第9話 できすぎたお話
頭の上で雀が飛び跳ねていることにも気づかず、月世は硬い表情のままだ。
良太郎だけが、笑いを堪えるため小刻みに震えていたが、ふいっと飛び立ったアケから月世の顔へと視線を移した途端「ひっ」と小さな声を立てた。そしてそのまま、自分を抱きしめるようにきつく両腕をつかんだ。
彼の目には、月世の瞳から生気が抜けたように見えたのだ。
気のせいかと頭を振る良太郎の前で、まるでガラス玉のような瞳を伏せて、
「昔むかし、ヒメジとその周辺がハリマノクニと呼ばれていたころ、
そこから北の広峰山に向いて立ったとき、法師は山から神々しい気が立ち上るのを感じました。ふと気がつくと、左手の道からも、右手の川からも、後ろの海からも、似たような気が集まって来るのが感じられました。
法師は、それが京の都で感じたものと同じであることに気がつきました。
法師は、そこが祝福された土地であると知り、姫山に城が築かれ、後の世までも栄えることを望みました。
法師は山の玄武、道の白虎、川の青龍、海の朱雀に挨拶に行きました。それぞれの方角から、霊気が姫山に集まりました。
法師は、集まった4匹に、遥か後の時代までこの地を守ってくれるようにと頼みました」
【4匹!】
白猫が吐き捨てるように言い、亀は笑い、宙に浮かんだカナヘビは長い尾で雀を引っ叩いた。
【何するのよう!】
【なっとらんだろうが!】
「けれど4匹は難しい顔をしました。人間は山を削り、道を変える。川や海は流れや波で削られる。結界が長く保つかどうかわからない。
では、と法師は考えました。本体である山や海を守れるように、決まった家に世話をさせましょう。
それなら良いだろうと、4匹は答えました。
法師は、弟子であるハリマ陰陽師の中から4人を選び、それぞれの役につかせました。
南の海である朱雀さまをお守りすることになったのが、赤羽家のご先祖さまです。
朱雀さまは、今も海からお城に向けて、大きな赤い翼で美しい霊気を送っています。
その朱雀さまのお手伝いをするのが、赤羽家の当主の務めです。当主になったその日から、朱雀さまのお姿が見え、声が聞こえるようになるのです。
以上です」
話し終えたら彼女の顔を見て、良太郎は安堵の息をもらした。
まるで童女のように頬を赤らめてちょこんと頭を下げた月世に対し、聞き手の3人は拍手を送った。
話の間中、月世の顔に強い視線を向けていた賢介の手だけが一瞬遅れたが、誰よりも大きな拍手だった。
「こんなに整った話を聞くの、初めてなんすけど」
良太郎は、ため息と共に言った。
「陽一郎は、そういった調子で話したのかい?」
太一は首を横に振りながら、月世に訊ねた。
「細かいところは違うかもしれませんが、はい」
「意外ですねえ。陽ちゃんにこんな才能があったとは」
【賢介までも何を言う。こうであるからこそ、この娘、真実だと受け取れぬのであろうが】
白猫が唸り声交じりに言った。
【アケよ、さすがにやりすぎだと言うてやらなんだのか】
【なによ、別に良いじゃない】
【大きな赤い翼であるからな/美しい霊気と来たもんだ。そりゃあ、気に入るだろうさ】
そう言った亀に向けて、アケはバサバサと羽ばたいて不満げだ。
「それはそうと、確かに色の話が出なかったな。苗字と色のことを言ったときから気にはなってたんだがよ。そもそも、俺たちの名前を聞いた覚えはないのかい? その説明とか」
「私が忘れたのかもしれませんけど」
太一の問いに思い出そうとする目つきをしながらも、月世は笑うように唇を歪めた。
「方角と色が結びついているのなら、うちが赤羽なのは納得です。朱雀って、朱色、赤色ですよね。北っておっしゃったから、黒坂さんが玄武の家で、玄武は黒色なんですね?」
「玄武が黒いわけじゃないんだがなあ」
クロの方を見やった太一だが、月世はもちろん気づかない。
「白井さんが西で白虎、青山さんが東で青龍ですか。ええと、西が道で東が川ですね。どうして西道さんとか青川さんっていう名前じゃないんですか。井戸は水だし、山は北だし変ですよね」
「うへえ、賢いっ」
【色の他の文字に意味はない。そもそも初代には姓が無かった】
思わずといった良太郎の呟きにかぶせてセイが言い切り、良太郎がそれを繰り返した。
「色以外の文字に意味はないし、初代には姓が無かったそうです」
「初代、ですか。ハリマ陰陽師っていう。皆さんのお家には、家系図があるんですか?」
「いやあ、聞いたことないなあ」
【そんなものは無くとも、儂らが覚えておるわ。東の初代はそのままアオと呼ばれておった。だが、今の若いものにはわからぬだろうが、アオは緑のことであって、儂の本性がそもそも今で言う緑色であるから】
「いや、セイさん。月世さんには聞こえてないから」
喋り始めたセイを止めた良太郎だったが、はっと月世を見た。彼女は、小さく鼻で笑ったようだ。
「私、小さいころは、ファンタジーものを読むの、好きだったんですよ。でもね。作られたお話だからこそ、好きだったんです。安倍晴明の話だって、科学が発達していない時代に盛りに盛ったお話でしょう。それを、よりによって自分の父親から、うちは朱雀さまにお仕えする家だって聞かされても、ねえ? 私もいつか、朱雀が見えるようになって、命令されたことに従うんだって。それを定めたのが? 道摩法師で? 道摩法師っていうのは、あの、芦屋道満のことですって? そんなの、真実の歴史として教えられたらどうします?」
【ほれ、あの映画とやらが悪いと言うたろう。小汚い爺にするから、若い娘が嫌がる】
セイが言うと、アケも飛び回って続けた。
【作り物の芦屋道満、嫌い! 法師が可哀想!】
【法師は笑い飛ばすだろうて/あのころから、そうだったよな】
沈黙を貫く白猫を除き、道摩法師の思い出話に花が咲く霊獣たちには構わず、男たちは月世に向き合っていた。
「昔話や神話にも、真実は含まれていると思うね。逆に、真実とされている歴史書にも、月世さんが言う盛った話が含まれているだろう。『ハリマノクニ風土記』が全て真実の記録だとは、僕も思わない。でも、今ここには道摩法師と面識のある霊獣がいるし、僕もこの2人もそれを見ている」
「という設定なんですね。まるで新興宗教の勧誘みたい。どうしても4人揃わないとできない儀式でもあるんですか?」
賢介と月世のやり取りに、太一は「はあーっ」と大きなため息をついた。
「手強いお嬢さんだ。陽一郎のやつを引きずり出してえ」
「引きずり出してもらってもいいんですよ。なんなら、道摩法師とセットでこの場に呼んでもらっても」
切り口上で応じようとした月世だが、ぷっつりと言葉を切った。
あれっと彼女の顔を見た3人は、彼女が大粒の涙を流していることに仰天した。
「あれっ、あれ? 私、嫌だ。どうして」
「いいんだ、いいんだ。俺が考え無しに言ったのが悪かった。泣かせるつもりはなかったが、この際吐き出しちまえ。泣けてないんだろ」
「別にっ。いいんですっ」
月世は泣き顔を腕で隠して、乱暴に言い放った。しかし、その言葉とは反対に、声を上げて泣き始めた。
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