第15話 夜の森の帰り道

 ‶魔力枯れ〟と‶黄昏の大地〟———。

 せっかく転生したのに、ハードすぎる世界設定を聞かされた。

 皇帝に転生したのだから、もうちょっとイージーモードで世界を救うなんて関係なく……ただ、のんびり楽しく生きていきたかったのに。


 派手さなんかまったくなく、穏やかに生きていたかったのに……。


 勝つとか負けるとか、生きるとか死ぬとか、そんなのとは無縁の静かな世界でつつましやかに暮らしていたかったのに……。


 勝負なんてしても、勝ち負けを争っても何の意味もない———そんなの普通に生きていたら誰でもわかる。

 負けたら惨めで全てを失うし、勝ったら勝ち続けなければならない。

 一度の勝ちの価値をおとしめないために、次の勝ちを手に入れなければならない。


‶功績は成されたかと思うとすぐに忘れ去られる。栄光を輝かせるためには絶えず磨き続けるしかない〟


 シェイクスピアの言葉だ。

 

 昔、格好をつけて図書室で借りたタイトルすら覚えていない本。

 その中の一節のこの言葉だけが妙に引っ掛かっている。

 

 俺は———この言葉を受けて、とてつもない絶望感を味わった。


 人間は勝ち続けるしかない。それが、競争社会だ。だけど、いつまでも勝ち続けられるわけがないだろう……!

 そんなの疲れるだけじゃないか……。


 ザッ……ザッ……ザッ……!


 聖女と共に夜の森を歩く。


 ———この世界を、私たちを……救って……!


 すがるように彼女に言われたその言葉が重くのしかかる。


 俺は、頷いただけだった。

 言葉は出なかった。

 口を開こうとすると、無理だ———できるわけがない、という弱気な言葉が口を突いて出そうになる。

 

 一度勝つだけなら、できると思う。

 だけど———最終的に勝つには、勝ち続けなければならない。

 それがどんなに辛くて厳しいものなのか……例え俺がチートスキルを持っていたとしても、必ずできるとは言えないし、できなかった時に期待が重くのしかかる。


 逃げ出したい。

 逃げ出して、静かに暮らしたい。

 このまま聖女の手を取って———どこかの田舎の村の中で。

 

 そうだ、ここなら帝国の兵士は誰も見ていない。


 彼らはみんな要塞で宴を開いて、俺と聖女はこっそりと抜け出してきているんだ。

 悪ノ皇帝イルロンド・カイマインドがこんな夜の森にいるなんて誰も知らない———誰も知らないまま、消えてしまっても……別に……。

 

 邪な心が、先頭を歩く聖女の手に向けて、俺の手を伸ばさせた―――、


「イルロンド様ァァァァァ‼‼‼」

 

 ビクリと肩が震える。


 遠くの方から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。


「どこにいらっしゃるのですかぁ! イルロンド様ぁ!」

 

 野太く低い声だ。

 やがてたいまつをかかげたシュバルツが現れる。


「イルロンド様! 心配しましたぞ―――!」


 彼は額に玉の汗を作っていた。


「———一体どこにおいでで……やや⁉ 聖女⁉」

 

 聖女の姿を見るなり警戒し、懐に手を突っ込んだ。


「し、心配しなくていい……‼ 少し彼女と散歩をしていただけだから!」

「さ、散歩……ですか?」

「ああ、散歩……だ」


 聖女とシュバルツの間に庇うように割り込むと、彼は懐から手を引く。

 そして———ホッと胸を撫でおろす。


「それならばよろしいのです。ですがお気を付けください。あなたはこの世界を支配する大皇帝なのですから。例え此の世最強の【魔眼】をお持ちと言えど、神がどんな卑劣な手を使うかわかりませんから……」

「あ、あぁ気を付ける……だけど、大丈夫だよ。護衛も兼ねて聖女を連れてきていたから……」

 

 俺に言われてシュバルツがジトっと聖女を見つめる。

 聖女は何も言わずに、気まずそうに眼を逸らし続けているだけだ。


「……イルロンド様は聖女に本当に惚れこんでしまったようですね。まさか、聖女と二人きりで逢瀬を楽しもうなどと」

「い、いけないか? 彼女は……今、俺のめかけ……だろ?」


 聖女がギロリと俺を睨み始めるが……そういう建前であることにいい加減慣れて欲しい。

 そんな聖女の敵意は幸運にもシュバルツは察しておらず、やれやれと頭を振るのみだ。


「いけなくはありませんが……善き英雄は色香を求むと言いますから……しかし相手が聖女というのは、神の尖兵というのはどうにも……!」

「と、ところで、何でシュバルツは俺を探しに来たんだ? どうして俺が要塞を抜け出していると気が付いたんだ?」


 話しが説教臭くなりそうだったので、俺は無理やり話を変えた。


「何でわざわざこんなところに? それもシュバルツ一人で———?」


 キョロキョロと見渡してみても、俺を探しに来ているような人間はいない。真っ暗闇の夜の森。もしも皇帝が行方不明となれば、大規模な捜索をかけるはずだ。そうなると他のたいまつの光がポツポツと見える。そういう光景が見られないと言うことは———帝国軍はそこまでの危機感を持っていないということだ。

 明かりが見えるは———シュバルツの奥にある夜空まで照らすほどのぼんやりとした丸い光。


「おお―――そうでした! 宴が盛り上がり、我が軍恒例のあの行事を始めたので、イルロンド様を呼びに参ったのです」

「あの行事?」


 宴の行事ってなんだ?

 飲み比べとかか? 

 そんな会社の飲み会を思い出させる行事には、死んでも参加したくないんだが。


 げんなりしている俺に対して、シュバルツが告げる‶行事〟というのは、全く予想もできなかったものだった。


「———ファイアーストームです」

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