第10話 無理そうな約束

 男3人は、月世が声を上げて泣きじゃくるのを黙って見守っていた。

 騒いでいた霊獣たちも、いつしか黙り込んでいた。

 そんな中、置物のように微動だにしなかった白猫が立ち上がり、月世の足に体を擦り付け始めた。月世には見えず、聞こえない存在である。しかし、猫の動きに合わせるかのように、しゃくり上げる声は静かになっていった。


「顔っ! 顔洗ってきます!」

 

 ようやく泣き止んだ彼女は、いきなり店の奥へと駆け込んだ。誰も口をきかない店内に、水の流れる音が届く。

 ややあって戻ってきた彼女は、勢いよく頭を下げた。恥ずかしいのだろう、そのまま微妙に視線を外している。

 

「お見苦しいところをお見せしました」

「見苦しくはねえよ。人の子なら当たり前だ」

 

 泣かせた責任を感じてか、太一が珍しく照れた顔をした。

 

「葬式にこそ参列しなかったが、親父さんと俺たちは親しい間柄だった。それだけは信じてくれ。俺たちだって、悲しい。あんたの気持ちをぶつけてくれたって、構わねえんだぞ」

 

 再び、白猫が月世の足に体を何度か擦り付けた。

 

「ああ、私ったら、小さな子どもみたいですね。よしよしされたみたいな気がします。あはは」

 

 照れ隠しの笑い顔になった月世の足元で、ハクは男たちの方へ体をひねり、鼻息も荒そうな顔で目を細めた。

 

「すげえ。効果あるんだ」


 良太郎の呟きに、月世は気づかなかったようだ。

 

【ハクってば、ずるい】

 

 雀はツンと嘴を背けた。

 男たちが生温かい目で雀を見やった後、賢介が月世に言った。

 

「猫のことだけど。信じられるようになれば、ずっと見えるよ。飼いたかったくらい好きなんだろう、猫?」

「見えるだけで触れないんじゃ意味ないです」

「触れるよ」

 

 賢介はにっこりして断言したが、月世は眉をひそめた。

 

「今見えないってことは、霊的な存在じゃないんですか?」


 認める気がないことを強調するように、彼女はレ、イ、テ、キと力を込めて言った。

 

「そうだけど。たとえば幽霊が触れないのは、他の世界に属しているからであって、向こうが自分の意思で、この世に属しているなら触れるんだ。全てに言えることかどうかはわからないけどね。我々の仲間である猫は、質量こそないけれど触れる」

「質量がない? 膝に乗っても重さを感じないのに、手触りはもふもふしているっていうことですか?」

 

 今までで一番興味を示した様子に、雀がぴょんぴょん飛び回った。

 

【もふもふならあたしがいるじゃない!】

【アケがもふもふしていると、誰が言うのだ/へへっ、けばけばしてらぁ】

【なんですってぇ!】

【やめい、やめい。見苦しい】

 

 また、わちゃわちゃし始めた霊獣たちだったが、人間たちはあえて無視した。

 

「もう、こんな時間だ。お嬢ちゃんも、そうそう時間を取れないだろうし、不本意だろうが、話し合いだけはさせてもらうよ」

「ええ、どうぞ。よそでは話せないことでしょうから」

 

 本意はどうなのか、照れ笑いからすっと真顔になった月夜は立ち上がって奥への出入り口まで、丸椅子を持って後退した。

 

「私のことはお気になさらず、どうぞ」


 月に一度の四家しけの、いや、3家の話し合いは、妙な感じで始まった。月世は、美術館の展示場に座っている係員のごとく黙っているが、しっかりと聞き耳を立てているのは明らかだ。

 

「えーと、例の件の前に。えー、競馬場の再開に向けての話だ。工事は順調、予定通りの完成になりそうだとよ。馬は神聖な生き物だが、競馬場は別だって話だ。まあ、開催されていた頃だって、年間たった9開催に限られてたわけだが、馬が地面を踏んで清める力より、人間の欲の汚れが上回っていたって、あー、その、なんだ……そうだったんだろう、クロさんよ」

 

 太一はチラリと月世を見たが、すぐに亀へと視線を移した。

 

【太一が形なしとは珍しいな/若い娘は勝手が違うってか】

「よせやい、クロさん」

【酒席に侍るおなごはあのような冷めた目で見て来ぬからな】

「セイさんも人聞きの悪いことを。月世ちゃんが誤解するだろ……ってか聞こえてねえのか」

 

 太一がため息をつくと、賢介がまあまあと慰めた。

 

「もう7年、開催されてないんですよね。太一さんも競馬の経験は無しですか?」

「無いねえ。親父も行ってなかった。もちろん、競馬場そのものの監視はしてただろうけどな。さてと、じゃあ肝心な話だ」


 太一は咳払いをして、賢介と良太郎を見た。


「市政だよりで読んだんだがよ。ポストに入ってたのが、一昨日か。海猫屋のマスターが、町おこしの先頭に立つつもりだっていう記事」

「あ、俺はマスターの甥が店を継ぐことになったっていうニュースを、ネットニュースで読みました。これで、まだまだ美味い飯が食えるって喜んでたら、マスターがやらかすっていう」

「やらかすはないだろう。僕も店についての記事で知ったんだけどね」


 3人が揃って視線を向けたので、月世は軽く肩を引いた。


「海猫屋は知ってるよな? 洋食屋の」

「もちろん知ってます。お祝いとか特別な食事は、あそこって決まってましたから」

「じゃあ、マスターが休みがちだったのも知ってるか」

「はい。もうお年ですし、閉店かなって思ってました。甥御さん、数年前から証券会社を辞めてコックになるって言ってたそうなんですが、マスターは反対してたそうですし」

「ふむ。商店街情報は詳しいんだな。マスターとはサシで話せるくらいの仲かい?」

「えっ、それはないです。ご挨拶をするくらいで」


 問われてすらすらと応じたものの、太一がちょっと前のめりになると唇を引き結んだ月世である。


「海猫屋の継続に、皆さんと何の関係が? それに町おこしって」

「その情報は入ってないのか?」

「知りません」

「隠居したら、四神相応で町おこしをしたいんだとさ」

「え?」


 そのとき月世のスマートフォンがまた振動した。


(月世ちゃん、まだ帰れないの?)

 

 先刻と同じ声が全員に届いた。音量設定云々ではなく、月世のおばは地声の大きな人物らしい。


(どうせ、陽一郎さんの趣味のお仲間でしょ? 適当にうっちゃって帰って来なさい。電話があれば、用事にかこつけて帰れると思ってね)


 さすがに真っ赤になった月世は、途中からそそくさと奥へと引っ込む。


「うーん、今日のところはここまでか」

「そうですねえ。僕も陽ちゃんがマスターと話してくれることを期待してたんですが、その線は無しですね。どうしましょうか」


 太一と賢介が腕組みをする前で、雀が羽ばたいた。

 

【それはともかく、月世にあたしを認めてもらわなきゃ、先々困るのははっきりしてるわ。良太郎がなんとかしてくれるのよね?】

「や、そう言われても」

 

 良太郎はポリポリと頭を掻いた。

 

「アケさんと連携を……って言っても、プライバシーの侵害はできないし。他に聞かせられない話を、若い女性とするなんてこと」

「私のことですか?」

 

 スマートフォンを握りしめた月世が戻ってきた。

 

「あっ、すみません」

「一度お受けした件ですから、お話はうかがいましょう。店はしばらく閉めますから、場所はここでいいですか?」

「いやいや、無人の店内に2人っきりというわけにはいきません! あ。大学は電車通学ですか?」

 

 良太郎は駅と[小料理 まさ]を結ぶ経路の途中にある鯛焼き屋を提案した。

 

「え、遊々堂? あそこに飲食スペースってありましたっけ?」

「無いです。でも2階を借りられます。親しいんで」

「え? でも、それだって2人きりになることに変わりはないんじゃ?」

 

 不審げに首を傾げた月世に、良太郎はぶんぶんと手を振った。

 

「店主が居ますから。いや、居るったって下にいるんだけど。でも、奴の目配りは特別だから」

「は? そうなんですか?」

「そうなんです! もしも俺が後になったら、青山と約束があるって言ってください。大丈夫だから」

「そうですか? じゃあ、とりあえず連絡先の交換をしなくちゃいけませんね」

 

 少々嫌そうにスマートフォンを取り出した彼女を、良太郎が慌てて制した。

 

「電話とか、SNSの連絡は駄目なんです」

「えっ、どうしてですか?」

 

 彼女は良太郎だけでなく、他の2人の方も見た。

 

「ええと、電波というのはある方面に大変に問題がありましてですね。この四家しけの間では使っちゃいけないことになってまして、その」

「もしかして、あなた方も知らないんですか? お互いの連絡先?」

「はい。まあ、必要無いと言えば無いので。霊獣がいますから」

「……霊獣ネットワークですか。でも、私は使えないじゃないですか」

 

 月世の顔に、冷たい影が差した。

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