第12話 鯛焼き屋

 日曜日とはいえ暑いせいか、鯛焼きを買い求める客の姿は無い。

 良太郎が遊々堂の店先に立ったとき、初めて見るバイト女子は期待に満ちた眼差しを寄越した。

 黒色のバンダナに包まれているのは色褪せたような金髪で、両耳に複数のボディピアスが付いている。パーツは厳ついが、背の低い彼女の化粧していない顔は案外幼い。


「あー、こいつはジョーキャクじゃないんだわ」

「え? バスですか、電車ですか」

「乗る客の乗客じゃねえ。上等な客じゃないってこと」


 素直に驚いている金髪女子に微笑みを誘われながら、良太郎は店主に「こら」と突っ込んでおいた。


 店主はひょろっと背の高い男性で、無精髭風の顎髭が似合う濃いめの顔立ちだ。頬骨が高く、眉が太い。黒エプロンには、踊るような勢いある白字で店名が書かれている。鯛焼き屋と言うより、ラーメン屋と言った方が通りが良さそうな風貌だ。


「鯛焼きか、何も無しか?」

「粒餡ひとつくれ。ここで食べる」

「マキちゃん、それ入れて」


 店主は、保温器にひとつだけ残った鯛焼きを示した。


「えっ、もうすぐ焼けますよね?」

「大丈夫、こいつは超ド級の猫舌だから」


 良太郎はポケットから150円を出してトレーに置いた。本当にいいのかなという表情の彼女に手を差し出し、紙袋に入れた鯛焼きを受け取る。


「テンチョーのお友だちですか?」

「うん。新しく入った人? 高校生?」

「16だけど学校は行ってないっす」

「年や身元について教えない。うっかり呼び掛けちまったけど、名前は忘れろ」


 店主は、マキちゃんと良太郎のそれぞれにぶっきらぼうに言った。それでも、マキちゃんに向ける眼差しはやわらかい。いささかやわらか過ぎるきらいもある。


「はぁい」

「了解。えーと、ごめん」


 マキちゃんは小さく肩をすくめて、良太郎に気にしないでという笑顔を向けた。案外人懐っこそうな子だ。


「そろそろ客が入り出すと思うけど、すぐ戻るから。だろ?」


 チラチラとマキちゃんを見た後で、食べ終わろうとした良太郎に店主が念を押した。


「うん。ちょっと頼みがあって」

「よし、上がってろ。おっと、頼みを聞くって意味じゃねえからな」

「わかってるよ」


 丸めた紙袋を目の前のゴミ箱に放り込んでから、良太郎はカウンター横の小さなドアを開いた。

 すぐ正面に細い階段がある。登った先の小さな踊り場で、彼はガタついたドアノブを回した。

 そこまでの狭さからすると、思いがけず広い倉庫のような部屋が現れた。

 壁際にはぎっしりと物が詰まった棚が並び、赤茶けたカーテンの掛かった窓の部分だけが開けている。床にも古びた段ボール箱が積み上げられているが、真ん中にはくたびれた応接セットが置かれている。

 ソファーに座って持参したペットボトルの茶を飲み干したところで、店主が入ってきた。

 その姿を見た良太郎は「あれっ」と声を上げた。


「下で会ったんだ」


 嬉しさを隠さない店長の左肩に、カナヘビが乗っている。


【これほどに喜ばれるとな。少しは見習え】

「いやあ、俺だって有り難く崇め奉っていますよ」

「あー、いいなあ。俺も声を聞きたい」


 姿を見ようと無理に体をひねるのを憐れんだか、セイはふわふわとテーブルの上に移動した。


棚原裕二たなはらゆうじ。その名はしかと覚えておるぞ。できることなら語り合ってみたいものだ】

「えーと、カナヘビさんとしても、話ができたらなあとおっしゃっておられます、はい」

「そうか、そうか。でもまあ、仕方がないっす。聞きたい声だけ聞くなんて都合良くいかないでしょうし。恨み言やら頼み事やら聞かされたってなあ」


 カナヘビにとも良太郎にともつかず、裕二はぼそぼそ言った。

 彼はひとり掛けの椅子に腰を下ろしたが、カナヘビを見たかと思うと直ぐにあらぬ方へ目をやり、どこか落ち着きがない。

 小さく首を傾げた良太郎だったが、セイがドアの方を見つめながら宙に浮いたので、更に首をひねることになった。


「で、頼みってのは何だ」


 裕二から切り出され、慌てて視線を彼に戻す。

 

「うん。俺ののことなんだが」


 自分たちの頭より高く浮かんでドアに向かうセイの背中を見つつ、良太郎は用心深く切り出した。


「おう」

「と、その前に。商店街の仕組みってわかんないんだけど、[小料理 まさ]の大将が亡くなったの、知ってる?」

「知ってるさ。結構大きなニュースになってたろ?」

「えっ、そうだっけ?!」


 良太郎は勢いよくセイを見上げたが、あちらは振り返る気配もない。


「飲酒運転野郎にはねられて即死って、全国ニュースに決まってるだろうが。そりゃ、店の名前は出なかったけど。飲食店経営の赤羽さんって報道されたと思う。だから、そのときはあの店だってわからなかった」

「ああ、そうか。そうなのか」

「商店街からバスが出て、揃ってお通夜に行ってきたよ」

「あそこの娘さんって顔見知り?」

「いや、娘さんがいることも知らない。俺は新参者だし、私生活には関わらないから」

「そうなのか。実は、あの大将は小隊の仲間だったんだ」


 良太郎はちらちらとセイの様子を伺うが、まだドアの前に浮かんだままだ。


「へえ」

「よんどころない事情があって、娘さんに後を継いでもらいたいわけよ。まだ大学生なんだが」

「うん」

「ところが、娘さんにはのことが見えない、聞こえない、信じられない」

「ほほう」

「困り果てて、俺に白羽の矢が立った」

「娘さんを引き入れろと?」

「うん。つまり、まず見聞きできるようにしろと」

「そりゃ無理だ」


 裕二に容赦無く断言されて、良太郎はがっくりと項垂れた。


「運任せっていうか、体質っていうか、自分でどうこうできねえだろうに」

「まあ、そうなんだろうけど。見聞きできないはずはないって材料があってさ。何かが引っかかってるせいで、一時的に不可能になってるだけなんじゃないかって、その、上官たちが」

「ふうん」

「それで、俺が教育、ってのはおこがましいな。導き役を仰せつかった。期限は約1ヶ月。当人が喧嘩腰ながら了解してくれたから、できれば毎日説得に当たりたい。時間は決まってないんだけど、ここを貸して欲しいんだ」

「なんだ、そんなことか」

「え?」


 軽く言われた良太郎は首を傾げた。


として指導しろー、って言われるかと思った」

「できないんだろ?」

「できない」


 わざとらしくすました笑顔の裕二にお手上げポーズを見せて、良太郎は立ち上がった。


「あっ、もうひとつ。その娘さん、赤羽月世さんだけど、連絡手段がないんだ。伝言を頼むことがあるかもしれない」

「おう。そのくらいならやるよ」

「助かる。じゃあ、明日からよろしく」

「まあ、頑張れ」


 連れ立って階段を降りた裕二は、ドアの前で「カナヘビさん、毎日一緒に来てくれよな」と、名残惜しそうに手を振った。

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