第8話 できすぎたお話

 頭の上で雀が飛び跳ねていることなど知らない月世は、真顔だ。

 良太郎だけが、笑いを堪えるため小刻みに震えていたが、ふいっと飛び立ったアケから月世の顔へと視線を移した途端「えっ」と小さな声を出し、まばたきを繰り返した。

 彼の目には、月世が妙に幼く、可愛らしく見えたのだ。ほんのり頬を染め、ついさっきまでの冷たいものとは違う夢見るような瞳になって、彼女は語り始めた。

 


 


「昔むかし、ヒメジとその周辺がハリマノクニと呼ばれていたころ、道摩法師どうまほうしというハリマ陰陽師がいました。各地を歩いて、その術で人助けをしていた法師は、ある日、姫山を訪れました。

 そこから北の山に向いて立ったとき、法師は山から神々しい気が立ち上るのを感じました。ふと気がつくと、左手の道からも、右手の川からも、後ろの海からも、似たような気が立ち上っているのが感じられました。

 法師は、それが京の都で感じたものと同じであることに気がつきました。

 法師は、そこが祝福された土地であると知り、姫山に城が築かれ、後の世までも栄えることを望みました。

 法師は山の玄武、道の白虎、川の青龍、海の朱雀に挨拶に行きました。それぞれの方角から、霊気が姫山に集まりました。

 法師は、集まった4匹に、遥か後の時代までこの地を守ってくれるようにと頼みました」


【4匹!】

 

 白猫が吐き捨てるように言い、亀は笑い、宙に浮かんだカナヘビは長い尾で雀を引っ叩いた。

 

【何するのよう!】

【なっとらんだろうが!】

 

「けれど4匹は難しい顔をしました。人間は山を削り、道を変える。川や海は流れや波で削られる。結界が長く保つかどうかわからない。

 では、と法師は考えました。本体である山や海を守れるように、決まった家に皆さまのお世話をさせましょう。

 それなら良いだろうと、4匹は答えました。

 法師は、弟子であるハリマ陰陽師の中から4人を選び、それぞれのお役につかせました。

 南の海である朱雀さまをお守りすることになったのが、赤羽家のご先祖さまです。

 朱雀さまは、今も海からお城に向けて、大きな赤い翼で美しい霊気を送っています。

 その朱雀さまのお手伝いをするのが、赤羽家の当主の務めです。当主になったその日から、朱雀さまのお姿が見え、声が聞こえるようになるのです」





 

「以上です」


 童女のように頬を赤らめてちょこんと頭を下げた月世に向けて、聞き手の3人は拍手を送った。

 話の間中、月世の顔に強い視線を向けていた賢介の手だけが一瞬遅れたが、誰よりも大きな拍手だった。

 

「こんなに整った話を聞くの、初めてなんすけど」

 

 良太郎は、ため息と共に言った。

 

「陽一郎は、そういった調子で話したのかい?」

 

 太一は首を横に振りながら、月世に訊ねた。

 

「細かいところは違うかもしれませんが、はい」

「意外ですねえ。陽ちゃんにこんな才能があったとは」

【賢介まで何を言う。こうだからこそ、この娘、真実だと受け取れないんだろうが】

 

 白猫がうなり声交じりに言った。

 

【アケよ、陽一郎がこれを語ったのか?】

【えー、どうだったかしら。ずっと立ち会ってたわけじゃないし】

【それでも聞いたことはあるだろう。さすがにやりすぎだと言ってやらなかったのか】

【なによ、別に良いじゃない】

【大きな赤い翼であるからな/美しい霊気と来たもんだ。そりゃあ良いさ】

 

 そう言った亀に向けて、アケはバサバサと羽ばたいて不満げだ。

 

「それはそうと、確かに色の話が出なかったな。苗字と色のことを言ったときから気にはなってたんだがよ。そもそも、俺たちの名前を聞いた覚えはないのかい? その説明とか」

「私が忘れたのかもしれませんけど」

 

 太一の問いに思い出そうとする目つきをしながらも、月世は笑うように唇を歪めた。

 

「方角と色が結びついているのなら、うちが赤羽なのは納得です。朱雀って赤色ですよね。北っておっしゃったから、黒坂さんが玄武の家で、玄武は黒色なんですね?」

「玄武が黒いわけじゃないんだがなあ」


 クロの方を見やった太一だが、月世はもちろん気づかない。

 クロはえへへっと首を倒した。

 

「聞き流していましたけど、黒坂さん、クロさんって言ってましたね。玄武に話しかけているって設定でしたか。白井さんが西でシロと呼ばれる白虎、青山さんが東でアオと呼ばれる青龍でしょうか。ええと、西が道で東が川。どうして西道さんとか青川さんっていう名前じゃないんですか。井戸は水だし、山は北だし変ですよね」

「うへえ、賢いっ」

【色の他の文字に意味はない。そもそも初代には姓が無かった】

 

 思わずといった良太郎の呟きにかぶせてセイが言い切り、良太郎がそれを繰り返した。

 

「色以外の文字に意味はないし、初代には姓が無かったそうです」

「初代、ですか。ハリマ陰陽師っていう。皆さんのお家には、家系図があるんですか?」

「いやあ、聞いたことないなあ」

【そんなものは無くとも、儂らが覚えておるわ。東の初代は、それこそアオと呼ばれておった。だが、今の若いものにはわからぬだろうが、アオは緑のことであって、儂の本性がそもそも今で言う緑色であるから、】

「いやいや、月世さんには聞こえてないから」

 

 喋り始めたセイを止めた良太郎だったが、はっとして月世を見た。彼女は鼻で笑ったようだ。

 

「私、読書が好きで。小さいころは、ファンタジーものが大好きだったんですよ。でもね。作られたお話だからこそ、好きだったんです。安倍晴明の話だって、科学が発達していない時代に盛りに盛ったお話でしょう。作られたお話と言っていい。それを、よりによって自分の父親から、うちは朱雀さまにお仕えする家だって聞かされても、ねえ? 私もいつか、朱雀が見えるようになって、命令されたことに従うんだって。それを定めたのが? 道摩法師で? 道摩法師っていうのは、あの、芦屋道満のことですって? そんなの、真実の歴史として教えられたらどうします?」

 

【ほれ、あの映画とやらが悪いと言うたろう。小汚い爺にするから、若い娘が嫌がる】

 

 セイが言うと、アケも飛び回って続けた。

 

【そうそう! 法師が可哀想!】

【法師は笑い飛ばすだろうて/あのころから、そうだったよな】

 

 沈黙を貫く白猫を除き、道摩法師の思い出話に花が咲く霊獣たちには構わず、男たちは月世に向き合っていた。

 

「昔話や神話にも、真実は含まれていると思うね。逆に、真実とされている歴史書にも、月世さんが言う盛った話が含まれているだろう。『ハリマノクニ風土記』が全て真実の記録だとは、僕も思わない。でも、今ここには道摩法師と面識のある霊獣がいるし、僕もこの2人もそれを見ている」

「という設定なんですね。まるで新興宗教の勧誘みたい。どうしても4人揃わないとできない儀式でもあるんですか?」

 

 賢介と月世のやり取りに、太一は「はあーっ」と大きなため息をついた。

 

「手強いお嬢さんだ。陽一郎のやつを引きずり出してえ」

「引きずり出してもらってもいいんですよ。なんなら、道摩法師とセットでこの場に呼んでもらっても」

 

 切り口上で応じようとした月世だが、ぷっつりと言葉を切った。

 あれっと彼女の顔を見た3人は、彼女が大粒の涙を流していることに仰天した。

 

「あれっ、あれ? 私、嫌だ。どうして」

「いいんだ、いいんだ。俺が考え無しに言ったのが悪かった。泣かせるつもりはなかったが、この際吐き出しちまえ。泣けてないんだろ」

「別にっ。いいんですっ」

 

 月世は泣き顔を腕で隠して、乱暴に言い放った。しかし、その言葉とは反対に、声を上げて泣き始めた。

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