第五話 火の神様、国境を越える1
郊外に出てすぐにフラウの服の装飾を消すと、
この世の終わりみたいな声を上げて掴みかかってきた。
だいぶ気に入っていたみたいでそれは嬉しいのだが、
あんな派手なものずっと着ていられるわけがないのはわかってほしい。
「私の服、返して。こんな地味なのヤダ、さっきのがいい」
「僕の作った幻です。あなたのじゃない」
「私が気に入ったものは私のだ」
「強欲なドラゴンくらいしか言いませんよ、そんなこと。
あなたのために勇気を出した自分が恥ずかしいよ」
「私のため……さっきの小芝居のことかい?」
「興業のための口上です。もういいからこれ着てくださいよ」
買った服を彼女に押し付けると、
いかにも気に食わないというふうに鼻を鳴らしながら、
広げて自分の身体に当てている。
膨らんだ袖を手首で絞ったクリームイエローのシャツと
浅葱色のロングスカート。
巡礼服よりはいい。
清潔で、なにより真新しい。
見ているうちに袖を通したくなったのか、
彼女は幻影の上から服を着始めた。
別に肌が露出しているわけでもないのだが、
何となく見てはいけないものの気がして僕は後ろを向く。
「君がみんなの気を逸らしてくれていたのはわかっている。
正直、私も戸惑った。
今の人々は昔のようには、神秘を受け入れてくれないんだね」
「神は死んだ、と言った哲学者もいましたよ」
「言いえて妙だ。私も他の神の存在を感じない」
これじゃ彼女が本物のアフラだと認めているみたいだ。
彼女は幻影術士が神秘を愛するといった。
でもその神秘に対し、
まずは理性で捉えようとするのもまた幻影術士だ。
僕は神でさえ理性の下に置く時代に生きている。
銃弾が消えたのだって、僕はそういう奇術をいくつか知っている。
『驚異の消失』は僕が実際に見た演目の名前だ。
彼女が神であるよりも、奇術師であるほうを僕の理性は選ぶ。
「さ、もういいよ」
振り向くと、
新しい服と僕の作った幻影が重なって色が混ざっている。
最初に会ったときの死神を思わせるローブの色で、
僕は幻影侯爵の妄想癖がおかしくて笑ってしまう。
「ん? なんだい? どこかヘンかな?」
スカートの裾をつまんで自分の恰好を見下ろしている彼女の前で、
拭いとるように手を動かして幻影を消した。
どうやったら彼女を死神と間違えることができる?
だってこんなに……
僕は何も言ってないのに自分の口をふさぐ。
こんなに……なんだ?
「ヘンじゃないですよ。ようやくまともになったんです。
着替えが終わったんなら行きましょうか」
「まだ時間はあるよ。まずは今夜の演目を考えないとね」
「演目?」
「彼らに約束したじゃないか。
今夜、バーナム・ショーとやらを見せて喜ばせるんだろう?
まあ、私を見るだけでも至福の極みだが、特別に踊ってもいいぞ。
そうなると君の幻影術が誰の記憶にも残らないが、
それは諦めてくれ」
「いや、やりませんよ」
「なんだって」
声が大きい。
すごく驚いているし、すごくがっかりもしている顔だ。
本当にやる気だったんだ、この人。
「できるわけないでしょ。
さっきの政治局員が応援でも呼んでいたらどうするんですか?
今すぐにでもここから離れないと、身の危険があります」
「じゃ、じゃあ君は、あんなに平然と嘘をついたのかい?
そんなにかわいい顔してるのに?」
「顔は関係ないです。
ああ言っておけば、政治局員が戻ってきても広場を見張るしかない。
人数が少なければそれだけで追跡を遅らせられる。
広場にいたみんなもそのくらいわかってます。
素直に騙されたふりをすることで、
僕たちに協力したなんて疑いをかけられずに済む」
「なんてことだ。
あの火を怒らせるものより君のほうがよほど悪辣じゃないか」
火を怒らせるもの、悪辣。
時代錯誤な言葉遣いがまるで神話から抜け出してきたみたいだ。
僕はなんだか褒められたみたいな気分になって、
やっぱり笑ってしまう。
「悪辣で結構。
幻影術士が操る幻は目に見えるものが全てではないんですよ。
わかったらさっさと行きましょう」
「どこに?」
どこにと言われて僕は彼女と向き合ったまま固まってしまう。
彼女の言うとおりだ。僕はどこに行こうとしていたんだ?
いや、もちろん僕には僕の目的地がある。
南へ向かい、国境を越えてサリアへ。
その先のアフラムへと向かっている最中だったのだから。
でも彼女は? 貴族の娘だろうが奇術師だろうが、
僕と一緒に行く理由はない。
「あの……その、あなたを家に、送り届ける?」
「家も家族もないと言っただろう」
「あ、えと、服の──」
代金はもういい。
彼女がいなければ連行されていた。
そのくらいは対価として支払って当然だ。
僕は内気な子供みたいになって
──それが本来の僕なのだけど──
口の中で言葉にならない言葉を転がしている。
これで終わり?
お別れ?
厄介払いができていいと思っているのに、
僕が探しているのは彼女を引き留める理由だ。
そうやって態度をはっきりさせないでいると、
彼女が子供のいたずらを許す母親みたいにため息をつき、
僕の髪に手を突っ込んでかき回す。
「ほら見ろ、アロルなんぞ信じるから迷子になる。
まずはこの指輪を換金できるところに行こうじゃないか。
服の代金も返さなくてはな」
「え? 服のことはもう……いや、そうですね。
お金のことはきちんとしないと。
じゃあまず南に向かいましょう。
ブルンナゴまで行けば、
その指輪を引き取る業者も見つかるかもしれません」
「案内は頼むよ。食事と寝床も。
最低でも一日おきに湯あみはしたいね」
「頼みすぎでは?」
彼女はきょとんとして僕を見返す。
何も無理なお願いはしていない顔だ。
身の回りの世話は他人がして当然の人間。
奇術師の可能性はほぼなくなった。
一緒に行くと決めた次の瞬間にはやめておけばよかったと後悔し、
でも少し歩くと振り返ってそこにちゃんといることを確認したくなる。
その容姿も存在も、自分の作った幻より現実味がない。
「ヴァイネン・フラウってどんな意味だい?」
村から離れ、道路に車の轍が目立つ主要な街道に出たころになって、
彼女が思い出したように言った。
僕がとっさに考えた名前だ。
「師匠の生まれた地方の言葉で、
『泣いてる女の人』くらいの意味です」
「いいね、泣き虫アフラを想起させる」
「好きですか? あの童話」
「もちろん。
年端もいかない子供たちが私のために額に汗して労働にいそしむ。
これ以上すばらしいことがあるかい?」
「どぶみたいな性格してますね」
「君の称賛は独創的だな。
しかし……ふふ、人間の名前を付けられたのはさすがに初めてだ。
どんな手を使ってでも私をモノにしたいという下卑た欲望を感じるね」
「名前の解釈としては独創的ですね」
「気に入った。
特別に君にだけ私をフラウと呼ぶことを許そう。
ほら、飛び上がって喜んでいいぞ」
「わぁい」
僕は力のない歓声をあげながら、またフラウを振り返る。
彼女は新しい名前で呼ばれるのを期待して待ち構えているが、
そうしていれば静かだからしばらく放置。
焦れた視線を背中に感じている間は、振り返らなくてもよさそうだ。
僕はトラーンとサリアの国境沿いに連なる、
まだ雪を被った山並みを眺める。
そこから吹きおろし、
僕に届くまでの間に風がはらんだ焼け焦げた臭いに眉をひそめながら、
あと何度振り返るだろうかと思う。
今の気持ちで、
そこにフラウがいることを期待して、
あと何度。
そこに彼女がいれば安心し、そして恐れる。
いつか振り返って彼女がいなかったら、
やっぱり僕は悲しむのだろうか。
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