第12話 小さな龍

 鯛焼きの遊々堂を後にした良太郎は、セイが側にいないことにすぐ気がついた。だが、それは珍しいことでもない。話をしながら帰るんだろうなと、勝手に思っていたのが外れただけである。


「おかえり。どうだった、皆元気だったか」


 家に帰ると、父の光太郎が居間で出迎えてくれた。発音はやや不明瞭ながら、話すことに不自由はない。

 母は買い物に出掛けているという。

 

「そうでもない。代替わりがあった」


 光太郎の表情が曇る。

 けれど赤羽陽一郎死亡の知らせは、彼をそこまで落ち込ませなかった。


「そうか。アケさんがにっこりと言ったんなら、本当にそうだったんだな。月世ちゃんといったか、少しでも慰めになったろう」

「いや、それがさ。彼女、わからないんだ」


 良太郎は、月世のこと、彼女への教育係に指名されたことを話した。


「俺にそんなことできるのかな。全然できる気しないんだけど」

「やめろと言われなかったんなら、できるんだろう」

「セイさんたちからダメ出しされなかったってこと? アケさんだけじゃなくって、皆んなパニクってる感じだったからなあ」

「それでも、やるしかないだろう」


【やるしかない】

「あ、セイさん。いたんだ」


 口に出した良太郎は、ハッと気まずそうな表情になったが、その視線をたどった光太郎はわずかに眉を下げた。


【言っておきたいことがある。部屋に戻れ】

「はい」


 父にはもうセイが見えない。

 そのことがわかっている良太郎は、少々の気まずさを誤魔化すように敢えて間を置いた。

 

「毎日暑いねえ。この時期の葬式とか、大変だっただろうね」

「そうだな。本人はにっこりでも、身内はなあ」

「うん。じゃあ、着替えよう。で、ちょっと休むわ」


 軽くそう言って居間を出た良太郎は、自室に入るなり大きく息を吐いた。


「見えなくなるんなら、いっそ忘れさせるとかできないのかな」

【ん? 光太郎のことか。それより、金色の髪の娘だが】


 セイは光太郎のことには構わなかった。良太郎は一瞬眉根を寄せたが、すぐに戻した。

 

「あ、はい? 遊々堂の?」

【そうだ。あの娘に憑いておる龍と話してきた】

「リュウ。へえ」


 何気なく口に出した良太郎だが、すぐに大きな声を出す。

 

「リュウ? リュウって、えっ、龍?!」


 言葉がすぐには認識できなかったようだ。

 

「すげっ、本物の龍? 龍がいたって?!」

【しつこいっ】


 セイは尻尾の先を苛々と振った。


【儂と同じくらいの小さな奴よ。そこいらにおる野良龍と同じ、ただ色が珍しいだけだ】

「野良の龍がいるの? そこいらに?」

【ここは結界の内ぞ。あんなモノ、いくらでもおる】

「いくらでも?!」

【いちいち驚くでない!】


 セイの声の厳しさに、良太郎は慌てて居住まいを正した。


金龍きんりゅう小童こわっぱは、マキの母方に代々憑いているそうだ】

きんっ」

 

 セイは聞こえなかったふりをする。


【アガリカナグスクの龍と言えばちょっとしたものだと言うておったが、どうだか。なにせ小童だからな。せいぜい200年も経っておるかどうか】

「アガリ、何って?」

【アガリカナグスク。大和ではなく琉球の龍だそうな。まったく、通じ合うまで時がかかったわ】

「訛りがきつかったの?」

【……儂らが人語じんごで語り合うとでも思っておるのか?】

「違うんだ」


 呆れた目を向けられて、良太郎はしょんぼりした。

 

【足を置く国が違えば、儂らのようなモノでも流儀が違うのだ。ともかくあれが言いたかったのは、マキに気づいて欲しい、見て欲しいということだった。憑いてよりこの方気づいてもらえず、この辺りの龍には相手にされず、虚しく過ごしておったそうだ。儂らに巡り逢えたのは天の采配と伏し拝んでおったわ】

「ちょっと待って、ください」


 良太郎はわなわなと震えだした手を差し伸べた。


「まさか、安請け合いしたんじゃ、ない、っすよね?」

【任せろなどと言うておらんぞ。そもそも、月世がどうなるかもわからぬではないか。だが、似たような話ではある。これも何かの縁。気休めではあろうが、マキを儂らに近づけてみれば良いと言うたまでよ】

「げっ」


 また思わず声を上げてしまい、良太郎はパチンと我が口をふさいだ。

 しばらくして、そろそろとその手を離す。

 

「近づけるって、どうやって」

【さあ? 小童に何ができるかは知らぬ。なんにせよ、縁があるには違いない】

「でもでも、それってヤバいやつじゃない? 近づけたはいいけどうまくいかないって、俺が喰い殺されたりしない?」


 我が手で我が身を抱きしめた良太郎に対し、セイは尻尾を鞭のように一振りした。

 

【あの金龍はヒトが好きなのだ。そのような無礼を言うものではない!】

「ごめんなさいっ」


 良太郎の表情はやや緩んだが、まだ疑いを解くには至っていない。上目遣いだし、背中が丸い。

 

【裕二も、龍が見えたからマキを雇ったのだろう。何代に憑いてきたか知らぬが、まだまだ幼い見た目の龍だ。この世に生きるモノの幼体と同じく、頭は体に対して大きく、髭も手足も短く、腹がぽっこりと……ん?】


 見えない良太郎に教えようと、金龍の特徴を並べ上げていたセイがふいに黙った。

 良太郎は再び我が身を抱きしめて身もだえしている。

 

「その見た目はヤバいって。爬虫類好きじゃなくても、あっ、ごめんなさい、その見た目にはメロメロだわ。俺でさえ見たいもん、チビ龍。そう言われてみれば、今日の裕二はなんとなく変だった。でもそのうち、マキちゃんは自分が惚れられてるって勘違いするに決まってる! 確かに裕二はイケメンだけど、10歳も離れてるし、勘違いで惚れさせちゃ可哀想だ」


 青ざめてまくしたてる良太郎を見ても、セイはただ不思議そうだ。

 

【裕二は気の利かぬ男ではなかろう。惚れられればそれと気づくであろうし、遠回しに引かせることもできるはずだ】

「いや、どれだけ持ち上げるんすか」

【据え膳食わぬは何とやらという卑怯者でもなかろうよ】

「そこは認めるけど。いや、案外突っ込むね、セイさん」

【どういう意味だ?】

「もういいですぅ。つき、赤羽さんだけでも大変なのに、マキちゃんまでって」


 良太郎はこれみよがしに大きなため息をついたが、素知らぬ様子でかわされて、より落ち込んだだけだった。



 一方、時は遡る。

 男3人が別れて30分ほど後のこと、賢介は市営墓地にある白井家の墓石に手を合わせていた。

 

【いつも言うが、そこにつとむはいないぞ。そもそも伸男も、そのまた親も、誰もいないというのに】

 

 いつの間にやって来たのか、彼の背後に立った白猫がぼそりとつぶやく。

 

「わかっていても、手を合わせたくなるんですよ」

【どうせ、家に帰ったらまた、仏壇に手を合わせるじゃないか】

「そうですけどね。今日は、父さんに報告したい気分でしたし。家じゃ、できませんから」

【好きにすればいい。とはいえ、そこにあるのは他所よそから持って来た石にすぎない。地縁も何も無いから、地中の声を伝える力も無いぞ。石の声は気にしないくせに、ヒトはどうも骨を大切にしすぎだな。成仏してくれと願いながら、そこに居るかのような扱いをするのも解せん】

「ハクさんが仏壇だの成仏だの口にすると、こっちこそ妙な気分になりますよ」


 礼法の手本のような所作で立ち上がった賢介は、何気ない風に墓石を一撫でした。


「それよりも、月世さんですが。どうしてハクさんのことだけ見えたのでしょう」

【さあて、猫への想いが強いからではないのか】

「頑丈な鎧を脱げば、皆さんのことも見えるんでしょうか」

【鎧にも隙間があるだろう。ことにあの娘、身の丈に合わない鎧をまとっているし】

「鎧の隙間ですか。良太郎はそこを見つけられるかな」

【なんだ。我に力を貸せと言いたいのか】

「僕は口を出しません。良太郎にまかせたことですから。でも……おや、いらっしゃいましたね」


 賢介は立ち並ぶ墓石の彼方を見やった。

 ハクが佇む一点を目指し、広い墓地中の野良猫、いや近隣の飼い猫たちまでもがひたひたと集まっていた。

 ニャンの一声も発しない集団の熱量は大変なものだが、ハクは微動だにしない。

 賢介は静かに一礼して、そっとその場を立ち去った。

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