第十三話 火の神様、幻影術士に賭ける2

 袖なしシャツ一枚になった僕を見たチョッキの男の反応が

 他所と同じだったから安心した。


「その顔なら他に稼げる場所があるだろ。

なんなら紹介してやろうか?」


 僕の腕の太さはフラウと同じくらいで、

 身長は倉庫に集まっている中で一番低い。


 こういう見た目だけで判断する相手は

 ちょっと優れたところを見せると

 とたんに過大評価してくれるから扱いやすかった。


 長テーブルに座る小太りの男が僕を見て

 妙に興奮しているのが気味悪いが、

 彼の前に置かれたチェスの駒みたいなトークンを一掴み拝借する。


 五つを空中に投げ上げ、

 右の拳の連打でそれを取ってみせれば誰もが感心する。


 ガキだと侮ったぶんだけ僕が強く見える。

 五個のうち二個は幻影だけど。


「速さはたいしたもんだが、

それだけじゃこのへんの連中はビクともしねえぞ」


「みんなそう言うけどね、

どいつもノロマで僕に追いつくまでにへばっちまう。

拳闘ってのは殴り合うもんだと知ってるやつを頼むよ」


「もう取り消せねえぞ。

おい、誰かこのクソ生意気なガキを殴りてえってやつはいないか。

ガキいたぶるのは趣味じゃねえって?

ほんとはビビってんじゃねえのか?

仕方ねえ、おいフレット、酔っぱらってねえならお前が相手してやれ」


 いい流れだ。チョッキの男が自分で指名した。

 要領のわかっている相手ということだ。


 同時に僕に罵声をあびせ、

 フレットにやっちまえと歓声を送る連中も仕込み。

 思ったよりよくできた拳闘賭博だ。

 リンケルの兄は確かに優秀だな。


「いや待てよ、そいつとは俺がやる」


 どこかで聞いた声だぞ。

 盛り上がっていた客たちが一斉に静まり返るし、

 チョッキの男も眉をひそめている。


 悪い流れだ。


「昼間は逃げたりして悪かったな。

ここなら遠慮はいらないだろ、続きをやろうぜ」


 サンザシ頭だ。一瞬、見ただけでわかる。

 すぐに目を逸らしても意味はない。

 向こうはもう完全に僕が誰かを認識していた。


「カルハリ、あんたはしばらく試合禁止だろ」


「ここの連中とはな。けどそのガキはよそ者だ。

それに、幻影術を使ういかさま野郎でもある。

何をされるかわかったもんじゃねえ」


 カルハリが僕の手首を掴み、強く握る。

 握り込んでいた僕の手が開いて三個のトークンが地面に落ちた。


 手の内を知られるって裸にされるみたいな気分なんだな。


「なるほどな。

お前たちに何があったかは知らないが、同情の余地はなさそうだ。

試合を組んでもいいが、カルハリ、殺すなよ」


「ここで死ななきゃいいんだろ」


 心臓が下にずれたみたいにみぞおちのあたりが脈打っている。


 どこでも幻影術士への風当たりが強くて、

 もう誰も僕を子供だと思ってくれない。

 害虫が叩き潰されるのを期待するような目で見ている。


 今すぐ逃げないとかなり危険だ。

 顔から血の気が引いて顎が震えるのは

 もちろん同情を引くための演技だ。


 でも、ボードに僕とカルハリの試合が書かれてしまっては

 続ける理由なんかないのに、震えが止まらないな。


「幻影術士とカルハリ。戯曲のタイトルみたいでかっこいいね」


 フラウ。


 僕は目をつむってうつむいている。

 ややこしくなるからおとなしくしていてほしい。

 僕一人でも逃げるのが難しい状況なのに。


「知り合いか?」


 チョッキの男が僕の背後を見ながら訊ね、僕は黙って首を振る。


「口に気を付けるんだね、知り合いどころかもっと深い仲だよ。

この試合、もちろん受けるとも。

私は彼の勝利に有り金全部、賭けよう」


 息をひそめていた悪意が嘲笑となって現れると、

 僕たちを一斉に取り囲んだ。


 フラウと僕との関係が知られてしまっては

 カルハリに賭けることもできず、

 なんとか死なずに負けたとしても一文無しが確定した。


 こういうの知ってる。

 徒労っていうんだ。


「試合を辞退してもいい。

だが、ここから出た後のことは責任持てないぞ」


 逃げ道を探して視線を動かし始めた僕に、

 チョッキの男が顔を寄せて囁く。


 興行側は死人が出るリスクを避けたい。

 僕が逃げても追わないと言っている。

 あるいは、死ぬならよそで死ねと。


 僕はフラウの手を掴み、客の作る輪の外へと引っ張っていく。


 チョッキの男は僕の動きに合わせて賭けの受付を開始し、

 逃亡の心配はないと思わせてくれている。

 このまま倉庫を後にして、今夜のうちに南へ向かおう。


「どこへ行くつもりだい? 試合が始まってしまうよ」


 僕が足を止めないで強引に引っ張り続けると

 フラウが僕を壁に押し付ける。

 胸を押す腕の力が強い。


 これは、怒ってる?


「やるわけないでしょ」


「また嘘か。そうやって何度も人を騙すものではないよ。

せっかく大勢の人が期待してくれているんだ」


「僕が殺されるのをね。見たでしょう、あの男、カルハリ。

まともに一発もらっただけで死にます。

わざと負けるっていうのはね、お互いの了解あってのことです」


「だから最初から言ってるだろう、勝てばいいんだ」


「無理ですよ。

あんなの僕が一晩中殴ったって倒れやしない。

その前に僕がバテて、ズドン、終わり」


「ふふ、その切羽詰まった顔、不細工だぞ。

大丈夫、勝てるよ。私の加護があれば」


「野宿したあの夜みたいに?

あれをここでやれば倉庫ごと全員、黒焦げだ」


「私は君たち人間を傷つけたりしないよ。

みんなカワイイ子供みたいなものだ。

だが、気に入った相手には肩入れもする」


 フラウが僕の左手を取り、指輪に息を吹きかける。

 僕の指にはただの吐息に感じたのに、

 指輪がほんのりと温かくなって赤みが増した。


「そのまま熱を手の内側に溜める感じで軽く握って、

手のひらに打ち付けてごらん」


 イメージするのは得意だ。


 僕は左拳の中に熱がこもって汗ばむのを想像しながら、

 右の手のひらに打ち付ける。


 手のひらに火傷するような熱さを感じたと思ったら

 すぐに手の甲へと抜けていき、

 手の内側には重い熱が溜まっていた。


「それを人の頭に打ったら、どうなると思う?」


 高熱を出したときと同じだ。

 全身の倦怠と意識の混濁で立ってなどいられない。


 僕がフラウの顔を見上げると、

 瞬きもしない彼女の瞳が間近の篝火のように

 僕の目の奥に熱を送り込んでくる。


 きっと僕も同じ目で彼女を見ている。


「いい顔をしてるね。

覚えておくといい、女は男のそういう顔に惚れるんだ」


 自分じゃ見られないから覚えられないけど、

 そういうことは言わないほうがいい感じだ。


 ちょっとタイミングがずれたけど力強くうなずく僕に

 フラウは拳を突き出す。


「女神の酩酊!」


「はぇ?」


 フラウは拳をさらに押し付けてきた。


「女神の酩酊!」


「ああ、もしかしてこの熱をこめるやつのこと?

それ、いま考えたんですか?」


 あ、ちょっと恥ずかしそうに斜め下向いた。


「試合中に叫ぶ余裕はないですし、

それにこれ言ってしまえばインチキですから

自分でそれを宣言するのも……ね」


「ああ、うん、わかってるよ、ちょっと言ってみただけさ。

さあ、早く行きたまえ。私も君に賭けてこないとな」


 はしゃぎすぎたことを自覚して

 恥ずかしがっている彼女が新鮮でもう少し見ていたかったが、

 そろそろ戻らないと僕が逃げ出したんじゃないかと客が騒ぎ出す。


「でも、本当に勝てるならもうちょっと元手が欲しかったな」


「そうかい? なら増やそうか」


「何か売れるものでも持ってるんですか? 指輪以外で」


「任せておきたまえ。地上の全ての財貨に勝るものだ」


「そんなのここじゃ扱えないでしょ」


 虹石だってまともに換金できなかったのに、

 彼女の自信はどこからくるのか。

 老夫婦から服のほかにも何かもらったのだろうか。


 ボードの前で僕が戻ってきたことに驚き、

 困惑しているチョッキの男から手を保護するバンテージを受け取る。


 僕がバンテージを巻いている間に

 フラウは長テーブルに座る小太りの男に話しかけていた。


 彼の前に指輪や懐中時計、眼鏡なんかも置かれている。

 故買屋だな。


「賭けるのは金じゃなくてもいいのかな?」


「金になるものなら何でもいい、俺が鑑定して値段をつけてやる」


「そうか、安心した」


 フラウは長テーブルに手をついて小太りの男に顔を近づけると

 頭に乗ったシルクハットを指で跳ね上げる。


「では、鑑定人君。私なら幾らだ?」


 そろそろわかれよ、僕。


 口が半開きになって肩が落ち、

 きつく締めていたバンテージが緩んで巻きなおしだ。

 みぞおちのあたりが脈打つのも戻ってきた。さっきよりひどい。


 勝てると思って彼女と一緒に僕もはしゃいじゃっていたのか、

 すぐに気づけなかった。


 フラウが自信たっぷりなときは、ろくなことにならないって。

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