第二十六話 幻影術士、幻を追う2

 拳闘賭博の会場にいた故買屋は

 普段は衣類の縫製工場を経営しているが、

 軍からの横流し品を取り扱うことでも有名だった。


 彼は会いに来た僕を見るなり迷惑そうな顔をして、

 事務所のドアを閉めろと不機嫌な声で言った。


「お前が来てからこの辺りはむちゃくちゃだ。

デンケルが死んで、トラーンの実効支配はさらに強まるだろうな。

工場が移転できるならさっさとアフラムにでも逃げちまいたいね。

そういや退院したカルハリがお前を殺すって息巻いてたぞ。

俺なら捕まる前に街を出るね。

わかったら消えろ、辛気臭え幻影術士が」


「その前にやることがあります」


 僕は鞄を事務机に乗せ、開く。


 どんなに僕を嫌っていても、

 商人が商売から目を背けることはない。


 彼は疑り深く慎重に映写機が本物であるかを

 手触りで確かめ、細かい装飾を指でなぞった。


 短い鼻息は、映写機に価値を認めた証だろう。

 はるかに価値の低いものを見る目を僕に向けた後、

 彼は鞄を閉じた。


「そんなにデンケルと親しかったか?」


「彼との朝食を楽しみにするくらいには」


「ペットのつもりだったんだろうぜ、リンケルのな」


「それは照れるな。家族同然じゃないですか」


 無表情に言う僕を心底気持ち悪そうに見ながら、

 彼は引き出しから銃を取り出して鞄の上に乗せた。


 細長い銃身に丸みのある銃底。

 大嫌いな政治局員が持っていたのと同じ銃だ。


「撃ったことあんのか?」


「何度か」


「嘘つけ。殴るくらい近くで撃て。

じゃなきゃ当たんねえぞ」


「ご親切に」


 僕は帽子を取ってお辞儀し、

 銃をベルトに挟んで上からシャツを被せた。


 僕が事務室を出ていこうとすると、

 故買屋が舌を鳴らして僕を呼び止める。


「お前がカルハリに勝った日、路地で襲われたろ。

あれをやらせたのは俺だ。

デンケルが死ななかったら俺もヤバかった。

ルインにはきっちり礼をしといてくれ」


 僕はドアノブに手をかけたまま首を傾げる。

 ルインに礼を言うより僕に謝れよ。


「えと、彼になんて言えば?」


「いや、そうじゃなくて、弾をぶちこんでやれって意味だ」


「それがどうしてお礼に?」


「……もういいから行け。二度と来るな」


 律儀なんだか無礼なんだかよくわからない人だ。

 こっちだって二度と来るつもりはない。


 自分たちのコミュニティでしか機能しない言い回しを

 他者に強要してくるのは知能の低い連中と決まっている。


 僕は縫製工場を出ると、

 フラウを残してきた市場を迂回して街の南側に向かった。


 ブルンナゴでは比較的新しい、漆喰の家が並ぶ、

 アフラムからの移民が多い地域で、

 木材を多く使うためにアフラムから杉を運ぶ鉄道が通っている。


 トラーンが侵攻してから貨物車の往来は極端に減ったが、

 それでも昔からトラーンと取引のある商社は

 契約の続く限り商品を納入し、搬送している。


 表向きでは戦争を非難し、

 トラーンの輸出が減って値上がりした鉄鋼や機械部品の独占を図る。

 ついでにトラーンには不足しがちな

 小麦や上質なアフラム杉を売りつけるわけだ。


 戦争って人の命を通貨にした経済みたいだ。


 途中で薄いパンに

 ソーセージと酢漬けのキャベツを挟んだものを二つ買い、

 食べながら鉄道沿いに歩いた。

 売れ残りだから冷めてるし、酢がきつい。


 城壁が一部、撤去されて

 零れるように街の外に広がった鉄道駅には広い倉庫が隣接し、

 油とアフラム杉の混じった匂いが駅に停車した貨物車から漂っている。


 空っぽの荷台を寂しそうに陽にさらした列車は冷え切っていて、

 まだ石炭さえ積まれていない。


 僕が運転席の扉をノックすると、

 息を殺した沈黙の後、腕が差し込めるくらいの隙間が開いた。


「お腹、すいてるかと思って」


 僕がソーセージを挟んだパンを差し出すと扉が全開になって、

 煤けた作業着を着たルインが油で汚れた手で受け取った。


「あんまり腹に入れたくないんだよな。

しばらくはトイレにも行けない」


 そう言いながらルインはパンにかぶりついている。

 僕はタラップに足をかけ、

 少し高い位置にある運転席に座るルインを見上げていた。


「すぐに見つかるんじゃないですか、こんなとこ」


「まあね、でも手は出せない。

貨物車はアフラムの商社の所有物で、捜索には許可がいる。

数少ないアフラムとのパイプだからね、

統国党も慎重にならざるをえない。

党の権力を背景にした特務隊の特権が、今はやつらを阻んでる」


「ずいぶん守られてるんですね」


「ニアルド機関や幻影術について知りたがってる。

全部話すと約束した」


「売国奴め」


「ゲシヒズムの犬め」


 にらみ合ったあと、僕が笑い始めるとルインも笑い、

 パンくずやソーセージの欠片を飛ばした。


「しかし早かったな、一番乗りだぞ。

どうしてわかった?」


「人形にアフラム杉が使われてました。

最近のものまでね。

だから向こうと繋がりがあるんだろうな、と」


「印でも付けてあったかな?」


「手触りで」


 ルインは両手を軽く上げ、力なく首を振った。


「手が付けられないな、天才ってやつは。

一緒に来ないか?

若くて優秀な幻影術士なんてどこでも欲しがる」


「まさか、行くわけないでしょ。あなたも行かせません」


「どうやって? ここから引きずり出すか?

私も非力だが君ほどじゃない」


 僕が脇に置いたシルクハットの中から

 銃を取り出して向けるとルインは黙り込み、

 深呼吸を二回して動くタイミングを計った。


「少しでも動いたら撃つ」


「本気でそうするつもりなら言わなくていい。

前に忠告したぞ」


「じゃあ動いてみろ」


 ルインは僕の目と鈍く光る細長い銃身に視線を動かす。

 僕が銃を向けていることに悲しみ、眉をひそめ、

 共感で僕の意識の表面を滑って目線を誘導してくる。


 でも、今の僕は無視できる。


 僕の目は銃身の先についた突起とルインの額を一直線に結ぶ。

 彼が何をしようと、先に撃ち抜ける自信がある。


「デンケルを殺したな」


「おい、待て。まさかそのために来たのか?

フラウを巻き込んだ最初の爆破は彼の指示だ。

君が死んでもかまわないと言っていた男だぞ」


「恩人で、リンケルの兄だ」


「私たちに何の関係がある?

私は君にシェヒトを教えた。

君が知らない君の才能を引き出した。

美しかったろう、フラウは。リンケルを守るデンケルは」


 早口だ。余裕がない。

 垣間見える怒りは本物か?

 目の周りもだいぶ強張っている。

 喋り終わると唾を飲み込む。緊張か。


 だんだん相手の目線が固定されてきた。


 僕の目に。


 ルインは僕の目から考えを読み取ろうとしている。

 自分の死の可能性を否定しようとしている。


 想像力だ。

 ルインが自分の死を想像する、想像力の支配こそが幻影術の本質。

 極めれば幻影術を使うことなく、相手に幻を見せる。


 どうだルイン?

 お前は今、僕を恐れているか?


「額に穴が開いたあなたも、きっと美しいでしょうね」


 僕が言い終わる前にルインが息を止め、

 一瞬で銃を抜いて僕に向ける。


 細長い銃身、丸みのある銃底。

 同じ銃だ。


 ルインは長い息を吐いて、

 立場が逆転したと思わせようと薄ら笑いを取り戻す。


「ほらな、やっぱり撃てない」


「僕と同じ銃。幻影だ」


「おいおい、この街で手に入る銃なんてこれくらいだよ。

ブルンナゴの政治局員どもはよく銃を紛失するので有名なんだ」


「頭が回ってないな」


 僕は人差し指でこめかみをトントンと叩く。

 僕の手の動きに合わせてルインの目線も揺れ動く。

 支配の感覚が僕の中で出来上がる。


「銃身についてる傷も再現してるぞ」


 僕の言葉に抗いようもなく、ルインの目が銃身に落ちた。

 どっちの銃にも傷なんかない。

 ルインはすぐに気づいたけど、もう遅かった。


 相手よりも自分こそが、幻影を本物だと信じないといけない。

 ルインは自分にその銃が本物だと信じさせられなかった。


 仮面が剥がれ落ちるみたいにルインの顔から表情が消えた。


 幻影術士は自分の生み出す幻影が本物以上の、

 この世界における何らかの真実の体現だと信じている。


 その誇りが砕かれるのを、僕は見た。


「そういう顔をさせたかったんだよ」


 ルインが顔の前で両手を広げ、銃弾から守ろうとする。


 政治局員の持つ銃は口径は小さいけれど、

 手のひらを貫通した減衰くらいで殺傷力を失ったりしない。

 このまま撃てば、ルインは死ぬ。


「そこまでだ。銃を下ろせ」


 いやだ、下ろさない。


 ルインに銃口を向けたまま半身になって振り返り、

 僕に銃を向けるアントンと彼の後ろで申し訳なさそうに、

 でも目を背けたりしないフラウを順番に見る。


 驚いてはいない。

 半分くらいはこうなると思っていた。


 でも本当にフラウがアントンを連れてきたとき、

 こんなに裏切られたような気分になるなんて思ってなかった。


 僕は彼女に、もっと信頼されていたかった。

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