第16話 霊園に行きましょう

 初めてふたりで会ったその翌日、午前10時になろうかという頃。

 月世は市営墓地の入り口、案内看板の側に自転車を停めて立っていた。


「すみませーん、お待たせしましたか?」


 良太郎が汗だくで到着した。


「いいえ、さっき着いたところです」


 お決まりの台詞で返した月世だが、自転車を降りた彼が宙に向かってぺこぺこと頭を下げているのを見て、鼻白んだ。


「時間通りです。誰に謝ることもないと思います」


 そう言ってから、しまったという顔をする。幸いなことに、良太郎は気づかなかった。


「何年か前に、花見に来て以来です。それにしても、ここ、明るくて清々しいなあ。霊園っていうより公園だなあ」

「我が家のお花見もここでした。お城は混みますから」

「ご近所だと、散歩にもいいですね。でも、通学路としては禁止だったんですねえ」

「禁止もわからないじゃないんですけど。で、どこに行けばいいんですか?」

「えーっとですね、国旗掲揚台っていうのは」


 良太郎は、看板の園内地図を見た。


「とりあえず、ここに行けってことになってます」

「国旗。上がっているのを見た記憶がないです」

「上げるのは祝日でしょうから、学校はお休みだったんでしょう」


 良太郎は先に立って歩き出す。


「あ、猫」


 2人の前方、側溝に黒猫がいる。さっと逃げ出した行き先に目を向けると、茶トラが2匹、墓石の陰から顔を出していた。


「あれっ、耳が切れてる。喧嘩でもしたのかな」

「いえ、あれはサクラ猫ですね」

「サクラ? 花のサクラ?」

「花びらに形が似てるから。不妊手術をして戻された野良猫の印です。繁殖しないようにって。でも、減ってるように見えないんですよね、ここ。捨てに来る人がいるのかも」


 月世は怒りと悲しみを見せた。


「まだ若い猫を見たことがあります。すっごく可愛くて、人懐こくって、連れて帰りたかった」

「そうだったんですか」

「あのとき以来、猫に触ったことって無いかも。うん、無いです」

「思い出してますか、賢介さんの言ったこと?」

「信じれば触れるって話ですか?」


 月世は唇を微かに歪めた。


「触れても、命のないものには違いないのにね。体温は無いでしょう、さすがに」

「体温、ねえ?」


 良太郎は虚空に向かい、教えを乞うているらしい。

 月世は、ふんっと小さく鼻を鳴らした。


「あそこですね。3本ある。国旗と、何を掲げるんだろう」


 気付かずに指差した良太郎は、道の端に自転車を停めて、墓石の間の階段をさっと駆け上がった。

 10段ほどの墓石の並びを抜けると、植え込みに囲まれたちょっとした広場に出た。3本の支柱の他に、大きな石碑も立てられている。


「あっ、猫がいますね」


 良太郎が指差す先、植え込みの下から茶白が1匹こちらを見ている。


「セイさんが嫌がるのもわかるなあ」


 良太郎が月世の頭上に向けて呟いた。


【あやつらは儂の長い尾に惹かれるのだ】

【あたしも嫌よ、こんなにたくさん。いくら飛べるっていってもね】


 カナヘビと雀のやりとりが聞こえない月世は、良太郎の独り言は無視すると決めているらしい。低く構えてはいるものの逃げない猫に、そろそろと近づいている。


「あっ」


 良太郎の目の前に、白猫がふっと姿を現した。

 そのとたん、茶白猫がぴょんと飛び跳ねた。


「あっ、待って」


 そのままハクに向かって小走りに突き進む茶白に、月世は惜しげな声を放つ。


【頃合いかと思ってな。ヒトに向けて軽めの結界は張っておくが、そこの植え込みまでだ。あまり大きな声は出すなよ】

「了解。でも、今日は何を?」

【隙を狙う】

「え?」

【そろそろだ。まあ、見ていろ】


 国旗掲揚台に向かって立ったハクは、足元にじゃれついた茶白を軽くいなしながら、左後ろへと首を傾けた。


「へ?」


 良太郎の間抜けな声に、月世も彼の見ている方を向いた。

 人間用の出入り口だけではなく、植え込みのあらゆるすき間から、猫たちが集まり始めていた。

 いや、集まるというより湧いて出たというほうが正しいかもしれない。

 猫たちの姿からは、どこかしら必死さというか、一途な様子が溢れていた。


【嫌だわ、こんなの。ニャンくらい言えばいいのに】


 月世の頭上に埋もれるように止まったアケの言う通り、周囲は恐ろしいほど静かだ。静かなままに、小さな広場は猫に埋め尽くされた。人間たちは身動きも取れない。

 良太郎の見るところ、猫たちは明らかにハクを目指していた。猫たちにしか聞こえない音があるのか、匂いか、オーラのようなものか。

 ハクに近い猫たちは、じゃれるような仕草を見せたり、ごろりと転がって腹を見せたりしている。

 だが後方の猫たちは目前の他猫の尻しか見えず、焦れるように地面に体を擦り付けたりし始めた。そのうちに仰向けになった何匹かが、人間2人の存在に気を引かれたようだ。


【良太郎。撫でて良いと言ってやれ。むしろしっかり撫でてやれと】

「はい?」


 ハクに言われた良太郎は、離れて立つ月世を見た。

 彼女は、足元に寝転がる白黒のハチワレを見つめて、気もそぞろな様子だ。


「赤羽さん。撫でていいって」


 良太郎は、できる限り声を潜めて告げた。


「いいんですか?」

「撫でたほうがいいみたいです」


 月世はゆっくりとしゃがみ、ハチワレに手を伸ばした。

 そろそろと遠慮がちに撫で始め、ぐねぐねと甘えられると次第に大胆になってゆく。

 その様子を見て、周囲の数匹が自分も撫でろと体を押し付ける。

 両手を駆使して撫でまくる彼女は、赤ん坊をあやすように高めの声で「どうしたのー」「気持ちいいのー?」などと語りかけている。


「猫撫で声とは、よく言ったもんだなあ」


 良太郎は思わずそう呟いた。


【あんたも撫でればいいんじゃない? ほら、足元に】


 尻尾を上げ、良太郎の足に体を擦り付けている1匹がいるのだが、彼は月世から目が離せない。彼女は誰はばかることもない笑顔で、もふもふを堪能中である。


【まことたわけた光景であるな】


 セイが同意を求めるように言ったとき、ハクが重々しく呼んだ。


【月世】

「はい?」


 良太郎は「あっ」と驚きの声を漏らした。

 

【賢介の思った通りか。たわいもない】


 ハクが勝ち誇ったように言うのも、その通り。

 その月世は、きょとんとして首を傾げていた。

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