第5話 他言無用
月世が去った店内で、男たちはしばし物思いに耽った。亀は置物のように動かず、猫は猫らしく毛繕いをし、カナヘビはただ尻尾を垂らして棒のように浮かんでいる。
「まあ、それはそれとしてだ、妙に疲れちまった。良太、そこの自販機で何か買ってきてくれ」
太一が小銭入れを取り出した。
「あ、そうっすね。うちに転がってた水ようかんも持ってきてたんでした。冷たい緑茶でいいですか?」
「まかせる。お嬢ちゃんにも買っといてやれや」
500円玉を受け取った良太郎が店を出ると、セイもふわふわ浮かんでついてきた。
すぐ近くの雑居ビルの前にある自動販売機で、良太郎は100円の緑茶を4本買う。ペットボトルがごとんごとんと取り出し口に落ちてくるたびに、カナヘビはそのそばに寄って興味深げに見た。
「あーあ、セイさんが1本でも持ってくれたらなあ」
左の脇に1本ずつ挟みながら、良太郎は笑った。
【浮かせて運ぶことならできるぞ? 幸い、人通りも絶えておるが】
「いえ、結構です」
間髪入れずに断ったものの、店に戻ったときには戸を開けてもらわねばならない。しかし、中に声をかけるまでもなく、すっと顔をのぞかせた賢介が2本のペットボトルを受け取った。
「外から入ると暗いっすね。電気、点けますか?」
「まあ、お嬢ちゃんが戻るまで待とうや。水ようかんは、まあ先にいただくとするか」
太一が手を差し出したので、良太郎は持参した紙袋から保冷バッグを取り出した。
「おっ、冷やしてきたのか。気がきくねえ」
【儂が指図したのだ。せっかく冷蔵庫に入れてあったものだからな】
「へえ。セイさん、文明の利器に馴染んでるねえ」
3人はそれぞれに、まずペットボトルのキャップを外し、水ようかんのふたを取ってから「いただきます」と手を合わせた。見つめる3匹が重々しく頷いてから、付属の小さなプラスチック製スプーンを手にする。
「彼女、ここに戻ってきますかね」
ひとすくいに容器の半分くらいを食べてから、良太郎が誰にともなく言った。
「そりゃ、帰ってこないと鍵はどうするんだよ。クーラーだって点いてるし」
太一は、はああとため息をついて続けた。
「遺言ってことは、陽一郎め、こうなることを予想してたのかね。でもなあ。このままアケさんのことも見えないんじゃ、どうする?」
【1人分のお役が減ると思ってはいないだろうな?/3人で南も見てくれなきゃ】
「そりゃ無理だ」
「無理ですねえ」
「無理だよ、クロさん」
3人とも口々に言う。
そこへ、荒々しく戸を開けて月世が戻ってきた。
「おう、お袋さんは大丈夫か」
「皆さん、何をしたんですか?」
腰に手を当てて男たちの前に立ちはだかった彼女の顔には、静かな怒りが燃えている。太一はそれに気付かないふりをした。
「俺たちのこと、聞いてみたかい?」
「聞きました。月一の集まりって何なのって訊いたら、歴史愛好会って答えたのは想定内です。色のついた苗字の人たちがって言おうとしたら、どうしても、色のついた苗字って言えないんです。そのうちに、今何を言おうとしてたっけってわけがわからなくなって。お茶でも淹れようって台所に立ったら思い出して、いざ戻ったら忘れてて。そんなことの繰り返し。おかしいでしょう!」
「あー、そういう感じかあ」
思わず呟いた良太郎は、ぎろりと睨まれてハッと口を押さえた。
月世の頭の後ろを飛び回っているアケは、しかし嬉しそうだった。
【
「ああ。それはそうだろうな。あとはどうやって遺言を受け取るか、だが」
「遺言ですって?!」
太一の言葉に、月世が激しく反応した。
「そういえば、さっきも叫んでましたよね? 父の遺言があるんですか? どうしてそれを知っているんですか?!」
「いや、内容を知ってはいないんだが。あるってことを知ってるだけでな」
勢いにたじろいだ太一は、助けを求めるように賢介を見た。彼の視線をたどった月世は、ずいっと賢介の前に出た。
「白井さん、でしたっけ。父の遺言なら、私や母に聞く権利がありますよね」
「君だけに向けたものだけど、権利、うん、そうだね。君にはあるよ」
「じゃあ、早く教えてくだい。どこにあるんですか」
「うん。そこに」
賢介はすっと宙を指した。その指先から壁へと視線を動かした月世は、貼られた品書きの1枚に飛びつこうとした。
「いやいや、そうじゃないんだ。遺言は紙に書かれたものじゃないそうだ」
「どういうことですか?!」
急に振り返った月世は、少しよろけて壁に手をついた。
「君も聞いているはずだよ。アケさんのことを」
「アケさん? そういえば、さっきもその人の名前を」
「人じゃない」
「はあ?」
月世はよほど驚いたのか、ポカンと口を開いて動きを止めた。そのまま全員がなんとなく息をひそめて、数秒がたった。
「知っている? 私が? アケさんを?」
「お父さんが話しただろう? アケさんのこと、僕らのこと、この集まりのこと。君はどうして忘れているのかな?」
賢介はじっと月世の目を見た。
彼女は目を逸さなかったが、己の意思に反して逸せないかのようだった。そうであると証明するかのように、額に玉の汗が浮かぶ。
そのうちに、彼女の口が「あ」という形に開いた。何か言いたげだが、言葉は出ない。
4人の間に緊張が満ちたとき、それを打ち破るように、着信音がまた鳴り響いた。
金縛りが解けたかのように操作した月世のスマートフォンから、再びおばの声が漏れ出た。
(たびたびごめんね。陽ちゃんの免許証ってどこにあるの?)
「うん、わかるけど説明しにくいから、すぐ行く」
見る間にしゅんと萎れた彼女に集まった視線には、労りが込められている。それを感じとったのか、彼女は小さく会釈して出ていった。
「何か思い出したみたいですね。これでやっと話が進むかな」
「それはどうだか」
「え?」
ほっと脱力した良太郎に向ける太一の表情は曇っていたし、賢介もゆるゆると首を横に振った。
「彼女が何を思い出したのかもだけど、そもそも遺言もだ。陽ちゃんが、そこまでの説得力のある言葉を残したとは思えないな」
「それそれ、そこだよ」
「え、2人ともひどくないっすか。大将に失礼じゃないすか」
「いや、主に月世さんの問題だと思う。あれほど信じられないっていうには、何か理由があるはずだ」
「信じられない理由ってなんですか?」
「さあね」
「千年以上続いてきたお役ですよ? アケさんやみんなのことが見えさえすれば、いやでも信じざるを得ないっていうのに」
良太郎は両腕を広げる。
「信じられない理由か。じゃ、信じる理由は? 見えるから? 見えなかったらどうだろう」
賢介が、授業中であるかのように問いを投げかける。
「見えなかったらって、見えてるもん、どうしようもないっすよ」
「想像してごらん。代替わりのとき、見えなかったらどうしたか」
「ああ、それは……」
良太郎は腕を組んでぎゅっと目を瞑り、うーんと唸った。
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