第十話 火の神様、働く

 僕が統国党支部で支給された透明な球体を手の上で転がしていると、

 フラウが横から手を伸ばしてかっさらっていった。

 手癖の悪い神様だなあ。


「不思議だね。

こんなものに犬だのトロッコだのが入っているとは」


「それに入ってるのはニュースです。映像付きの時事情報。

幻映石といって、

未加工だと周囲の映像を勝手に取り込んで放出してしまいます。

でも、研磨して溝を刻むことで映像の質を上げ、

放出される映像の順序が制御できるようになる。

『レジスフィア』の完成です。加工技術もどんどん発展してて、

溝を細かくすることで記録できる時間もかなり長くなってますよ」


「君、好きなことを喋ると早口になるね」


 それで記録ができると思っているみたいに、

 フラウはスフィアを僕に向ける。


 別に好きなわけではないが、新しい技術に興味があるのは確かだ。


「でもやっぱり記録の仕事はもらえませんでしたね。

あのアントンという人は覚えておくと言ってたけど、いなかったし」


「仕事、探してるんだね」


「ええ、まあ……」


 僕はフラウが返してくれたスフィアを軽く握りこむ。


 彼女はわかっている。

 僕が早口になったのは、

 好きなことを話していたからじゃないことぐらい。


 嘘なんか、いっぱいついてきたのにな。


「指輪、売れなさそうです。

売れても安く買い叩かれてしまうでしょうね。

すいません、僕が子供だから舐められる」


 本当は売れるけど、まだそうしたくない。


「子供が子供であることに引け目を感じるな、

子供は保護されるべきものだ。

それができないのなら人の世が間違っている。

しかし、それが売れないのは困ったね。

君が働かないと私が飢えてしまうよ。何とかしたまえ」


「絶対矛盾の自己同一って知ってます?」


「知らないが美しい響きだ。私のことだね」


「あれ? 会話が成立しちゃった」


 フラウには嘘をついても罪悪感がないな。

 あるいは、彼女がそう仕向けているのかもしれない。


 シルクハットのつばを持ち上げ、

 斜め上から隙間を通すように目を合わせて微笑む彼女を見ていると、

 そう思えてくる。


「そのニュース、上映するのかい?」


「僕の歳で、こんなやせっぽちができる仕事ってないんです。

でもこれなら、大人が一日働いたのと同じくらい稼げる」


 僕は彼女のまねをして微笑む。嘘の代償としてなら安いものだ。

 僕が我慢すればいいだけ。

 仕事っていうのは、だいたいそういうものだろう?


 フラウは腰に手を当て、僕の強がり

──大人の妥協なのだが、彼女には理解できまい──

 を見透かしたようにやれやれと首を振る。


「君もズルいな。そんな捨てられた子犬みたいな顔をされたら、

神でさえ何もしないわけにはいかないだろうね」


「犬、好きですよね。よく吠えられてますけど」


「犬は神聖な動物だ。吠えて邪悪を追い払う力がある」


「自分でなに言ってるか、わかってます?」


「働くと言っているのだ、この私がな。

生まれたばかりの赤ん坊を祝福してくれと言われても、

面倒だから断っていたくらいなのに」


「聖人の座も危ういな、アフラ」


「日暮れにあのみっともなく焼け落ちたアロルの尖塔で落ち合おう。

せっかくだからどちらがより多く稼げるか勝負だ。

戦争で疲弊した人心を鼓舞して金品をまきあげるなど

私には造作もないこと。

君は敗北の言い訳でも考えていたまえ」


 大声でのアロルを見下した発言のせいで、僕が周囲に

 頭を下げている間にフラウは車道を堂々と歩いて行ってしまう。


 できれば目の届く範囲にいてほしいが、

 ニュースを上映するなら彼女には見せたくない気持ちもある。


 呼び止めようか迷っていると、

 フラウのほうが車道の真ん中で振り返った。


「つまり、私の勝ちは決まっているんだから

君は何もしなくていいんだ。

聞こえたかな、何もしなくていいんだよ」


 周囲から邪魔だと怒鳴られながら、

 フラウは負けじと声を張り上げている。


 轢かれそうな彼女が心配で言っていることが頭に入ってこなかったが、

 穴の開いた外套が雑踏に紛れて見えなくなったあたりで理解できた。


「そんなのでちゃんと伝わるの、僕くらいだよ」


 ニュースの上映なんてしなくていいと、そう言いたかったらしい。

 要するに、気を遣われた。


 僕は彼女と逆の方向に歩きだし、

 馬鹿にしたように笑いながらスフィアを握りしめている。


 僕は頼りない。


 一人で生きてきて師匠のような、

 見ず知らずの兄妹の面倒を見られるような大人に近づけたと思っていた。


 でも違った。

 何もかも一人分の生き方に慣れてしまっただけだ。

 一人分の金、一人分の時間、一人分の言葉、一人分の感情。

 フラウに、辛い顔一つ隠し通せない。


 僕はため息をつき、最初の上映場所に向かう。

 これで彼女の言う通り何もせずに待っていたら、

 僕は本当にただの子供に戻ってしまう。


 それくらいなら鞄ごと映写機を捨ててしまったほうがマシだ。


「稼いでみせますよ、あなたよりずっとね」


 ニュースの上映は街に住む統国党員の住居近くで行われ、

 上映を確認した党員からトークンをもらってそれを支部で換金する。


 僕みたいな新参は人の多い街中にこだわらず、

 他の幻映士が避ける炭鉱労働者の暮らす地域がねらい目だ。


 そういう地域で重要なのは映像ではなく語り。


 みんないつも忙しないから映像は少しくらい早回しで構わない。

 わかりやすく要点をまとめた語りが喜ばれる。

 映像の力を過信する専門の幻映士がその地域を避ける理由だ。


 ブルンナゴの西側は

 トラーンからアフラムまで流れるディアン川に接している。

 平時には汽船での往来もある深くて広い川は、

 青が濃くて歌にもなった。


 幻映石の加工には大量の水が必要で、

 加工所は水辺に作られる。


 ブルンナゴは幻映石の鉱山も近く、

 採掘労働者、加工技術者、スフィアの撮影技師が多く集まった。


 そんな街だから記録媒体としてのスフィアの可能性を追求するため、

 街中で実験的なスフィアの加工や撮影が行われることがある。


 河原を走っている少女を見かけたとき、

 そういう実験の一つなのかなと思った。


 複数の男が少女を追いかけてきて捕まえ、

 髪を掴んで川に頭を沈めたあたりで

 撮影なんかじゃないと確信した。


 街中で家畜を飼っていたころには

 放牧に使われていたような幅のある土手で、

 通りがかる人がいても土手を降りてまで関わろうとはしない。


 採掘で鍛えられた屈強な体つきの男たちは

 サリアの現地人とトラーンの移民が半々。

 捕まった少女は遠目に見ても暗い影のような肌色をしている。


 昨今では誰もが避けるトラブルの構図だ。


 少女の頭を川から上げて何かを怒鳴っているが、

 せき込む少女に聞こえてるわけがない。

 何も答えられないまま、頭はまた水の中。


「死ぬぞ」


 誰にも、自分にさえ届かない声で呟いたって止められない。


 誰かを呼ぶ?


 今、この街の治安を担っているのはトラーン軍の兵士だ。

 彼らがシリ人のために何をしてくれるか?

 下手をすれば僕も逮捕される。


 ディアン川を謡った歌に、

 ディアン川のほとりでは

 どこの国でも同じ匂いがするという歌詞がある。


 本当にそうだ。


 ランゲンでもブルンナゴでも、

 不安や不満を一方的に押し付けるだけの暴力が、

 暑い日の乾いた川床の臭いを川辺に運んでくる。


 腐った泥だ。


 男たちも見ているだけの僕も、

 殺されかけている少女さえも、

 その泥の中で腐っている。


 以前の、フラウに出会う前の僕ならうつむいて通り過ぎた。

 仕方ないことだと諦められた。


 でも今は、まるで自分が窒息しかかっているみたいに

 苦しくて、嬉しい。

 この苦しさはたぶん、一人分じゃないから。


 フラウと一緒に行くなら、腐った泥から足を引き抜かなくては。


 鞄とシルクハットを草むらに放り込み、

 プシュケを吐きながら土手を降りる。


 思い描くのはアントン。

 最近、会った人間では一番怖かった。


 それに、少女を掴んでいる男は

 短く刈った髪に三本のサンザシの形に剃り込みを入れている。


 ゲシヒズムの奴隷め。


 彼らが心酔するものこそ、最大の威嚇になる。

 特務隊員を間近で見られたのは収穫だった。

 制服を正確に再現できる。


 特務隊員は任務を説明しないし、

 一人で行動するのもありえない話ではない。


「おい、そいつから手を放せ」


 アントンの声色をまねして怒鳴ると、

 男たちが一斉に僕を見て硬直した。


 怯えているというよりは呆然としている。

 僕は走らず、脅しを効かせる大股のゆっくりした足取りで近づき、

 サンザシ頭が驚いているうちに少女を引き離した。


 肩まである黒髪が顔にへばりつき、

 ぐったりしていて間に合わなかったかと思ったが、

 背中を叩いてやると自力で水を吐いた。


 呻きながら土手を補強する積み石に額をつけて

 呼吸を落ち着かせている。


「こいつはこちらで預かる。理由は聞くな」


 僕は少女の背中をさすりながら男たちを睨みつける。

 僕から離れている相手ほど脅しは効いているようだ。


「どうした? わかったらさっさと家に戻れ」


 この時点で逃げたのは二人。現地在住のサリア人だろう。

 もともと少女を痛めつけるのにも乗り気でなかった。


 間近にいるサンザシ頭は移民だ。

 トラーンに住んでいたなら幻影術を見たことのあるものも多い。


 僕の服が濡れていないことに気づいて訝しんでいる。

 もともと着ている服と重ならないようにするため、

 寸法がおかしくなっているのにもすぐに気づく。


「なあ、あんた、すまないがちょっと立ってみてくれないか」


 一応、まだ丁寧に言っているが、ほぼ確信している。

 後ろの仲間たちに目くばせして少し広く僕たちを囲み始めた。


「お前たちに構っている暇はない。

任務を妨害するなら全員──」


 サンザシ頭が僕の胸ぐらをつかんで無理やり立たせた。

 肩の筋肉は盛り上がってシャツが張っているし、

 筋肉も脂肪も固くて分厚い。


 サメみたいな目をしている。

 こんなの存在が暴力だよ。軍に入って戦争でもしてろよ。


「やっぱりだ。こんなチビの特務隊員がいるかよ。

おい、こいつの服、幻影だぞ」


 仰る通り、特務隊員は精鋭です。

 僕みたいなチビのガキはいません。わかってるよそんなこと。


「幻影で特務隊員を騙るなんざ重罪だ。

そのゴミの肩を持つってんならなおさらな。

ガキだからって罪の重さは変わらんぞ」


 偽物とわかって安心した周囲の仲間たちも口々に僕を罵倒する。

 ヘンな話だけど、なんだか気分がいい。


 子供が保護されないなら世の中が間違ってるって、

 こういうことなんだって理解できた。


 僕は男の腕を掴み、胸の中央を見据える。


「そうかい。じゃあ、これならどうだよ」


 一瞬にして特務隊員の制服がサンザシ頭の身体に移る。

 造形より速さが大事なトリックだ。


 サイズが合わなくて男の身体が一部、貫通していしまっているが、

 逆にそれが幻影であることを強調し、

 火が付いたみたいに慌てている。


「お前……ふざけんな、消せ、こいつをすぐに消せ」


 怒鳴るサンザシ頭にめいっぱい大きな笑顔を返してやる。


「立派な幻影術だなあ、そんな恰好で誰を襲うつもりだ?

おーい、幻影術を使う不審者だ、兵隊呼んでくれ。

ゴールを殺した犯人がここにいるぞ」


 すごい声が出てるな、僕。

 サンザシ頭と仲間たちの混乱に拍車をかけるように声を張り上げ、

 胸ぐらをつかんでいたサンザシ頭の腕をねじり上げる。


「僕から離れれば幻影は消えるよ。

あんたの歳じゃ、どう言い訳したって施設送り程度じゃすまないぞ。

ほら、さっさと逃げろ」


 サンザシ頭は頬と瞼を痙攣させて噛みつきそうな目で睨んだ後、

 僕を突き飛ばして走っていく。

 中心点を決めて置くだけの幻影で追従性はないから、

 走ると手足が増えているみたいに見える。


 逆に面白い使い方かもしれない。


 後を追うように逃げ出す他の連中と一緒について行って

 もう少し観察したい衝動に駆られもした。

 でも、河原の土の上にうずくまった少女が

 泣いているのに気づいてやめた。


 背中を丸めて手足をたたみ、

 顔を隠して、そうすれば何も感じず、

 何も知らない間に全部終わってると思っているみたいに。


 あのときの僕だ。

 頭を抱えて、目を閉じて嵐が過ぎ去るのを待った。


「もう、大丈夫だよ」


 声をかけると少女の肩が震え、

 石のように固まったかと思うと少しだけ声を大きくして泣いた。


 僕は彼女の隣に座り、

 鼻をすする音や不規則な息遣いに耳を澄ませながら

 ポケットの中のニュースが入ったスフィアを握りしめる。


 男たちはシリ人の少女に向けるのと同じ目を僕にも向けた。

 歪んだ思想はもはや人種さえ関係なく差別の対象にする。


 直面して初めて知った。

 どこまで行っても目が合わない、無機質な人形を見る目。

 僕たちは同じ生き物じゃないんだ、彼らにとって。


「軍人や政治局員を騙るのは重罪。

知ってるよ、ニュースでさんざんやったから」


 川の水はまだ冷たい。


 日差しがあるとはいえ、ずぶ濡れの少女はきっと凍えている。

 鞄にブランケットが入っているから、取りに行こうと立ち上がる。


 僕の動きに驚いたのか水鳥が飛び立ち、

 川のほうに目を向けると

 誰もいない対岸からたくさんの悲鳴や怒号が聞こえてきた。


 ゆっくりとした流れのディアン川が、

 あの日の暴動の声をようやく運んできたかのように。


 無意識に奥歯を噛みしめていた顎を緩めて息を吐き出し、

 声に引き込まれる前に目を背ける。


 鞄を置いてきた草むらに戻るついでに、

 僕はポケットからスフィアを取り出してできるだけ高く、遠く、

 川に向かって放り投げた。


 川面に落ちるまでの間に陽光を受けたスフィアが一瞬煌めいて、

 すごく高い空の上から天使が零した涙みたいで、

 綺麗だった。

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