第二十五話 幻影術士、幻を追う

 治療を受けた後、

 というかほとんど治療中から

 僕の意識があると聞いたアントンの事情聴取が始まっていた。


 ただし、今回はフラウが彼女の強い希望で同席していた。

 クリストフもいる。前回みたいにはならない。


 未成年に拷問まがいの尋問をした件を

 彼の胸に収めてもらっている以上、

 アントンは前回のような強引な手段を選べなかった。


 選ぶ必要もない。


 僕はルインについて二人にほとんど喋ったから。

 デンケルについてもだ。

 今さら隠す必要もなかった。

 デンケルはもう、誰にも捕まえられない。


 話がデンケルに及ぶとフラウは少し身体を寄せて、

 僕の腕と彼女の腕をくっつけた。

 僕を支えようとして、寂しさを二人で一つにしようとして。


 僕はときどき言葉に詰まり、

 そのたびにごめんなさいと謝ってフラウに寄り掛かる。


 喪失感で気力を失い、

 彼女が隣にいなければ本当に一言だって喋れなかった。


 だからこれは演技じゃない。


「あの、リンケルは?」


「自発呼吸は戻った。腕も切断は免れたようだ。

まだ意識は戻らないから後遺症の程度はわからないが、

生きてはいる。わかっているとは思うが、

意識が戻って取り調べが終わるまでは会えないぞ」


「そう……ですか」


 フラウが僕の背中にまっすぐ線を引くみたいに一度だけ撫でる。

 リンケルが生きている喜びと、

 彼女を一人にしてしまった後悔が痣になったみたいに疼いた。


「デンケルはルインについて何か言っていなかったか?

直接、指示を出したとか、他の計画については?」


「居場所を探しているようでした。

他の計画、というかルインについては彼のような危険が

市民の身近にいることが重要だと言っていました」


「体感治安のコントロールか。政治局員も顔負けだな」


 クリストフが舌打ちし、病室の椅子を蹴る。


 僕たちがいるのはトラーンが改築した病院で、

 工場のような縦にスライドする窓や

 素っ気ない薄茶色の壁紙がトラーンにいたころを思い出させる。


 いやなことばかり、思い出させる。


「そろそろいいかい? 彼を休ませてあげたいんだが」


 フラウが僕の肩を抱き、

 アントンたちから遠ざけるようにひっぱる。


 眉をひそめたアントンはまだ聞きたいことがありそうだったが、

 クリストフが先にうなずいていた。


「今日はここまでにしよう。

退院してもいいそうだが、心配ならこのまま入院してもいい。

いずれにせよ、しばらくはブルンナゴから出ないでくれ」


 クリストフは半ば強引にアントンを病室の外に連れ出し、

 ドアが閉まる前にフラウに微笑みかけるのも忘れない。


「ブルンナゴを出ましょう」


 二人の足音が遠ざかるのを待って僕が言うと、

 フラウはベッドから降りて

 僕の決心の程度を見極めるように腕を組んだ。


「アフラムに行くのかい?」


「ええ、当初の予定通り。

向こうなら幻影術のショーもできるし、

人形が爆発するなんてこともない」


「構わないよ。

私を待ち望んでいる大勢の信者もいるしね」


 でも、と続きそうな言い方だ。

 僕は気づかないふりをして笑う。


「そうですね。有名なアフラの神殿遺跡もあるんですよ。

僕も行ったことはないですけど、一緒に行きませんか?」


「……そうだね、楽しみだ」


 僕は元気なところを見せようとベッドから軽やかに飛び降り、

 着替えるから先に受付で待っていてとフラウに言った。


 デンケルの家にあった荷物は回収され、

 検査されて受付に預けられている。


 行き先については適当にごまかし、

 僕たちは昼食時で食欲をそそる匂いのする街を歩いた。


 動きやすくて気に入ったのか、

 フラウは老夫婦にもらった男物の服を着ていて、

 長い髪は首の後ろで括っている。


 退廃的な文化を好む音楽家みたいだ。


 フラウはいつも通り、どんな料理にも興味を示したが、

 いつも通りには一つに決められなかった。


 僕をわざと見ないように行ったり来たりする目線、

 何か言おうとして言葉にできずにため息に変わる。


 彼女が食事よりも気を取られることなんてほとんどないが、

 その一つが僕だと思うのは、自惚れだろうか。


「聖母はどうでした?

形は違うけど、信仰を集めてましたよ」


「悪くはなかったよ。

私を見て涙を流す、人間とはそうでなくてはね。

でも、こちらからも同等の優しを示さなくてはならないのが面倒だ」


「そんなこと言って、本当は未練があるのでは?」


「ないよ。君の疑いが晴れたなら続ける意味はない」


 言ってしまってからフラウは急に立ち止まる。


 僕のために聖母をやったことは内緒にしていたことを思い出して、

 一人で言い訳を始めた。


「いや、私が聖母になることで

人々が安らぐならそれもいいっていうかね、

ほら、私にとって人間はみんな子供みたいなものだから──」


「さっきと言ってること違いますよ」


 僕は自分の言い訳の苦しさに慌てるフラウの小指と薬指を軽く握り、

 病室で彼女がやってくれたみたいに彼女の腕に肩をくっつけた。


「ありがとうございます。

僕は、フラウに助けられてばっかりだ」


 フラウは自分の耳を疑うかのように耳たぶをつまみ、

 前を見たままちょっとずつ色を重ねるみたいに

 彼女の耳が赤くなっていく。


 うん、と小さくうなずいた彼女の消え入りそうな声が

 僕の中で反響して、僕も小さくうなずいていた。


 立ち止まって、漂う様々な料理の匂いを感じなくなるくらい、

 くっつけた肩の感触だけに集中していると、

 彼女が病室でこうしてくれたのは、

 彼女もこうしてほしかったからなんだとわかった。


 言葉がなくてもフラウのしてほしいことがわかったのが嬉しくて、

 彼女が喜んでくれているのが体温で感じ取れた。


 帰る場所を失って、往来で並んで立って、

 言葉のいらない時間が風のように顔を撫でていく。


 このままじゃどうにもならないことがわかっていても、

 ずっとこうしていたいと思えた。


「お願いが、あるんです」


「この郷土料理の店なら却下だ。

あれ、ぜったい豚じゃない」


 僕は笑って首を振る。


 わざと明るく振る舞ってくれてる。

 ということは、僕が何を言おうとしてるかも察している。


「同感です。

僕のお願いは、後をつけてきてるアントンを引き止めてほしいんです」


「彼はまだ君を疑ってるのかい? 執念深い男だね」


「特務隊員ですから。あんな目にあわされたけど、

僕はあの人のこと嫌いじゃないですよ」


「それなら会って話してみてもいいんじゃないか?

誤解も解けるかも」


「誤解じゃない部分もあるので」


「それは……困ったね」


「はい、困っています」


 フラウを困らせたくはない。


 聖母のときほどひどくはないけど心配そうに眉をひそめて、

 でもそれを何とか冗談にしてしまいたいという微笑みは、

 僕を取り返しのつかない過ちを犯した気分にさせる。


「いっそアントンに任せてしまうというのはダメかい?

これ以上、君は関わらないほうが──」


「僕がやらないといけないんです」


 強い口調で遮り、くっつけていた肩を離す。

 彼女の気持ちがわかっても、これじゃ以前と何も変わらない。


 また怒らせる。

 また、悲しませる。


 でも、だから行かなくちゃ。


「どうしても?」


「はい。そうしないと僕はこれから先、

ずっと後ろを向いて生きることになる」


「君が後ろを向くなら、私は君の後ろを歩くけどね」


 彼女の指がほどけるように離れ、

 彼女自身の言葉を実行するみたいに僕の後ろへと下がっていった。


 信頼されているという自負と

 見捨てられたみたいに思える寂しさがせめぎ合って

 僕を振り向かせようとした。


 でも僕はシルクハットを手で押さえ、

 まるで強風に向かうかのように前傾して足を速めた。


 シルクハット、

 胸元にひだのあるシャツ、

 道化みたいに膨らんだズボン。

 手には映写機の入ったカバン。


 一人で旅していたころに戻った気分だ。


 誰にも頼らずに一人で歩いてさえいれば大人だと信じていた、

 フラウに出会う前の僕。


 背後で聖母を見つけた人々の歓声があがる。


 食事中なのに料理を置いたままテーブルを立った人々が

 彼女を見ようと集まってくる。


 さすが自称神様で暫定聖母。

 動員力が素晴らしい。


 さらに足を速めて歓声から逃げる。

 もうあんな笑顔はさせたくなかったのに、

 僕のお願いのせいでまた彼女に聖母を演じさせている。


 守られるだけでなく、守れる人間になりたい。


 大人とか子供とかは関係ない。

 大切な人を守るためにとっさに動ける人間に。

 デンケルみたいに、


 たとえ命を失ったとしても。

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