第13話 話の糸口
月に1度の集まりがあった翌日。
職場である探偵事務所で留守番をしていた良太郎は、机の上にぽんと姿を現したカナヘビを見てのけぞった。
【月世は約束を守るつもりらしい。出がけに、帰りが少々遅くなると母親に伝えておったそうな】
「良かったぁ。あとはドタキャンが無いことを祈るのみだ」
細く長い息を吐いた彼を横目に見て、セイは尻尾を机に打ちつけた。
【儂を見て、嫌な目つきをするでない】
「えっ? してない、してない。急に出たからびっくりしただけですよぉ」
【ふん。代替わりしてから何年になる?】
「ええと、6年?」
良太郎は指を折って数えてから答えた。
【6年も経ってなお、この姿が耐え難いというのであれば】
「ないって、ないって! もうすっかり慣れました、です!」
大慌てで否定してから、良太郎は壁のホワイトボードを見上げた。
「所長が帰って来るかどうか、微妙だな。田口さんに頼んだ方が早いか、どうしよう」
【どうしようとは、なんだ】
「留守番。赤羽さんと会う時間によっちゃ、事務所が空になるから」
【おお、そうか。ならば、田口を戻すよう計らおう】
「セイさん、それは力の無駄遣いだって。人間でも調整が効くとこだから」
良太郎は呆れた口調で言い置いてから、電話をかけた。
小1時間後、予定より早く戻ってきた田口という女性職員に後を託し、良太郎は古いビルの階段を駆け降りると、自転車に乗って遊々堂を目指す。
到着すると裕二が「よっ、お疲れ」と左手を上げた。
店には彼が1人きりだ。暑さの上に夕食時も近く、暇な時間帯なのだろう。
「待ち人はまだだけど、猫さんは来てるぞ」
【ハクめ、来るとも言わん上に、わざわざ裕二に姿を見せて通ったのか】
カナヘビが良太郎の頭の後ろからぬっと出た。
「あ、こんにちは」
ぺこりと頭を下げた裕二に尻尾で応え、セイは階上へと浮かんで行った。
裕二は満足そうに見送ってから、良太郎に視線を戻した。
「ほんと爬虫類好きだよな。カナヘビも嫌がらないなんて」
「嫌なわけないじゃん。すげえ可愛いし。あっ、可愛いって言われたら怒るか」
「うーん、怒るか? 怒るかも」
2人はそれぞれに、駅からの通りを向いて話していたが、カウンターに降り立った雀へと視線が動いた。
「雀さん、いらっしゃい」
【セイを可愛いって言えるんなら、あたしを見るたびに内心震えてるんじゃない? あんまり神々しくて】
「首を傾げて、可愛いなあ。猫や亀はありそうだけど、雀やカナヘビの霊体まで存在するなんて、不思議の世界は奥が深いねえ」
裕二は目を細めて雀を見た。
【面白いわねえ。どうして、姿が見えるのに声は聞こえないのかしら?】
雀の疑問に答える者も無いうちに、自転車に乗った月世が到着した。ぺこりと頭を下げてから、気まずそうな表情でスタンドを立てる。
「こんにちは。いや、もうこんばんはかな」
「あ、どうも、こんばんは」
月世は、先に声をかけた裕二から良太郎へと目を泳がせた。
「お疲れのところ、ありがとう。こちら、店主の棚原裕二さん。顔は知ってる?」
「はい。何度も買いに来てますから」
「いやあ、嬉しいなあ。やっ、これは失礼。この度はご愁傷さまでした」
「ああ、いいえ。ありがとうございます。商店街の皆さんには、本当によくしていただきまして」
ぼんやりした良太郎の目の前で、社交的なやり取りがしばし行われた。
「ところで、鯛焼き食べますか?」
「あっ、はい」
一瞬にして気をつかったのがわかる反応だったが、裕二は笑いながら手を振った。
「お代はいらないっすよ。焼けてからしばらく経ったのがあるから。それでも良かったらだけど」
「わあ、嬉しいです。ありがたくいただきます」
飾らない笑みを浮かべた彼女を見て、良太郎はこっそりとため息をついた。それでもなんとか気合いを入れ直したようだ。
それぞれに差し出された紙袋入りの鯛焼きを礼を言って受け取ると、良太郎はカウンター横のドアを開いた。彼の後ろについて階上の部屋に入った月世は「わあ」と感嘆の声を上げた。
「何だか小学校か中学校みたいですね。校長室、と資料室を足したみたい」
「言われてみれば学校っぽいな。実際に資料室だし」
「資料室? 鯛焼き作りの?」
「えーと、どう言ったらいいかな? それより、温かいうちにいただきましょう」
良太郎は月世に大きなソファーを勧め、自分はひとり掛けに座った。楕円形の木のテーブルに用意されたポットから、湯呑みに冷たい麦茶を注いで1つを渡す。
「あっ、そう言えば。ごみを置きっぱなしで帰ってすみませんでした。しかも水ようかん、赤羽さんの分もあったのに出し忘れて」
「いいえ。そういう状況でもなかったですし」
「未開封のペットのお茶は飲んでください。怪しいものは入ってませんから」
「そんなことまで考えてませんよ。いただいておきます」
ほっとした良太郎は、テーブルに置いた鯛焼きに丁寧に手を合わせ「いただきます」と言った。それを見て、月世は意外だというように目を細めた。
足元とテーブルの上で3獣がそれぞれに頷いていたのだが、月世には見えていないのだ。
先に食べ終えて一息ついた良太郎は、視線を外しながら月世に話しかけた。
「裕二のことは、俺が話すべきじゃないかもしれないけど。彼はオサカベ神社にちょっとした
「オサカベ神社って、すぐそこの?」
「そうです。神社の御由緒は知ってますか?」
「うっすらと。あの、青山さん」
「はい?」
「敬語で喋らなくていいですよ」
「や、うん。でも、この方が楽かな」
困ったように笑った良太郎は、隣の空いた席の上に視線を移して「はいはい」と言った。
月世の口元がわずかに歪んだ。
「青山さん」
「はい?」
「今日、最初に言おうと決めてきたことがあります」
「はい」
どこか思い詰めたような月世に対し、良太郎は緊張を隠しきれずに座り直した。
「信じない人たちをも、神は守るのかって。私だけじゃなくて、この町に住んでる人たち。四神相応なんて、知ってる人でさえ、ちょっとしたおまじないにしか思ってないはずです」
「うん、そうですね。でも、そこに在る事実は揺らがない」
「そうでしょうか。私は何を聞かされても、きっと信じる気持ちにはなれません。だから、これから青山さんが時間と労力を使って、気持ちをすり減らしてゆくのは無駄だと言わせてもらいます。意地で言うんじゃありません。考え方の根本が違うんです。父ともそうでした」
月世は一気に言い切って、ごくごくと茶を飲んだ。
「うん。じゃあ、とりあえず来月の集まりまで」
両手の指をきつく組んで、良太郎は極力抑えた声で言った。
「それまで、ただ話を聞いてほしいんです。ちょっとした、非日常の時間と思って。そうしたら、お母さんにも向き合いやすいんじゃないかな」
月世はわずかに眉をひそめた。
「うちの母に何の関係があるんですか?」
「いや、お母さんがどうにか立ち直りだすまで、きっとしんどい思いをするだろうから。それはどうしようもない現実だし。だからまずは1ヶ月、馬鹿にしたり笑い飛ばしてもいいから、非日常話を聞いてみませんか? 考えを変えなくても構いません。今ならなんと、無料で鯛焼きも付いてきます」
いかにもコマーシャル風におどけてみせた良太郎に、月世は降参というように両手を挙げて「なるほど。どうぞ始めてください」と言った。
「では。設定と言われるでしょうが、この部屋には南の朱雀さま、東の青龍さまもいます。それから」
【我のことは猫とだけ言え、良太郎】
白虎と口に出すより先に、良太郎の耳に声が届いた。
「えっ?」
予想もしなかった言葉に、彼はしばし動きを止めた。
【猫で良い。たとえ一瞬とはいえ、娘は我を見ているはず。それこそが糸口になるだろう】
「はあ」
【ただし、娘に見えなかったものについて、語るなよ。そこに幽霊が出ると聞けば、枯れ木をそれと見てしまうのがヒトだからな】
「つまり、先入観は禁物と」
【その通り。我をどんな姿と見たか、それを本日の話の柱にしてはどうだ】
「ああ……なるほど。ありがとうございます」
宙をにらんで何度か小さく頷いた良太郎は、改めて月世を見た。
「赤羽さん。猫が好きだって言ってたでしょう?」
「はい?」
「昨日は色々と驚かせてしまったけど、猫のネタで嫌がらせされたって、怒ったことは覚えてますか?」
「……はい」
月世は真っ赤になってうつむいた。
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