第7話 一子相伝

 良太郎は、考えすぎて止めていた息をぷはあーっと吸って、目を開けた。


「無理っすね!」

 

 笑顔で断言する彼に、年上の2人は呆れた顔を向けた。

 

「セイさんのことが見えなかったら、っていうか、声も聞こえないんですよね? 集まりは絶対参加って親父から聞かされてましたけど、壮大なごっこ遊びだと思ったかも。それこそ、いい年したおっさんたちが何やってんだーっていうか。あ、すんません」

 

 良太郎は2人に軽く頭を下げて、えへへと笑った。

 

「そう言えば、初めてお役のことを聞かされたのって、何歳のときだっけかなあ。俺は、かっけえって思ったっす」

「カッケー?」

「格好いいってことですよ」

 

 首を傾げた太一に、賢介が教えた。

 

「結界っていうのが、そもそも現実離れしてるじゃないですか。平安京や江戸が四神相応の呪術都市だっていうのは、納得しますよ。陰陽師や天海僧正がどうたらこうたらって、昔はそうだったのかなって思うし。それが、現代に生きるこの自分が、青龍さまのしもべになるって、そりゃもう、晴れがましいというか」

【こやつ、いざ代替わりとなってもまだ、陰陽師になれると思うておったからな】

 

 セイが鼻で笑うように付け加えたが、良太郎は恥ずかしがりもしない。

 そのとき、閉じられたままの戸口を平然とすり抜けて、雀が飛び込んできた。

 

【はいはい皆さん、あの子もうすぐ戻ってくるわよ。帳面見て、ものすごく難しい顔してたわよ】

「難しい顔って、陽一郎さんは何を書いてたんだ?」

 

 真っ先に良太郎が訊ねた。

 

【言っていいものかしら?】

【見たのなら、勿体ぶることはなかろう。言ってみろ】

 

 座った白猫が、長い尾の先をぴたぴたと床に打ち付けながら促した。

 

【ふん、いちいち偉そうだこと。あのね。〈私に万が一のことがあれば、四家しけの一員として、皆にしっかり教えを乞うように。万物に誓って言う。あれは私の作った物語ではない〉って】

「私の作った物語ではない。それは、月世さんが最初から最後まで、信じていなかったということですか」

 

 賢介に訊かれて、アケは首を傾げた。

 

【そういうことになるのかしら。初めて聞かされた子どもが、面白いお話だって喜んじゃうってことはよくあるけど。陽一郎だって、ちゃんと本当の話だって言ってたわよ。本当よ? でも月世の方はここのところ、2人きりで話そうとしても避けてたし、まだその話、とか言ってたわねえ。もう子どもじゃないんだから、とか。ね】

「ずいぶん可愛がって育てたのに、その態度かよ」

 

 太一が顎を撫で回して遠い目をした。

 

「女の子ってのは難しいもんだなあ。おい、賢介。お前のとこの3人目、女の子だろう。どうなんだ」

「うちは一緒に道場に通ってますから、剣道の話ならいくらでもできますが。ただ、あの子が後継だったとしたら……どうでしょうね。2人きりで内緒の話をする機会を作れたでしょうか」

 

【あ、そう言えば。陽一郎が見せた振袖の写真、覚えてる?】

「ん? 月世さんの成人式の写真?」

 

 考え込んでいる2人に先んじて、良太郎が雀に応じた。

 

「ああ、あれだろ。鳳凰柄の」

 

 太一が言うと、賢介も頷く。

 

【鳳凰って言わないの! 陽一郎は朱雀の柄だって信じてたんだから】


 雀は抗議するように羽をばたつかせた。

 

「3人とも見てますよ。それがどうかしましたか?」

【あの反物を見て月世が綺麗って言ったとき、陽一郎はとっても喜んだのよ。さすが南の後継だって。あんたたちもそれを知ってるし、確かに後継だって話してたって、強く言ったらどうかしら】

「そりゃあ、陽一郎には娘が1人しかいないって知ってたんだから、そうなるわな」

「もう息子は諦めたって言ったのは、小学校の卒業間近だったか」

「えー、女より男に継がせたいって考え、あったんすか?」

 

 良太郎は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「個人の資質と考えれば、女系で継承した方がいいんだろうけど。家単位となると、どうしても男系の方が楽なんだよ。婿を取って苗字を継いでとなると、今の時代、なかなか難しいだろう?」

 

 賢介が説明すると、良太郎は目を見開いた。

 

「ああ、そうか。おかみさんが事情を知らないとなると、婿養子云々は唐突な感じになるのかな? でも、店をやってるから、板前に店を継がせたいって言い抜けることはできますよね」

「それこそ時代錯誤じゃないか。陽ちゃんが長生きすれば、月世さんの子どもに継がせるっていう選択肢もあったんだろうけどね」

「そうですか。でも、差し当たって今日はどうします? せっかくの月一の集まりなのに、このままじゃ今月の話が進まない……ってか、やばっ! 今日は大切な話があったんだった!」


 良太郎が思わず立ち上がると同時に、太一も膝を叩いた。


「そうだよ、今日の話だよ! あれだ、海猫屋の。お前たちもそれか? 耳に入ってるか?」

「ええ。あれは捨ておけないと思いました。陽ちゃんの出番だと思ったんですが、同じですよね?」


 賢介の問いに、2人とも大きく頷いた。


「この件に関しては、ぼやぼやしちゃいられねえ。みんなに言われなくったって、人の一生が儚いことはよーっく、わきまえてる。だから、今日の打ち合わせだって、おろそかにはできんさ。今日のところは3人で、当面のことを決めるしかないわな。それはそれとして、良太。お前がお嬢ちゃんへの教育係になれ」

「はあっ?!」

 

 太一がビシッと指を突きつけたので、良太郎は大きくのけぞった。

 

「アケさんに手伝ってもらって、月世ちゃんが俺たちのことを信じるまでなんとかしろ。あれだ、お百度参りでもお百度詣でも、どこまでもだ。仕事なら、光太郎になんとかしてもらえるだろう」

「いやいやいや、どうやって? 無理でしょうよ。信じてもらってない上にストーカーまがいの行為ですか」


「いいですよ、私は」


 勢いよく戸が開いて、興奮した面持ちの月世がそこにいた。驚いたのは人間たちばかり。

 

「え、聞いてたんですか? どこから?」

 

 あたふたしながら良太郎が訊ねると、彼女は彼を見下すように答えた。

 

「女系より男系の方が継承しやすいってとこです」

「あ、陽一郎さんの書き残したものは、あった……?」

「ありました。納得いきませんけど。だから、あなたが私を納得させられるかどうか、試してみましょうか」

【ふむ。確かにやわやわした娘ではないな】

【でしょ?】

 

 げっそりした良太郎の肩の上では、カナヘビと雀が頷き合った。

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