁舎内で撃たれ、しかも犯人は捕まらなかった。
既知の幻影術でそこまでできるのか疑問が残っていたが、
もし、あの見破れない幻影を犯人が使っていたとしたら?」
「ゴール銃撃事件とカルンの爆破事件には繋がりがある」
「そう考えることもできるよな。
だが、この推論はあの幻影術を使える幻影術士が
どのくらいいるかにもよる。
党で引っ張ってこれる幻影術士は知識は豊富だが、
実践は今一つってのが多くてな。
その点、お前は実践経験が豊富そうだ」
「そうでもないですよ、
昨今はあまり幻影術を人前で使えないですし」
「謙遜するな、アントンを怯ませた炎は普通じゃない。
そのくらいは俺にもわかる。
それで、お前くらいの幻影術士はどれくらいいる?
お前ならあの幻影術を使えるか?」
困る質問だ。
僕は師匠以外の幻影術士をほとんど知らない。
ゴール事件以降、身を潜めてしまったのもあるが、
そもそも幻影術士は技術の秘匿のために
術士同士であまり交流しないのだと師匠は言っていた。
「幻影術は才能の世界です。
一人の師が少数の弟子にのみ技術を継承させるため、
技術は体系化されていません。
もちろん協会みたいなのも存在しない。
だから僕自身、幻影術士として腕がいいのか悪いのか、わからないんです」
「幻みたいな連中だよな。
わかったよ、できるか、できないかを聞かせてくれ」
「僕にはできません。
僕の学んだ幻影術はあれほどまで
実物同様の幻影を追求してはいませんでしたから。
でも、そんな僕の幻影術でもよほど見慣れていなければ本物に見えます」
「必要十分を越えた仕様か」
「誰がなんのために編み出したかはわかりませんが、
人を楽しませるのが目的でないのは確かです。
使える人もごく限られるでしょう」
クリストフはベッドの周りを歩きながら情報を整理し、
考えをまとめる。
フラウと一緒に踊っていたときとは別人だ。
部屋いっぱいに彼の思考が広がり、僕もその中にいる。
「次に見たらわかるか?」
「難しいでしょうね。
時間をかければできるかもしれませんが、
一目では……違和感がある、というくらいでしょうか」
「違和感?」
「精密すぎると不気味に感じることがあるんです。
存在しない人の顔を幻影で作ったりすると、
ふとした表情に不気味さを感じる」
「曖昧だな」
「限界です」
歩き回っていたクリストフが足を止め、
それが僕にとって最高の褒美であるみたいに爽やかな笑顔を向ける。
ちらりと見える歯が光るみたいな。
いらないよ?
「話を聞きに来て正解だった。
今日はこれで帰るが、また何かあったら来るかもしれん。
しばらくはこの街に?」
「そのつもりです」
「二人とも協力的で助かる。
フラウのおかげで状況はこちらに有利だ。
彼女の後ろにいたおかげで俺も軽傷だったし、頭が上がらないよ」
フラウが協力?
状況が有利?
何を言ってるんだ、こいつは。
敬意をギリギリ感じる絶妙な力加減で
僕の肩を叩いて部屋を出ていくクリストフに、
ぶつけたい質問が湧いてくる。
でも同時に、彼の口からは聞きたくないという
嫉妬にも似た感情が僕に沈黙を強要した。
外で鉢合わせないように少し待った後、
僕は着替えて久しぶりに外出した。
ちょうど家にはデンケルもリンケルも不在で
止められることもなく、嫌な予感だとか不安だとかを引き連れて、
僕は街中を歩き回った。
どこに行ってもフラウがいた。
煤と灰にまみれ、立ち尽くすフラウ。
少女の遺体を胸に抱き、泣いているフラウ。
僕が撮影し、心に残したフラウ。
往来の多い四つ辻では幻映士たちがフラウの映像を持って立ち、
彼女の悲哀を自分のことのように語り、
ブルンナゴへの進駐を神が祝福した証だとがなり立てた。
誰も聞いていやしない。
言葉なんていらない。
人々は何度でも涙するフラウの姿に足を止め、
何度でも心を重ねて泣いた。
奇跡の聖母。
誰もがフラウを、そう呼んだ。
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