第十七話 火の神様、子供と戯れる

 ブルンナゴの街を囲む壁に連結した塔は一時期

 牢として使われていたらしいが、今では使い道もなく、

 ツタが這って静かに朽ちようとしていた。


 壁の側は日陰になるため空地も多く、

 一部は墓地になっている。


 墓石とは呼べないような崩れた石材は

 トラーンの侵攻後にできた墓だ。


 せめてもの慰めに植えられた花はカモミールだけが残り、

 歩くのに邪魔なくらい増えている。


 その墓地を抜けた先の塔の一階部分が拡張され、

 壁から張り出した細長い建物になっていた。


 塔の入り口をそのまま使っていて、扉はない。


 両側の壁に沿ったひな壇には大小さまざまな蝋燭に火が灯され、

 小さな窓しかない屋内を橙色の光で満たしていた。


 一番奥にはテーブルに布をかけただけの祭壇があり、

 そこに置いてある蝋燭を買って火を灯す仕組みだ。


 今まさに老婆を連れた若い娘が火を灯しているところで、

 付き従う影のように近づいたフラウが祝福を与える。


 蝋燭の火に手をかざし、

 温めた手のひらを頬や額に当てるだけなのだが、

 その日は一日、頬に赤みが差して化粧もいらないくらいだと

 特に若い娘に評判らしい。


「ベヘディーンよ、ワフラムの火があなたを照らす。

アフラ・マーダがいつもあなた方の側で見守っていますよ」


 老婆のほうが言葉に強く反応する。


 視力の落ちた目でフラウの声を追って顔を探し、

 そこにたぶん僕や若い娘とは違うものを見て幸せそうに目を閉じる。


 ふいに揺らいだ蝋燭の火が影を伸ばし、

 老婆の頬に触れる誰かの手みたいに見えた。


 二人は僕とすれ違うとき軽く頭を下げていき、僕も会釈を返す。

 それがまるで僕の帰依の証であるかのようにフラウは微笑み、

 僕の手を取ろうと近づいてきた。


 僕は彼女と目が合う前に顔を背けてしまう。

 胸に何かつっかえてるようなヘンな感じがする。


 フラウを、まっすぐ見られない。


「ようこそ、アフラの神殿へ。どうぞこちらへ」


「やめてくださいよ、気持ち悪い。

アフラは聖人だから神殿って言うのもダメ」


「細かいことを言ってないで、

さっさと蝋燭を買って火をつけたまえ」


「急に雑だな。

他の人にそんな態度、取ってないでしょうね」


「当たり前だ。

さっきの二人を見ただろう、感動して泣いていたぞ」


「いや、そこまでは……

でもいつも側で見守ってるだなんて、アロルみたいじゃないですか。

ちょっと感心しましたよ」


「私はここにいるのだから、いつも側にはいられないがね」


「え? じゃあ何であんなこと言ったんです?」


「ああ言うと信者は喜ぶ。

知らないのかい? 信者は喜ぶと別の信者を連れてくるんだ。

チョロい連中だよ、まったく」


 祭壇に腰かけてる。

 言動に信仰心のかけらもない。

 アフラを信仰してる人たちにとっては迷惑なんじゃないかな、この人。


 そう言ってやりたいのに僕は口をつぐんでいる。

 頭に浮かんだ言葉が声になるまでが、遠くて重い。


 あれ? 彼女と話しているとき、僕ってこんなだったかな。


 ドレープのあるゆったりとしたワンピースを胸の下で紐でくくり、

 髪も外側に少し広がっている。


 白い肌も髪も服も、蝋燭の火で照らされてオレンジ色に染まり、

 まるで今、炎の中から生まれてきたみたいな神秘的な彼女に、

 なんて言えばいい?


 僕は言葉に詰まったのをごまかすために意味もなく笑う。

 きっと間抜けな顔だ。


「フラウが祈ってくれたおかげで腕が良くなったんで

仕事を始めますよ。デンケルに頼んできました」


「祈ってないが?」


「ああそうですか。

じゃあ、それだけですから戻りますね」


「待て待て、私にいったい誰に祈れというんだ。

君が私に祈るならわかるが」


「ついてこないでくださいよ、他の信者が来てしまいますよ」


「いいよ、ちょっと飽きてきたし。君が来たならもういい」


「僕のことはいいでしょ、一晩中、眺めてたんだから」


「匂いも嗅いだね」


「やめろよ。なんなんだよ、どうして僕にそんなに構うんだ。

一回、幻影で服を出しただけだ。それだけだったのに」


 変な声が出てる。


 怒ってないのに怒っているような、

 泣いてないのに泣いてるような喉を絞った声だ。


 腹を立てているわけでもないのに墓地で、

 墓石と白い花に囲まれてフラウと向き合ったら

 そんな声が出てきた。


 一晩中、見られていたことだってちょっと驚いただけだ。

 気にしてない。


 ただ、僕が彼女のその行動の意味を

 ちゃんと受け取れていないと感じるんだ。


 だからデンケルに聞かれたとき、

 とっさにただの旅の道連れと言ってしまった。


 デンケル。あいつが余計なことを言うから、

 僕はフラウとの関係を考えてしまっている。


 僕たちは対等だと信じていたかったのに。


 彼女に、子供の駄々に手を焼く母親のような

 困った顔をさせている自分が恥ずかしくて死にそうだ。


 走って逃げたい。


「あ、いたいた。

ん? バーナム、ケンカしてる?」


 振り向くとリンケルが控えめに手を振っていて、

 知らない長身の痩せた男も隣にいる。


 年下の女の子と初対面の相手に

 恥ずかしいところを見られるなんて最悪だ。


 しかもその男、

 大きく盛り上がった鼻梁にちょこんと乗った丸眼鏡、

 面倒で切ってないだけの髪を後ろで束ね、やや内に巻いた肩という、

 いかにも職人といった風体だ。


 僕がちゃんと大人として付き合いたい人種だ。


「ルインさんがねー、

フラウを見たいって言うから連れてきたんだけど……

あ、こっちの人がルインさんね」


 ルインは厳しそうな目からは想像もできない

 柔和な笑顔で頭を下げ、僕も笑顔で頭を下げる。


 よかった、子ども扱いされてない。


 リンケルは僕に味方するように手を握ってフラウと向き合う。

 リンケルは義理堅いのか、ことあるごとに僕に味方してくれる。


 僕たちが居候するときも

 最初は難色を示したデンケルに真っ向から牙をむいた。


「前から思ってたんだけど君、

ちょっと彼に馴れ馴れしいんじゃないかい?

子供だからと大目に見てたけど、わきまえないなら消し炭にするよ」


 人を傷つけないとか言ってたの、どうした?


「なにこのおばさん、こっわ。

あといい歳してフラウとかマジキッツイんだけど」


「その手を離せ、小娘の匂いが移るだろうが」


「移んないよ、おばさんみたいに臭くないから。

大人なら香水くらいつけなよ、分けてあげようか?

デンケルがたくさんくれたから」


 ちょっと暑くなってきた気がする。

 服が燃えるほどではないけどフラウが熱を発生させている。


 一応、ドレープワンピースはよく観察して覚えておこう。

 ドレープの数や腰ひもの位置を上下させるだけで

 印象が変わるから便利だしね。


「生贄っていうのは嫌いなんだが、

こうも本人が望むなら……ね?」


 僕に同意を求められても困る。


 正直、この二人が揃うのは苦手だ。

 リンケルはやたらくっついてくるし、フラウは機嫌が悪くなる。


 リンケルは兄に甘えられないぶんを僕で補っているだけだし、

 フラウは自分の玩具を他人に取られたくらいの感覚なのだろう。


 どっちも子供だな。


 リンケルと幼稚な口喧嘩をしているフラウを見ていると、

 頭の中で潰れた卵みたいにぐちゃぐちゃになっていたものが

 どうでもよくなってきた。


 どうしてそんなものを整理しようなんて思ったのか。


「あのー、これ、用事は後にしたほうが?」


 ルインが僕に耳打ちするみたいに話しかけてくる。

 この人も近いな。


「すみません、フラウに用事でしたっけ?

フラウ、信者さんだよ」


「いや、私は彼女を見てみたかっただけです。

自然な銀髪というのがどういうものか気になりまして」


「ルインさんはね、人形とか作ったりしてる人。

器用なんだよ、何でも直しちゃう」


「ほう、構わないよ。好きなだけ崇めるといい」


 得意げに髪をなびかせるフラウにやや気後れしながら、

 ルインはスケッチを描き始めた。


 失礼とは思いつつ横から覗くとかなり早くて正確だ。

 表情より造形に注視しているのもいい。


 この人の作る人形が見たくなってきた。


「ビスク・ドールですか?」


 服の下に仮の身体の線を描き込んでいるのを見て、そう思った。


「いえ、動かすやつです。人形劇とかの。

できるだけ自然な動きに見せたくて」


「子供向けだと上下に揺らしているだけとか、ありますものね」


「あれはあれで好きですよ」


「演者さんによっては不思議と人形に表情が生まれたりしてたなあ」


「それは音楽と動きが合ってるからでしょう。

ミュージカルなんですよ」


 昔から疑問に思っていたことがある。


 女の子ってどうして男同士で会話がはずむと無表情になるの?

 しかもちょっと気持ち悪いものを見る目で。


 フラウは自分が話の中心にいないと気が済まないからわかるけど、

 フラウの銀髪に見とれて悔しそうにしていたリンケルまで表情がない。


「バーナムってお人形さん好きなの? 男なのに?」


「え、あ、うん。

凝った作りも好きだけど芸能としての側面にも──」


「よせよせ、子供にはわかるまい。

もちろん私は理解しているよ、芸術を愛するのは君の優れた資質だ。

私も人形でよく楽しんだものだ。

土くれでできたやつを焼いて埋めたりしてね」


 なんか違うよ、フラウ。

 たぶんそれ生贄の代わりだよ。


 でもなぜだかルインは大笑いしているし、

 機嫌がよくなったフラウはいろんなポーズをスケッチさせている。


「わ、私も好きです。

ねえルインさん、アレ、バーナムにアレ見せたい」


 張り合わなくてもいいんだけどな。

 リンケルは勝ち誇った薄笑いを浮かべるフラウに歯をむいている。


 この二人はいったい何の優劣を競っているのか。


「あれかい? でもあれは映写機がないとねえ」


「任せたまえ、映写機ならある」


「僕のです。自分のみたいに言わないでください」


「私も君のものだが?」


「真顔でなにバカなこと言ってるんですか。

映写機なら僕のがありますよ。ちょっと古いですが」


「スフィアも古いからちょうどいい。

そんなに長くはないが、時間は大丈夫?」


「だいじょぶだいじょぶ、バーナムはいま無職だから。

フラウは来なくていいよ」


 あんまり嬉しそうに言わないでほしい。

 あと僕のスケジュールを勝手に管理しないでほしい。


 リンケルはついてくるフラウを追い返そうとして

 逆にフラウに後ろから抱き上げられてしまう。


 一度、彼女の発する熱で死にかけたこともあって

 彼女には誰も触れられないような印象があったけど、

 フラウはわりと簡単に他人に触れる。


 とくに子供相手には元気いっぱいの大型犬みたいに接する。


 一緒に泥だらけになったり、

 他愛のない棒を引っ張りあったり、

 かくれんぼで最初に見つかったり。


 抱き上げられたリンケルが暴れて

 蹴り上げたカモミールの花弁が二人の周りを舞うとき、

 その花が全てを覆い隠すベールであるかのように、

 フラウは遠慮なくリンケルの背中に耳を押し当てて心臓の音を聞く。


 嬉しそうに、幸せそうに。


 フラウは子供が好きだ。

 子供が元気で生きていられることが好きだ。


 だからきっと、僕にも優しくしてくれるのだろう。

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