第15話 見えるという人
良太郎と月世が店先に立ったとき、裕二は接客中だった。
「ついて来てますか、猫?」
「え?」
月世は良太郎に顔を向けないまま、小声で言った。良太郎も視線を外したまま言った。
「心配してくれてます?」
「気の毒じゃないですか。仕事中なのに」
「あ、彼の方?」
2人は、どっさり買い込んだ女性客を見るともなしに見ていた。手土産にでもするのか、粒餡10個にカスタード10個の注文である。ちょうど焼き上がったものを紙箱に詰めるところで、確認する声が耳に届いたのだ。
2箱入りの袋を受け取った客が十分に遠ざかってから、良太郎はずいっと前に出た。
「どうした? おかわりか」
「いや、それはいい。それより、今ここにいるのがどんな猫か、赤羽さんに教えてくれるかな」
「えっ?」
裕二は怪訝そうな顔で2人を見た。
「ごめん。お前が見えるたちだって、喋っちまった」
「そうなのか。まあ、いいけど」
裕二は軍手をはめた左手で頬に触り、宙を見つめて何事かを思案したらしい。
「信じられないでしょう。気持ち悪くないですか」
「いいえ、あの」
月世は、すっぱりと言い切れなかったようだ。気まずそうに裕二から目を逸す。裕二は何かを察したように小さく頷いた。
「いいですか、猫について喋っても?」
「はい」
裕二は真っ直ぐハクを見た。座ったハクは目を細める。
「尻尾以外真っ白な猫です。瞳は綺麗なブルー。尻尾は長くて、薄い灰色の縞が入っています。ものすごく高貴な雰囲気です」
ハクは満足そうに右前足で顔を撫でた。
【なんで、そう持ち上げるのかしら】
【ふん。妬いているのか】
「あれ、スズ」「おおっと、ありがとうっ、裕二!」
雀さん、と言いかけたのを察して、良太郎が両手を振り回しながら大きな声を出した。
「先入観禁止、ダメ絶対!」
「あっ、そうか。じゃあ、猫さんだけが見えたのかな?」
裕二は微笑んで月世を見た。
「あっ、いいえ、見ては。気のせいだと思ったんです。でも、全く同じものを……そんなことが」
月世は動揺を隠せずに、目を泳がせた。
「まあ、初めて見えて、落ち着いてる人の方が珍しいから。気のせいだとか、頭がおかしくなったんじゃないかとか、疑ってかかりますよね、普通」
「えっ、はい」
「しかも、強制されてるんでしょう、こいつから。見ろ! って」
裕二は親指で、くいっと良太郎を示した。
「ええ、まあ」
「おっと。事情は聞いてませんよ。見えない人を見えるようにしたいって、聞いただけ」
「あのう……どうやって、見えるようになったんですか?」
「俺? うーん、物心ついたころには見えてたから。っていうか、他の人間には見えないものがあるって知ったのが後、だからなあ。俺、3人兄妹の真ん中なんすけどね、両親も含めて俺だけだから、うちで、見えるたちなの。死んだばあちゃんは、見えてたって話です」
「そう……ですか」
「こいつはいいよ、見えるものが限定的だから。赤羽さんもきっと、それを求められてるんでしょう? でも俺の場合、もっといろいろ見えるんすわ。ほとんどは人型。きっと、元人間。動物系はめったに見ないです」
濃い顔立ちの裕二が生真面目に喋るものだから、月世はどう反応したらいいのか迷っているようだ。
「端的に言って、他の奴らに見えないものって、見えて嬉しいモノじゃないんですよ。いわゆる地縛霊とか。あんなの、見えない方がいいです。見えてるって気づかれないように、細心の注意を払わなきゃならない。小さいころはそういうのがわからなくて、ずいぶん怖い思いもしました。あ、失礼。そういう話じゃないっすね」
裕二は、挙動不審になっている月世に対し、爽やかな笑顔を向けた。月世はほんのりと頬を染め、良太郎はがっくりと肩を落とす。
「どうですか。その猫が見えたとき、嫌ぁな感じってしました?」
「嫌ぁな?」
「モノノケ見ちゃったっていう、ぞっとする感じ」
「えー、なかったですね。一瞬でしたし」
「見えない方がいいものは、どんなに綺麗でも、ぞっとするんです。騙されて、気づくのが遅れることもありますけどね」
「はあ」
「だから、猫さんを見ても怖がることはないんです。むしろ喜ぶべきです」
裕二は飼い猫の自慢をするかのように、胸を張った。
「俺はガチの猫派じゃないけど、会えた日は良い日だったって思いますもん」
「そうですか……」
消え入りそうな声で相槌を打ち、月世は裕二の視線をたどった。
そこには正しくハクがいたのだが、見ることは叶わなかったようだ。
「いらっしゃいませ!」
裕二は笑みを浮かべたまま声を放った。それによって来客を知った2人は、ちらりと視線を交わして2階へと戻った。
「はー、外はまだ暑いですね。お茶、どうですか。俺は飲みますけど」
すぐに座って麦茶を注ぐ良太郎に「いただきます」と頭を下げた月世は、立ったまま何気なく、本の背表紙に目をやった。
『幻獣博物館』『心霊と語る人』『稲荷神社縁起』などなど。
「中学の同級生に、見えるって公言している女の子がいたんです」
本棚から視線を逸らさないまま、月世は言った。
「はい」
「親しい子でもなかったし、ずっと胡散臭いって思ってました。あれがきっと厨二病なんだって思ってたし」
「はい」
「うちの中学って、市営墓地を抜けると近道になるんです。痴漢が出るからって禁止されてましたけど、まあ、みんな通ってて。そんなとき、あそこにお婆さんがいるとか、女の人がいるとか、言うんですよ」
「そうなんだ」
「どんなつもりで口に出してたのか、今となってはわかりませんけど。棚原さんは、彼女とは全然違うんだなって。だからどうしたって話ですけど」
「うん。俺も四神、と猫さんしか見えないから、本当のところは理解できませんし。えっ?」
急に疑問の声を上げた良太郎に、月世は怪訝な目を向けた。
「いやいや、そういうことは最初に言ってほしいなあ。え、アケさんも聞いてなかったの?」
自分には見えないモノとの会話だと気づいて、月世はふっと小さく笑った。その唇から皮肉の色が消えていることに、本人は気づかない。そのままソファーに座って、良太郎が入れてくれた冷茶を飲む。
「そうなんだ。うちは、あそこじゃないからなあ。へえ。うん、わかった。で、いつでもいいんだね?」
話し終わった良太郎は、平然とした月世に戸惑いながら向き直った。
「あのう。裕二の他に、猫さんの存在を証明してくれる人が、人じゃないけど、いるらしいんです」
「人じゃない?!」
月世は湯呑みを取り落としそうになった。
「さっきの話じゃないです! 猫です、普通の猫。ついでに猫に触りに行きましょう!」
慌てて両手を振り回した良太郎は、それでもにこにこ楽しげに叫んだ。
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