第5話 聖女は追い込まれていた
「
救護テントの中、俺は穏やかな気持ちではいられなかった。
「帝国に寝返るってことだぞ?」
「帝国には寝返らない……あなたの戦争の協力はしない」
首を振ってその点はきっぱりと否定した。
「だけど、私はもう敵の施しを受けてしまった。神の元へは戻れない……」
「どういう意味だ?」
戻〝れない〟……不可能になってしまったとは随分と物々しい言い方だ。
聖女は悲し気な瞳を伏せた。
「神聖アルトナ公国は敗北に向かっている。古き神はその力を衰えさせ、どんどんとその威光は衰えている……森は枯れて、水は濁り、大地は渇いている……人々は滅びへと向かっている。人間一人一人に宿る魔力も少なくなって、元気がなくなってる。それでも……私たちは、人は神を捨てられない……」
イリアがギュッと布団を掴む手に力を込めるのをただ、黙って見つめることしかできない。
「千年続いた神の国を……ずっと神に守られて続いていた国を……私は捨てることができない。先祖代々崇めてきた神を、私の代で見捨てることができない。だけど、ようやく楽になれる。神は邪教を許さない。だから穢れた魔道具で人々が発展することを許さない。一度穢れに触れた聖女を許すわけがない」
「そんなに神様って言うのは、厳しいやつなのか?」
イリアはこくんと頷いた。
「そんな厳しい神なら……すぐに捨てればいいのに……」
どうしても、そう素直に思ってしまう。
「できるわけない!」
途端にイリアが激昂する。
「母様も父様も熱心なゼクス教の信徒だったんだ! もう亡くなってしまったけど……クリュセウス家は先祖代々神ゼアクス様に仕える神官の家系……だから、ゼアクス様直々に私は力を授かった。〝
イリアがそっと俺の手の上に自分の手を重ねてきたが、これは無意識の行動なのだろうか?
「だけど、私は負けた。そして施しを受けた。邪教の施しを……あなたに穢された。もう、神の元へは戻れない……戻りたく、ない」
「穢されたって言い方悪ぅ……まぁいいや。つまりは聖女はエリートの家系なんだな? だったら、〝そう〟はならないと思うけど?」
彼女が何に怯えているのかわからないが、そんなにひどい扱いは受けないと思う。それはあまりにも非効率である。一度失敗した人間を切り捨ててしまうのは余りにも効率が悪い。それでは組織に有能な人材がいなくなる。
ましてや聖女という特別な存在であればなおさらだ。
一個大隊を消滅できる少女が、一度敵に負けたからと言って、追放、あるいは投獄などされないと思う。
そんな貴重な戦力、使い続けるほうが……あっ。
だからか……だから、疲労していたのか……。
俺の中で何かが繋がったような気がした。
「〝そう〟って何?」
俺が頭の中で結論を出してしまったが、聖女は首を傾げていた。
「あぁ……いや……俺はあんまり公国のことには詳しくないし、ゼアクス教については詳しくないんだが……」
「でしょうね、あなたは破壊者だもの」
「……聖女が一度失敗したからと言って罰則は与えないんじゃないか……って思ったんだ———最初はね。だってそんなことをしたら、貴重で優秀な戦力が、人材が次々といなくなってしまう。だけど……お前が疲労していたから、わかった。気づいた。優秀な人材は少ない———だけど頑張らなきゃいけない———少ない優秀な人材が頑張るしかない状況だったんだな?」
俺は、生前の会社のことを思い出していた。
どんどん人がやめていって、優秀な人材が残っていない会社のことを。
お金も人望もない。
だけどノルマは達成しなきゃいけない。
だから、最後に残った優しい人間に対して厳しい態度で接してきた。
罰則という形ではないが、パワハラという形で。
家に帰れないように。ひたすら長時間会社に拘束し、できるだけお金を払わなくていいようにあれこれと理由をつけて。
そして、俺はギリギリまで心をすり減らした。
聖女もギリギリまで心をすり減らしていた。
それが———どういうことなのか、想像するのもたやすい。
「———怖かったんだな? 一度、失敗したら酷い罰を受けるから。神様に逆らったら怖い罰を受けるから。だから、どんなに疲れても戦場に出たんだな?」
罰だ。
やっぱり強い罰を与えると恐怖を植え付け、追い込んでいっていたのだ。
逃げられないように。考える力を失くさせて。
聖女はコクリと頷いて、その罰がなんであるのかを語る。
「逆らったら―――〝神の雷〟を受ける……邪教の施しを受けたら———もっと強い〝神の雷〟を受ける」
「神の雷?」
聖女はまたコクリと頷いて、ブルブルと全身を震わせる。
「それは何なんだ? 魔法か?」
「…………ッ」
聖女は震えを大きくし、今度は答えようとはしない。
もしかして———、
「———拷問か?」
「—————ッ!」
カッと目を見開いて、ガチガチと歯まで鳴らし始めた。
本当に———怖い思いをしたようだ。
トラウマを———刻みつけられたようだ。
俺は余りにも可哀そうに見えてきたので、彼女を優しく抱きしめた。
昨日と、同様に———。
「わかった。もう君は、戦わなくていい———イリア」
「———ッ!」
「俺が何とかして、アルトナ公国とかいうところに帰らないで済むように、安全でいられるようにしてみせるから」
安心させるように語り掛ける。
聖女の全身から力が抜けていく。
とりあえず———この後、シュバルツの元に行って、この帝国の捕虜の扱いがどうなっているのか聞きに行こう。
彼女が、落ち着いたら―――。
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