第18話 見えるという人

 良太郎と月世が店先に立ったとき、裕二は接客中だった。


「ついて来てますか、猫?」

「え?」


 月世は良太郎に顔を向けないまま、小声で言った。良太郎も視線を外したまま言った。


「心配してくれてます?」

「気の毒じゃないですか。仕事中なのに」

「あ、彼の方?」


 2人は、どっさり買い込んだ女性客を見るともなしに見ていた。手土産にでもするのか、粒餡10個にカスタード10個の注文である。ちょうど焼き上がったものを紙箱に詰めるところで、確認する声が耳に届いたのだ。

 2箱入りの袋を受け取った客が十分に遠ざかってから、良太郎はずいと前に出た。


「どうした? おかわりか」

「いや、それはいい。それより、今ここにいるのがどんな猫か、赤羽さんに教えてくれるかな」

「えっ?」


 裕二は怪訝そうな顔で2人を見た。


「ごめん。お前がだって、喋っちまった」

「そうなのか。まあ、いいけど」


 裕二は軍手をはめた左手で頬に触り、宙を見つめて何事かを思案したらしい。


「信じられないでしょう。気持ち悪くないですか」

「いいえ、あの」


 月世は、すっぱりと断言できなかったようだ。気まずそうに裕二から目を逸す。裕二は何かを察したように小さく頷いた。


「いいですか、猫について喋っても?」

「はい」


 裕二は真っ直ぐハクを見た。座ったハクは目を細める。


「尻尾以外真っ白な猫です。瞳は綺麗なブルー。尻尾は長くて、薄い灰色の縞が入っています。ものすごく高貴な雰囲気です」


 ハクは満足そうに右前足で顔を撫でた。


【なんで、そう持ち上げるのかしら】

【ふん。妬いておるのか】


「あれ、スズ」「おおっと、ありがとうっ、裕二!」


 雀さん、と言いかけたのを察して、良太郎が両手を振り回しながら大きな声を出した。


「先入観禁止、ダメ絶対!」

「あっ、そうか。じゃあ、猫さんだけが見えたのかな?」


 裕二は微笑んで月世を見た。


「あっ、いいえ、見ては。気のせいだと思ったんです。でも、全く同じものを……そんなことが」


 月世は動揺を隠せずに目を泳がせた。


「まあ、初めて見えて、落ち着いてる人の方が珍しいから。気のせいだとか、頭がおかしくなったんじゃないかとか、疑ってかかるよね、普通」

「えっ、はい」

「しかも、強制されてるんでしょう、こいつから。見ろ! って」


 裕二は親指でくいっと良太郎を示した。


「ええ、まあ」

「おっと。事情は聞いてませんよ。見えない人を見えるようにしたいって、聞いただけ」

「あのう……どうやって、見えるようになったんですか?」

「俺? うーん、物心ついたころには見えてたから。っていうか、他の人間には見えないものがあるって知ったのが後、だからなあ。俺、3人兄妹の真ん中なんすけどね、両親も含めて俺だけだから、うちで、見えるたちなの。死んだばあちゃんは、見えてたって話です」

「そう……ですか」

「こいつはいいよ、見えるものが限定的だから。赤羽さんもきっと、それを求められてるんでしょう? でも俺の場合、もっといろいろ見えるんすわ。ほとんどは人型。きっと、元人間。動物系はめったに見ないです」


 濃い顔立ちの裕二が生真面目に喋るものだから、月世はどう反応したらいいのか迷っているようだ。


「端的に言って、他の奴らに見えないものって、見えて嬉しいモノじゃないんですよ。いわゆる地縛霊とか。あんなの、見えない方がいいです。見えてるって気づかれないように、細心の注意を払わなきゃならない。小さいころはそういうのがわからなくて、ずいぶん怖い思いもしました。あ、失礼。そういう話じゃないっすね」


 裕二は、挙動不審になっている月世に対し、爽やかな笑顔を向けた。月世はほんのりと頬を染め、良太郎はがっくりと肩を落とす。

 

「どうですか。その猫が見えたとき、嫌ぁな感じってしました?」

「嫌ぁな?」

「モノノケ見ちゃったっていう、ぞっとする感じ」

「えー、なかったですね。一瞬でしたし」

「見えない方がいいものは、どんなに綺麗でも、ぞっとするんです。騙されて、気づくのが遅れることもありますけどね」

「はあ」

「だから、猫さんを見ても怖がることはないんです。むしろ喜ぶべきです」


 裕二は飼い猫の自慢をするかのように胸を張った。


「俺はガチの猫派じゃないけど、会えた日は良い日だったって思いますもん」

「そうですか……」


 消え入りそうな声で相槌を打ち、月世は裕二の視線をたどった。

 そこには正しくハクがいたのだが、見ることは叶わなかったようだ。


「いらっしゃいませ!」


 裕二は笑みを浮かべたまま声を放った。それによって来客を知った2人は、ちらりと視線を交わして2階へと戻った。


「はー、外はまだ暑いですね。お茶、どうですか。俺は飲みますけど」


 すぐに座って冷茶を注ぐ良太郎に「いただきます」と頭を下げた月世は、立ったまま何気なく、本の背表紙に目をやった。

『幻獣博物館』『心霊と語る人』『稲荷神社縁起』などなど。


「中学の同級生に、見えるって公言している女の子がいたんです」


 本棚から視線を逸らさないまま、月世は言った。


「はい」

「親しい子でもなかったし、ずっと胡散臭いって思ってました。あれがきっと厨二病なんだって思ってたし」

「はい」

「うちの中学って、市営墓地を抜けると近道になるんです。痴漢が出るからって禁止されてましたけど、まあ、みんな通ってて。そんなとき、あそこにお婆さんがいるとか、女の人がいるとか、言うんですよ」

「そうなんだ」

「どんなつもりで口に出してたのか、今となってはわかりませんけど。棚原さんは、彼女とは全然違うんだなって。だからどうしたって話ですけど」

「うん。俺も四神、と猫さんしか見えないから、本当のところは理解できませんし。えっ?」


 急に疑問の声を上げた良太郎に、月世は怪訝な目を向けた。


「いやいや、そういうことは最初に言ってほしいなあ。え、アケさんも聞いてなかったの?」


 自分には見えないモノとの会話だと気づいて、月世はふっと小さく笑った。その唇から皮肉の色が消えていることに、本人は気づかない。そのままソファーに座って、良太郎が入れてくれた冷茶を飲む。


「そうなんだ。うちは、あそこじゃないからなあ。へえ。うん、わかった。で、いつでもいいんだね?」


 話し終わった良太郎は、平然とした月世に戸惑いながら向き直った。


「あのう。裕二の他に、猫さんの存在を証明してくれる人が、人じゃないけど、いるらしいんです」

「人じゃない?!」


 月世は湯呑みを取り落としそうになった。


「さっきの話じゃないです! 猫です、普通の猫。ついでに猫に触りに行きましょう!」


 慌てて両手を振り回した良太郎は、それでもにこにこ楽しげに叫んだ。

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