第二十一話 火の神様、母になる3
数日間、僕はベッドから起き上がることもできなかった。
食事や排せつまで他人の手を借りなければならず、
いつも誰かがベッドの側にいてくれた。
デンケル、リンケル、ルインが来てくれて、
拳闘賭博にいた初老の医者も何度か姿を見せた。
カルハリとの試合で審判をしていたチョッキの男も。
「特務隊員に連れていかれて戻ってこられるなんて、
運がよかったな」
リンケル以外はみんな口をそろえて言った。
同感だ。
僕だって誰かが特務隊員に連れていかれたと聞いたら、
もう戻ってこないと思う。
リンケルだけは僕の胸にずっと顔を伏せて泣いていた。
なんかゴメン。
でも、夜はいつもフラウだった。
僕が自分のうなされる声で目を覚ますと、
ベッドの横で頬杖をつき、とくに何の感情もない、
絵画を眺めるような目で僕を見ていた。
「見てて面白いですか、僕の顔」
「いや、また連れていかれやしないかと心配でね。
目が離せない」
「そんなに何度も連れていかれたりしませんよ。
まあ、あの連中に連れていかれたら、
だいたい戻ってこないんですけどね」
僕が笑っても彼女は微笑みさえせずにベッドに腰かけ、
窓のほうに顔を向けて僕の手に自分の手を重ねた。
彼女の手はいつも温かいけど、
今はそのぬくもりが馴染むのに時間がかかった。
「昔から、私の作ったものを穢すのが生きがいなやつがいてね。
そいつのおかげで私は何一つ、完璧に作れなかった。
光には影が、命には病が、火には煙が。
今では慣れてしまったけど、
最初はなんてことをしてくれるんだと思ったよ」
そんなに深刻な口ぶりではない。
困った親戚の話をしている感じだ。
でも、彼女が重ねた手は汗ばむほど熱くなり、
窓のほうを向いたのは顔を見られたくないからだと気づいて、
僕は彼女の手を握った。
「君がいなくなったと聞いて、そいつが何かしたのかと思ったんだ。
注意して名前も呼ばないようにしてたのになんでって……
その、ちょっと混乱した」
名前をわざと間違えるのに理由があったことに驚いて、
僕のほうが混乱しそうだ。
それが僕を守っているつもりだったと理解できると、
安心すると同時に誇らしい気持ちにもなった。
フラウにとって僕は特別なんだ。
僕はその気持ちを言葉にしたくなくて、
フラウに気づかれないように静かにプシュケを吹くと、
二人の手の上に蝋燭のような小さな火を浮き上がらせた。
光に気づいた彼女が振り返ると、
その顔を覆っていた影を橙色に染め上げて、
夕日を前に一日の終わりを名残惜しむ少女のような
あどけなさを僕に見せてくれた。
「これは?」
「妹が、暗いのを怖がるから安心させてやろうと思って。
最初はひどいものだったんですよ、粘土に色をつけたみたいな。
それはそれで妹を笑わせたんですけど」
「自然現象の再現は難しいんだろう?
君の炎は前にも見たが、あれとも違うね。
これはまるで、本物みたいだ」
「練習すればこのとおり。どうです、神様?
人間は悪いものを良いものにできる力を持ってるんですよ。
もちろん、その逆もありますけど」
フラウは少し驚いて目を見開いた後、
いつもみたいな余裕のある笑顔ではなく、
目も鼻もくしゃっとして笑い、二人の手の中に幻影の火を収めた。
そうだね、そうだったねとうなずいて。
「でも、君もようやく私を神と認めたようだね。
けなげに人の善性をアピールしてくるあたり、
私を畏怖しているのが伝わってくるよ。
毎朝の祈りと供物が楽しみだ」
「ただの冗談ですよ。真に受けないでください。
僕はあなたを神様だなんて信じません。
もちろん、あなたの作ったものを穢す何かもね。だから──」
僕は繋いだ手を見下ろす。
僕の作った幻影は本物に近すぎて
本当に熱でも放っているのだろうか?
手のひらも顔も、すごく熱い。
「だから僕の名前をちゃんと呼んで。
そのほうがきっと、いなくならないから」
「あれを恐れないというのかい? なんとも豪気だね」
フラウは呆れて首を振り、
突然支えを失ったみたいに僕に覆いかぶさった。
僕には見えない誰かの視線を身体で遮り、
額を合わせ、彼女の吐息が唇を湿らせる。
フラウはそれが一度しか許されないかのように目を閉じ、
数回、互いの吐息で呼吸してときを計った。
彼女の薄い瞼の下で目が記憶をたどって動き、
我慢しきれなかったみたいに微かに目を開ける。
フラウは僕にしか聞こえない声で名前を呼んだ。
「君に出会えてよかったと、心から思うよ」
手のひらと顔の熱が全身に回って、
すごい量の汗をかき始めていた。
今の体調でこれはまずいんじゃないかってくらい
心臓も跳ね回っていて、それが全部フラウに
気づかれていると思うと恥ずかしくてたまらなかった。
血が沸騰したような熱さが心地よくて、
胸に感じる彼女の重さが僕をベッドに深く沈みこませて、
絶対に眠れないと思った。
今夜は朝までフラウと話をしようと決めて、
でも瞬きしたら朝になっていたというくらい一瞬で深い眠りに落ちた。
せめて彼女を怒らせたことを謝っておきたかったが、
起きたらぜんぶ夢だったみたいに彼女はいなかった。
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