第9話 神のために

 フィレノーラ要塞から飛び出てきた、彼女たちは若く20~30代ぐらい。

 鎧などは全く身に着けず、槍だけを持ち、ゴブリンへ向けて果敢に突撃してきた。

 

 必死の形相で———。


「どういうことだこれは……」

「迎撃準備!」


 混乱している俺の隣で、シヴァは着々と‶鬼族〟に指示を飛ばしていた。

 迎撃———そういったか? この鬼の頂点にいる少女は———。

 やぐらの下にいるゴブリンたちが、弓に矢をつがえ、女たちへ向ける。


「やめさせろ!」


 敵とはいえ、相手は無力だ。

 こちらの鬼の大軍勢に勝てるわけがない。

 俺はシヴァの手を掴み、指示を撤回するように促した。


「やめさせろ? 何でありんす?」

「迎撃させるのをやめさせろって言ったんだ! 殺すことはない! 相手は無力だ。槍なんかでこっちに勝てるわけない! 何とか槍を奪って無力化して捕らえるんだ!」

「………そんなことができるとお思いで?」

「できるだろ。こっちは十万の兵隊がいるんだ」

「一人も殺さずに?」

「人間の女よりゴブリンの方が圧倒的に強いだろう? なら、捕まえることも可能なはずだ」

「あぁ、今の聞き方は少し言葉を間違えました……」

「間違えた?」


 シヴァの反応は極めて冷ややかだった。


「一人も死なせずに可能だと思いますか? こちら・・・の陣営に一人も犠牲を出さずに」

「そ、それは……」


 要塞から出てきた女性たちを見る。

 必死の形相———いや、鬼気迫る形相だと言っていい。


 ————神のために!

 ————神のために‼

 ————神のために‼‼‼


 女たちは口々に神への言葉を叫ぶ。

 神のために自らの命を投げうつ言葉を。


 ———神のために‼ オーゼクス‼

 ———オーゼクス‼ オーゼクス‼ オーゼクス‼ オーゼクス‼ オーゼクス‼


 俺の持つ【魔眼】が「オーゼクス」という謎の言葉を、俺が理解できる言葉に訳してくれる。


 ・オーゼクス=人は神のためにあり。


「どうして……」

「あんな人間相手に、味方こちらのゴブリンが無傷で済むと思うでありんすか?」


 冷静にシヴァは聞いてくる。


「でも……女の人だ! か弱い女の人が、何か事情があってああいうことをやらされてるんだ! 少し脅したら何とか……何とか……」

「か弱くても武器を持ち向かってきている時点でそれは‶兵士〟。どんな事情があろうとも敵意を持って向かって来る以上———躊躇う必要などなし


 シヴァは手を振り下ろした。


「———放て!」


 ゴブリンが引き絞る矢が一斉に放たれた。


 俺は、「あぁ……!」と手を伸ばすことしかできなかった。

 矢に貫かれて血を流して倒れる女の人たちを見つめながら……。


「第二射————つがえ!」

「待て! もう一回矢を打ったんだから、次に打つ必要はないだろ!」

「そう思うでありんすか?」


 ———オーゼクス……‼ オーゼクス……‼ オーゼクス……‼


 女たちの雄たけびが聴こえてくる。

 彼女たちは血を流しながらも、神への言葉を叫びながら槍を構えて突撃してくる。


「そんな……でも、あの人たちは全員……民間人じゃないか……」


 明らかに彼女たちは農民に見えた。


「イルロンド様。あなたがお優しいのは我々は重々承知しています。ですが、一つ勘違いをしておられる」


 シヴァが手を上げる。

 無情な彼女を段々と俺は憎々しく思えてきた。


「勘違い……?」

「さも、我が悪いようにイルロンド様の目は言っていますが、悪いのは民間人を殺している我ではありません———悪いのは、民間人を戦場に出す敵の総大将です」


 シヴァが手を振り下ろすと、第二射をつがえていたゴブリンが矢を放ち———女たちに刺さる。


 悲鳴が……聞こえる。

 痛ましい悲鳴だ。


「あぁ……!」

「イルロンド様。あなたが心を痛める必要はありんせん。あの女たちが死んだのはあの女たち自身のせいです。神のために生き、神のために死ぬと誓った人間です。神のために我々に向かって散っていったのですから。本望でありんしょう」

「そんな風に……俺は割り切れない!」


 三百人いた、槍を持った女たちはもう……一人残らず死んでいた。

 戦場に野ざらしになって、死んでいた。

 俺は———やぐらの手すりに拳を打ち付けることしかできなかった。

 こんなことを……こんな虐殺を許して、俺はどうやって聖女に顔向けできると言うんだ……!


「イルロンド様。何をそんなに悲しんでいるでありんすか?」

「悲しいに決まっているだろう……! 人が死んだんだぞ!」

「こっちの被害はゼロなのに?」

「え?」

「我らは一人も被害を出さないですんだ。幸運な戦場だったのですよ。こちらの大将として、まずそれを誇るべきでは? 我らのゴブリン兵の功績をたたえるべきでは? 彼らとて―――殺したくて殺しているわけではないのでありんすよ」


 シヴァが櫓の下の鬼族の軍団を手で指し示す。

 戦を終えたゴブリンたちが、不安げな表情で見ている。


「皇帝として、あなたがやるべきことは彼らをねぎらう事では?」

「……でも」

「我らは‶魔族〟とはいえ、‶心〟があるんですよ?」


 シヴァの声音が、グッと低くなる。


「————ッ」


 そうだ、と思った。

 彼らがしたことは虐殺だ。

 どうしてもそう思ってしまうが、それをやったのは彼らの意志でも、向かってきた彼女らの意志でもない。


 それを———操っている人間の意志なのだ。


 ここにいる俺のように、上から見ているだけで手を汚さない人間が、一番悪いのだ。


 俺は、前に歩み出て———手を上げた。


「よくやった」


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!


 ゴブリンたちが雄たけびを上げる。

 人間離れした顔つきをしているので、その光景は恐ろしいものがあるが———彼らは歓喜していた。

 俺にねぎらわれて、ゴブリンたちは心の底から喜んでいた。


「ありがとうございます。イルロンド様……その言葉を聞けて、我は感激のあまり震えが止まりません」


 胸を抑えるシヴァだが、その身体は微動だにしていない。


「…………シヴァ、このまま鬼族の軍隊には待機命令を、何なら解散命令を出しても構わない」

「イルロンド様? どこへいくので?」


 俺は櫓の梯子に手をかけ、地上へ向かって降りていく。


「要塞内部に向かう。俺一人で———この戦いの決着は、俺が一人で付ける」


 開きっぱなしの要塞の門を見据えて、俺はシヴァにそう宣言した。

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