第14話 猫神さま

 さて、時は遡る。

 3人の男たちが別れて30分ほど後のこと、賢介は市営墓地にある白井家の墓石に手を合わせていた。

 

【いつも言うが、そこにつとむはおらぬだろうに。そもそも伸男も、そのまた親も、誰もおらぬが】

 

 いつの間にやって来たのか、彼の背後に立った白猫がぼそりとつぶやく。

 

「わかっていても、手を合わせたくなるんですよ」

【どうせ、家に帰ったらまた、仏壇に手を合わせるではないか】

「そうですけどね。今日は、父さんに報告したい気分でしたし。家じゃ、できませんから」

【好きにすればよいが、そこにあるのは他所よそから持って来た石にすぎぬ。地縁も何も無いゆえ、地中の声を伝える力も無いぞ。また別の話だが、ヒトはどうも骨を大切にしすぎるきらいがあるな。成仏してくれと願いながら、そこに居るかのような扱いをするのも解せぬ】

「ハクさんが仏壇だの成仏だの口にすると、こっちこそ妙な気分になりますよ」


 綺麗な所作で立ち上がった賢介は、何気ない風に墓石を一撫でした。そのまま彼方に目を向けて問う。


「今日は色々ありましたが、月世さんのお話し中の様子が、まだ気に掛かっています。皆さんで何かしましたか?」

【何かとはなんだ】

「強いて言えば術、ですかね。僕には小学生が緊張して発表している姿が、重なって見えた気がしましたが」

【ふうむ。妙なことがあるものよ】

「気のせいだろうとは言わないんですね」

【小うるさい小僧だの。術だとすればなんとする?】

「別にどうもしませんよ。僕は、月世さんが早く立場を受け入れてくれればいいなと願うのみです」

 

 視線を上げた賢介は、見渡す限りに並ぶ墓石の間から集まってくる姿を認めた。

 

「やあ、もういらっしゃいましたね」

 

 猫だ。たくさんの猫たちだ。

 野良猫にしてはそこそこ毛並みの良い猫たちが、あっという間に20匹ほど集まった。1匹もニャンとも言わないが、遠くのものほど小走りになっている。

 

「邪魔しちゃいけませんね。お先に」

【うむ】


 賢介は、猫たちに遠慮するように静かに立ち去った。

 彼が歩いて行く方向からは、慌てたようにやって来る猫がまだちらほら見受けられる。

 すぐそこには[野良猫にエサをやらないでください]ではなく[猫のエサやり後は片付けをしてください]という看板が立っていて、丘陵を利用した墓地公園全体には何匹ほど棲みついているのか見当もつかない。

 

 猫たちに、ハクの姿が見えているのは間違いない。賢介は、明らかに興奮している猫たちがハクに何を求めて集まっているのか、気にはなるものの確かめたことはない。

 それでもこの日は、前方に猫たちを見送る人間の姿があって、彼は小さく歩を乱した。

 

「兄さん。見たんだね」

「ええっと、猫、ですか」

「うん」

 

 賢介は、そこに立っていた高齢の女性を何度か見かけたことがあった。

 おそらく毎日、シニアカーに乗ってやって来る彼女は、墓地公園の数カ所で猫に餌を与えている。ブルーシートの上に古びた布を重ねて広げ、プラスチックの皿に缶詰の柔らかフードを盛り付ける。

 他の女性と立ち話をしているのを聞くともなしに聞いたことがあるが、毎月20万円ほどを飼い猫と野良猫のために費やしているという。その他に、避妊手術や里親探しにも協力しているらしい。

 墓地公園を訪れる人々には有名で、猫婆さんなどと呼ばれている。


「そこら中の猫が集まってるみたいですね」

「うん、今日は猫神さまが来てるから」

「猫神さま?」

「そう。頭がおかしいと思われるかもしれないけど、あの集まり方を見てたら、そうとしか思えないんだ。猫の集会って見たことある?」

 

 賢介が頷くと彼女も頷いた。

 

「猫たちって、せっかく集まっても、てんでに好きな方を向いてるだろ? でも、猫神さまが来たときは、みんな同じところを見てるし、マタタビもらったみたいにゴロゴロ転がってる子もいる」

「そうですか」

「たとえ猫だって、神さまがいらっしゃるんならありがたいよ。兄さんも、今日は運が良い」

「それは嬉しいです」

 

 賢介は猫婆さんと一緒に、墓石の彼方をしばし眺めた。

 

「人間にも見えたらいいんですけどね」

「見えなくったって、そこにいらっしゃるってだけでいいじゃないの。神さまが全部見えたら大変なことになるよ。八百万やおよろずっていうんだもの」


 真剣な猫婆さんの言葉に、賢介はふうーっと息を吐いた。


「みんなが、そんなふうに考えられたらいいんですけど」

「ん?」

「世界平和だって、そこから始まりそうでしょう」

 

 賢介は、冗談めかしてみた。


「見えなきゃ信じられないって連中なんて、ほっとけばいいんだよ。自分から幸せを遠ざけてるんだもの。兄さんは優しいね」

「優しくはないです。神仏の存在を証明しろという人には、いらっとします」

「うん、わかるよ。見えない、聞こえないって人でも、猫を撫でさせることならできる。神さまにも、手触りだけでもあればいいのにね。猫みたいに暖かで蕩ける手触りが」


 生真面目に言い切る猫婆さんに、賢介は目を見開いた。


「これか」


 呟いたのはあまりに小さな声だったので、猫婆さんには届かなかったようだ。ほっとした。


「じゃあ、僕はこれで」

「はいよ、ご縁があれば、またね」


 賢介は晴れやかな表情で帰途に着いた。

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