第17話 男女もしくは雌雄の別

 良太郎が見るところ、月世にハクが見えているのは明らかだった。

 月世本人は、不思議そうな顔で動きを止めたままである。そのせいか、ついさっきまで撫でられていた猫が、不満げに前足を一振りした。


「痛っ」

「ああっ、大丈夫ですか?!」

「ええ、大丈夫、です」


 だらりと垂れていた彼女の手の甲に、猫の爪による細く赤い線が引かれた。

 傷を押さえて片膝をついた彼女に、ハクが歩み寄る。


【どうだ、南の娘よ】

【やったわね! 月世、あたしを見て! あたしがアケよ!】


 雀がハクと月世の間に割り込むように舞い降りようとして、この世の猫たちに阻まれる。


「猫は見えてるって本当なんだなあ」


 感心したように呟いた良太郎は、しかしすぐに首を傾げた。

 月世は、アケたちに全く反応しないのである。


【月世、どうした。アケに声をかけてやれ】


 この世の猫たちが二手に割れて通す中、目の前までやって来たハクにも反応しない。


【むっ? まさか聞こえないのか?】


 ハクの言葉に、良太郎はびくりとして月世を見た。


「あのう、赤羽さん。白い猫、見えてますよね?」


 月世はむうっと唇を突き出して、首を横に振った。


「え? さっき、名前を呼ばれて、返事をしたでしょう?」

「え?」

 

 月世は怪訝そうに小首を傾げた。


「気のせいかと思ってました。あれが、朱雀さまの声とか言いますか?」


 問われた良太郎は、喉の奥でグッともゲッともつかぬ不明瞭な音をたてた。


「あのう、その後の言葉は聞こえない、んですか?」


 彼がようやくそう言うと、月世は首の傾きを大きくした。


「今も話しかけられているんですか、私?」

「でっ、でも! これは大きな第一歩ですね!」


 良太郎は慌てて、両手をぶんぶんと振り回した。


「で、見えるようになったものはありませんか? さっき、あのへんをじっと見てたじゃないですか!」


 良太郎は、歩み寄る前にハクがいたあたりをバタバタと指し示した。

 問われた月世の眼前から頭の上を、アケが激しく行き来する。

 月世はそれを完全に無視する形で、車道沿いの木々を見回した。


「朱雀さまは鳥の姿ですよね。鳥といっても、あそこにいるカラスは現実のものでしょうし」


 たくさんの猫たちにそそられたのか、数羽のカラスが樹上から見下ろしている。

 月世の言動に、当てが外れた良太郎はポカンと口を開いた。


「朱雀さまは女性的なイメージでしたけど、案外野太い声のおじさまなんですね。年齢なんてないんでしょうけど」

「おじさま、って」

 

【我らに性の別はない。人語を操るに当たり、仮の属性を選んだまでだ】


 じゃれつく猫たちを放っておいて、エジプトの神像のように座ったハクの声は、いささか不服そうだ。


【あたしは、そうねえ、法師に綺麗な姿だと褒められたから、こういう声がいいと思ったんだわ】

【『わらわ』が『あたし』になったのは、洋装の女子おなごたちが出歩くようになってからだったか?】

【そうかしら。だったら、クロが『あっし』って言い始めたのより後ね】


 アケとセイがのんびりと思い出話をしていたところ、突如として電気のようにゾワりとする何かが走った。

 猫たちは人間用の出入り口に背を向け、あっという間に四散する。


「何っ、何っ?!」


 慌てる良太郎と、ただ怪訝そうな月世が出入り口に視線を向けた。


「あれー、テンチョーのお友だちだあ」


 そこには、金髪をポニーテールにした少女が笑顔で立っていた。

 長いつけまつ毛、鮮やかなローズピンクの口紅が目立つ顔に見覚えはなかったが、声と『テンチョー』という言葉で、遊々堂のバイト女子、マキだと判別できた良太郎である。


「ここ、穴場だから。ムチュールあげようと思ってぇ」


 マキは、右手に持った猫用おやつペーストの袋を振った。


「お友だちさん、猫デート? 邪魔しちゃった?」


 マキはからかうでもなく、申し訳なさそうに肩をすくめる。


「いや、違う。ちょっと保護猫活動の、ほら、そういう話を聞いてたりして。たまたま会ったもんだから、知り合いに」


 良太郎は汗をかきかき、生真面目な表情を取り繕った。幸い、マキは疑うでもない。


「あー。そうだよね。野良猫にも幸せになってもらわないとだもんね。本当はおやつあげるのとか、いけないのかな」

「お腹空かせてる子にあげるのは、まあ、いいんじゃないかなあ」

「そう? でもいないね、猫」


 その場には、もう野良猫たちは1匹もいない。それどころか、気がつくとハクもアケもセイもいない。


「私、そろそろ。電車の時間なので」


 じわじわと後ずさっていた月世が、小声で言った。

 

「あっ、そうですね。お話聞かせてくれてありがとう。あっ、そうだ。こちら、遊々堂のバイトさんなんです。今後、会うこともあるかもしれないんで」

「あれ、おねえさん、お店で何か?」


 マキが人懐っこそうな笑みを彼女に向ける。


「俺と一緒に、店の2階を借りて勉強会してるんだよ」

「ベンキョー。すごい、偉い。テンチョーもやってるでしょ、何か難しいこと」

「あっ、知ってるんだ」

「何やってるかは聞いてないけど。どうせわかんないし。マキはベンキョー苦手」


 良太郎がマキと話している間に、月世は軽く頭を下げてそそくさと去っていった。


「ごめんね。カノジョさん、怒ってないかな。背か高くってステキなカノジョさんだね。うらやましー」

「本当にそんなんじゃないから。それと、俺は青山良太郎」

「リョータロー。じゃ、リョータンだね」

「へ?」

「あたし、ヒガシキンジョーマキ」

「え?」

「東の、金色の、お城。東金城」

「東、なんだ」


 すっかりマキのペースに飲まれていた良太郎は、セイから聞いた金龍のことを思い出し、思わず「東の龍か」と呟いた。


「あっ、リュウって言った?」

「いや、ちょっと連想しちゃって」

「あー、知ってる。風水でしょ。東の青龍」

「知ってるんだ!」


 良太郎は驚いて大きな声を上げてしまった。


「えへへ。風水のことは、ちょこっと、ね」

「え、え、そうなんだ。えっと、じゃあアガリカナ、えーっと」

「あれっ!」


 今度はマキが大声を出した。


「アガリカナグスクって読めるの! すごい! テンチョーも読めたけど、リョータンも読めるんだ!」


 マキは盛大に拍手をして喜んだ。

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