第八話 火の神様、お客様をもてなす2

 ランゲンで暴動が起こったとき、

 最も人々の記憶に残ったのは中央郵便局の一夜だろう。


 旧市街の古い建物を改装した郵便局は分厚い石壁を備え、

 窓は小さく、屋内の空気は年中、冷たかった。


 その郵便局に、逃げ場を失った三十人ほどのシリ人が

 わずかな武器を持って立てこもった。


 郵便局を何重にも取り囲み、

 シリ人を吊るせと叫ぶ暴徒たちは異様な熱気に包まれ、

 彼らが相手を正常に認識できているかも怪しかった。


 事態を重く見た当局は軍に出動を要請。


 現場に到着したのがトラックの荷台に固定して使う、

 鋼鉄の獣の尾のような機関砲だった。


 二人がかりで弾帯を取り付け、

 暴徒たちに警告を発した後、機関砲が向けられたのは郵便局だ。


 直後に鳴り響いた音は暴徒の叫びをかき消して、

 街の色がなくなってしまうくらい僕の頭を揺さぶった。



 立てかけただけのドアをフラウが押して外側に倒すと、

 ノックしたはずの人物はどこにもいない。


 廃屋の入り口は僕たちが最初にやってきた丘のほうを向いているのだが、

 てっぺんにある半壊した建物のあたりで強い光が瞬いた。


 それが同じ音だった。


 連続した雷鳴が大地まで引き裂くかのような、

 耳ではなく体を叩く音。


 僕たちが寝床に決めた廃屋がクッキーみたいに砕け散って、

 屋根は粘土で擦るみたいに削り取られた。


 まず対象との高さを合わせ、その後に射線が横に動いてくる。

 対象はフラウだ。


 腰に手を当て、星を眺めているときと同じ目で光のほうを見て、

 暴風のような銃弾の嵐に髪をなびかせる。


 射線が彼女と重なる。


 木材と漆喰の壁が一瞬で消し飛ぶのだから、

 彼女だって同じかそれより早く消える。

 背後にいる僕もほぼ同時に消える。


 消える、だ。

 死ぬ、じゃない。


 圧倒的な破壊の力の前では、僕たちは自分たちを生物だと思えない。


 それなのに僕は、彼女を包む幻影を維持するのに必死だ。

 たった一つでも消えないものがあれば、

 自分も彼女も守れると思っているみたいに。


 以前、彼女が着た服と色が混ざってしまったのが気になっていたから、

 今回はやや大きめでゆったりとしたデザインに変更し、

 色が重ならないようにした。


 綺麗だ。

 僕の幻影は完璧だ。


 彼女もその些細な変更に気づいて、

 こんな状況でよくやるものだと笑ってくれる。


 フラウのまわりで火花が散り、

 キラキラと煌めく光を含んだガスが噴出する。


 飛来する銃弾がガスを切り裂き、

 火花を重ね、ガスの中にいる彼女を照らす。


 火花が触れると石は溶け、木材は火に包まれる。

 ガスに含まれる煌めく光が上空で火の玉に変わって降り注ぎ、

 火の海をどんどん広げていく。


 フラウが軽く手を打ち合わせると彼女を中心に熱風が巻き起こり、

 ガスを吹き散らす。


 顔の皮膚が瞬時に乾くほどの熱さだ。

 見開いた目と口に汗が流れ込んできて、

 それでも僕は瞬きもせず彼女を見つめている。


 泣き虫アフラだ。


 彼女自身の放つ熱で、すでに服は焼け失せた。

 足元の土が溶けた灼熱のぬかるみにつま先で立ち、

 熱風で髪を踊らせて、飛び散る火花を蛍を愛でるように手に取る。


 彼女の頬を火照らせるのは熱ではなく興奮。

 音と火が、きっと間近で見る花火にでも思えるのだろう。


 僕は涙を流している。


 こんなにも恐ろしい光景に僕の幻影術が関わっていることの嬉しさと、

 でも彼女の、目の前で起こる事象を全力で楽しむ無邪気な笑顔を

 綺麗だと見とれている、僕の浅ましさに。


 無邪気なフラウは次の花火を期待しているが、それはない。

 同じ花火が続くだけだ。

 彼女はそのことを理解すると途端に不機嫌になり、ため息をついた。


 彼女は右腕を伸ばし、人差し指を丘の上の光に向ける。


 周囲の炎が渦を巻いて指先に集まり、

 細く引き伸ばされて青から白へと色が変わる。

 目を焼く白熱した光は手を顔の前にかざしても突き抜けてくる。


 限界だ。

 全身から出血しているかのように汗が痛い。

 焼けた空気で喉が潰れ、鼻から吸い込むと目の奥に熱が溜まった。


 身体が燃えるように熱いのに手足の指先だけは冷たくて、

 僕は凍えて丸くなる。


 嫌だ。

 幻影術が消える。


 僕が生きている理由、

 生きなければならない理由、

 アリシアとの夢が。


 倒れこみ、頭を打ったときに喉が引きつって

 唾液と胃液と血の混じった液体を吐いた。

 喉の奥にネズミがいるみたいな声を出して。


 フラウが弾かれたように振り返り、

 指先の光を手の中に握りつぶす。


 彼女は僕に駆け寄ると火から守るように覆いかぶさると、

 うろたえながら僕の顔を両手で挟んで上向かせる。


 僕の目の中に意識を見つけると

 彼女の顔が紙くずみたいにくしゃくしゃになって、

 大粒の涙を零した。


「何も学ばないな私は。──。

また、君を死なせてしまうところだった」


 彼女が呼んだのは僕の名前じゃない。


 それに彼女の表情と声。

 長い時間を一緒に過ごし、いくつもの秘密を共有し、

 そのどれもが心臓と同じ場所にある。


 そういう親密な誰かにだけ許される甘えを含んだ声だ。


 彼女は親指で僕の頬をさすると、

 ゆっくりと顔を近づけ、唇を合わせた。


 熱で焼けた気道を彼女の吐息が通っていく。


 朝露に濡れた森の空気のようにさわやかで、

 温かくて、肺を満たした後は全身に温もりが染みわたる。

 内臓だけじゃなくて骨も筋肉も、

 皮膚や髪の毛一筋に至るまでその温度に合わさる。


 フラウの吐息に包まれた浮遊感で僕の腕が浮き上がり、

 彼女の腰と背中に手が添えられる。


 驚いた彼女が微かに目を開けると、

 僕は彼女を抱きよせていた。


 機関砲の轟音はやんでいる。

 弾が尽きたか、諦めたのだろう。


 周囲にはまだ地を這うような火が残っていて熱い。


 黒い塊になった木材が溶けた石の中で崩れ、

 空洞のできた奇怪なオブジェが僕たちを囲んでいる。


 灰が雪のように舞い降りてきて、

 唇を合わせたまま息をするのも忘れた僕たちに降り積もる。


 静かだ。


 音が灰に吸い込まれ、音が灰で閉じ込められて、

 僕の鼓動が彼女よりもずっと早いのも、きっと聞こえている。


 今日のことは灰の下に埋もれる。

 彼女が過去にその顔を、声を、唇を許した相手の記憶に、

 僕は埋もれてしまう。


 彼女を抱き寄せながら、同時に突き放そうとする、

 相反する衝動を生む泥みたいなものが胸の内側に溜まっていて、

 目に映るもの全部が揺れて暗くなっていく中で、

 僕は気づいた。


 それは嫉妬というんだと。

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