第二話 火の神様、幻影術士と出会う2
そもそも僕は人前に出るのが苦手だ。
師匠と出会ったころなんて本当にひどかったんだ。
女みたいな顔だとさんざん殴られたせいもあっていつもうつむいている癖がついていた。大きな声は出せないし、何をするにも人目を避ける。
そんな僕が幻影術士として生きていくために師匠と一緒に考えたのがベルンハルト・イルジグラー幻影侯爵。
機知に富み、尊大で自己陶酔の強いキャラクター。
彼になりきれば、僕は芝居がかった身振りや口上をなんなくこなし、幻影術士として人前で幻を披露することができた。
師匠はそんな僕を見て、嬉しそうに小さな侯爵と呼んだものだ。
ビビりすぎたせいで、その侯爵が頭の中で死んでる。
自分を半ば本気で神話の登場人物だと信じている能天気な世界観で僕を守ってくれない。
彼に頼れない以上、ここから先は本来の僕のなけなしの勇気だけで恐怖と相対しなくてはならない。
意外なことに恐怖から目を逸らさないこと自体は簡単だった。
まばたきを忘れ、石のように筋肉は固まって、裸体をさらす怪異から逃げようという意思が微塵も感じられない。
本来の僕もなかなか勇敢だ。
これって勇敢……だよね?
ここからはあくまで純粋な探究心による観察と思いたい。
言ってしまえば実物を見たのは初めてだ。
だからその二つの盛り上がりの大きさを他と比較もできない。
わかるのは前に突き出しているのが胸の筋肉がしっかり支えているからで、背の高さも相まって上から僕を叩き潰せそうな迫力がある。
腰は幼いころからコルセットで締め上げたような、やや歪つに感じるほど細く、それが腰から臀部への広がりを際立たせる。
太ももと腹筋はうっすらと筋肉の影が浮かぶ。
古代の神殿の柱のように強く、神秘的でさえある。
生命の誕生に深く関わる部分についてだが……
知識と経験の圧倒的不足により情報を処理できない。
無知とは闇なのだ。
ふくらはぎは太ももに比べて筋肉の付き具合が細く、足首も細い。
日常的に歩いたり労働したりする足ではない。
裸足で歩いてきたせいで汚れてはいるものの、足の爪も綺麗に整えられていた。
侯爵と違って僕は死神など信じはしないが、総じて神々しいと言っていい。
うん。
どうしよう。
「君が見ているものは間違いなく世界一美しいものだから思考が停止するのはしかたないが、気絶する前に服を着せてもらえるか?」
力を借りたいとはそういうことだったか。
言うまでもなく僕はわかっていた。わかっていたということが、ちょっとわかっていなかっただけだ。
シルクハットのつばを指で挟み、人形のときよりは長くプシュケを吐く。
さっき作ったドレスから連想しやすい青色。日光の下でも色が掠れない深い青がいい。
目立たないよう、巡礼者が着るような肩に雨よけのケープがついた長衣だ。
ベルトにどくろみたいなバックルをつけてしまったのは死神というイメージを引きずったからではない。かっこいいからだ。
「思った通り、いい腕だ。全体的に地味だし、ベルトのデザインは幼稚だが、まあ今はこんなものでいい。どうせ間に合わせだ」
そこはかとなくひどいことを言われた気がするが、幻影術は褒めてくれたから不問としよう。
彼女は僕が作った幻影の下からもともと着ていたぼろきれのようなローブを脱ぎ捨てる。
「私が裸で歩いているのを見かねた農夫がくれたんだが、雨の日の作業用で臭くてね。しかし君の幻影術、追従性がすごいな。腕の動きにピッタリついてくる」
あまり話が頭に入ってこない。声が耳の奥まで届いてこない感じ。
初めて見る他人の容姿に圧倒される? この僕が? バカな。
最も熱い季節の太陽を思わせる銀色の髪と、燃えるような赤い瞳に魅了されたりなんかするわけない。
僕の小さな手の中に収まってしまいそうな顔。
パーツは全体的に下よりで幼さを残した鼻や口元が、妹を思い出させる愛らしさを備えてなんかいない。
やや細めなければはみ出してしまいそうな眼は理知的。
それでいて赤い瞳は情熱を宿し、僕を見ただけで人生そのものを写し取ってしまいそうな透明感が、理想を体現しているなんてことも断じてない。
非常に冷静な分析により、僕が彼女に一片の魅力も感じていないと明らかになった。目が離せないのは、まだ彼女に恐怖を感じているからだ。
そうに違いない。
「さて、幻影術士君。私を救う栄誉を受けた君の名前を聞いておこうか」
「あ、バーナムです。ただのバーナム。他には何もなし」
しまった。素直に答えちゃったよ。
「私のほうは言うまでもないと思うが、君は少々鈍そうだからな。
私はアフラ・マーダ。拝跪は手短にな。まだ用事があるんだ」
胸に五指の指先を当て、首を傾けて見下ろしているが、僕が何もしないでいるとじれったそうに足先で地面を叩く。
「どうした? 祈りが出てこないなら省略していい。さっさとしてくれ」
「あの、僕に何をしろと?」
「何って……アフラ・マーダだぞ、知らないのか、獣にでも育てられたか」
「知ってますよ。六大聖人の一人ですね」
彼女が眉をひそめると日が陰ったように周囲が暗くなる。見上げてみても雲一つないけど、そんな気がする。
「どうして私が聖人なんだ? 神だろうが。お前たちに火を与えた神だ」
「だったのは初期の神王信仰までですね。神王信仰が力を失ってからも六柱神は根強い人気があったので、アロル教に聖人として取り込まれました」
「おい、アロル教って言ったか? それってあのアロルのことか?」
「ええ、まあ、アロルと言えば導きの主アロル以外にはいません」
「よしてくれ、あいつは方向音痴だぞ。あんなのに導かれたら迷子になるだけだ」
僕は慌てて鼻の前に指をたて、周囲に人がいないのを確認する。
「やめてください。このへんは敬虔なアロル教徒が多いんです。
アロルを冒涜したなんて知られたら、棒叩きくらいは確実にくらいますよ」
「このへんって……他でもアロルは信仰されてる?」
「当たり前です。国教はほとんどアロル教ですよ。僕も一応、信者です」
自称アフラは僕の両肩を掴んで目の中に嘘を探している。
結構、必死な感じだな。指が食い込んで痛い。
「つまらん嘘をつくな。君は私の信者だろ。
だってさっき天上の美で魂が洗われたようなだらしない顔して私を見てただろ」
「そんな顔してない」
「恥ずかしがらなくていい。私の前ではそうなるのが当然だ。
昔の信者なんて私を見ただけで踊りだしたりしたんだぞ」
「やべえわ、そいつら。いいから放せよ」
「アロルなんてやめて私にしろ。今なら髪の毛の先っちょとかあげてもいい。
おまけで司祭にもしてやる」
「いらんわ。まあでも、アフラは女性には人気がありますよ。
かまどの上とかにお守り置いて、火事になりませんようにって」
「かまど……だと?」
「ええ、煮炊きとかするやつ」
「知ってる。そんなとこに置いといたら汚れちゃうだろ」
「ですから、汚れたお守りはいっぱい料理したってことで自慢したり……」
枯葉が落ちるみたいに僕の肩から手が外れ、彼女は顔を手で覆ってうずくまる。
自分が跪いてる。
肩を震わせて泣いているのはさすがに演技だろうと思うが、ここまでの会話でそんなことができるほどの知能を感じなかったのも確かだ。
「あの、大丈夫ですか?」
彼女は顔を手で覆ったまま首を振る。
大丈夫じゃない、というよりはもっと気の利いた言葉をよこせという子供の駄々にも似た首振り。
僕は中天に差し掛かろうとしている太陽を見上げて目をすがめる。
うずくまる彼女の背中には直射日光が当たっているが、深い青にはむら一つない。いつ見てもすごいな、僕の幻影術は。
僕が自分の幻影術に見とれていると、自称アフラは自分で自分を慰めることにしたのか、小声で何か呟き始める。
ちょっとだけ聞いてみた。
「……私が一番じゃないなんて、ヤダ……」
昼食をどうするか考えるついでに僕の推論を述べよう。
おそらく彼女はこのあたりに荘園を持つ貴族の娘だ。
残念ながら生まれつき頭に古代神の贈り物──発達障害、自閉症、てんかんなどをそう呼ぶ──が入っていた。
たいていは教会の内陣を仕切るついたてに縛り付け、毎日聖歌を聞かせたりするのだが、どうやら彼女の両親はそれをしなかったようだ。
賢明。あの治療で症状が改善した例など見たことがない。
広場に野菜を売ってる農家の人がいたけど、野菜くずくらいもらえないかな。
彼女の両親は治療を諦め、恵まれた容姿を磨くことに専念した。
貴族の娘なら子供が産めて見た目がよければどうとでもなる。
これも賢明。それだけに苦労がうかがい知れる。
結婚が決まるまでおとなしくしてほしいのだが、彼女はほっつき歩いてばかり。
そのうち占い師あたりに騙され、自分をアフラ・マーダだと信じて衣服も含めて持ち物を全部譲渡してしまった。
セリとかカキドオシとか生えてたら野菜くずと一緒にしてスープ、でどうだろう。
彼女はまだうずくまったままだ。
泣いているふりをしているうちに本当に泣いてしまったのだろうか。自分をアフラ・マーダだと思い込んでいるならありうる。
アフラ・マーダが登場する定番の童話がある。
アフラは火を司るゆえに身体は火でできていて、どんな服を着ても燃えてしまう。綺麗な服が着たいと泣く、泣き虫のアフラのために子供たちはいろんな材料で、たくさんの服を作る。
母親はこれを娘に聞かせて、アフラ様のために一緒に服を作ってみようかと誘う。そうやって娘は糸繰りや服飾を覚えていく。
聖人だろうが神だろうが、アフラは人々にちゃんと必要とされている。
妹に童話を読んであげたときのことを思い出しながらプシュケを吹き、うずくまる自称アフラの背中に模様を描く。
寒い冬の暖炉の中で、寝静まった家族を優しく見守る熾火のように横たわる火。
妹もアフラを可哀そうだと言った。
古い布の切れ端を集めて不格好な服を作った。
ついでにと、首に巻くには長さの足りないマフラーを僕にも。
アリシアもきっとアフラが好きだった。
そうでなければ服を作っている間、あんなに楽しそうな顔はしていない。
アフラは妹の心を温め、妹を通して僕を温めた。
それは暖炉の火みたいに美しくて心温まる思い出で、でも、だからこそ、僕はアフラ・マーダが嫌いだ。
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