第5話 見えないだけではなく

 今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えている月世と、いかにも心外だとむくれている太一、こぶしを握りしめた二人の間には緊迫感が漂っていた。

 

「太一さん、いろいろと、ね。彼女は普段の心持ちじゃないでしょうから」

 

 双方になだめるような仕草を見せながら、賢介が腰を浮かせた。

 

「ともかく皆さん。代替わりしても皆さんが見えなかった人は、過去にいましたか?」

 

 賢介は、雀から猫と亀、カナヘビへと視線を移しながら訊いた。彼らは彼らで視線を交わした。

 

【いなかったな?】

【いなかったろう/いたら覚えてるよお】

【でもさ、見えてもすぐには受け入れられないってヒトはいたわね】

 

【陽一郎は何を教えてきたんだ】

 

 猫と亀、雀の思い出を手繰り寄せるそぶりと違って、カナヘビは尖った物言いをした。

 

【おぬしら、そこのところを娘に問いただすが良かろう】

「まあ、そうなんだろうけどよ」

 

 太一は一同を見回して、やれやれと首を振った。賢介と良太郎も困ったように目を泳がせる。

 

【アケよ、おぬしも側で見ていただろう。どうだったのだ、陽一郎は何と教えていた?】

【始めるのはちょっと遅かったかもしれないけど、ちゃんと話はしてたわよ。聞かされた方が信じてるかどうか、お腹の中まで見えてるわけじゃないけど、辛抱強く教えてたし】

【辛抱強くとは何だ。儂は、陽一郎が急に渡って行ってから言い始めたわけではないぞ? ずっと言うてやったではないか。なにより覚悟を決めさせろと】

【だから、さっきから言ってるでしょ。陽一郎はできる限りのことはしたのよ。でも、書き残したものがあるんだってば。あれを読んだらこの子だってわかるはずなのよ】

【それがそもそもの間違いだと言っておろうが。我らのことは文書もんじょを残さず口伝くでんに限る、そういう決まりではないか】

【そういうことじゃないってば、書いてあるのは! 何かは知らないけど!】

 

「まあまあお二方とも。アケさんは、陽一郎さんから書面の存在を明かされていたんですね?」


 賢介が穏やかに割って入った。

 

【そうよ! 万が一の時には、これを読ませてやってくれって言ってたの! あたしはちゃんと言ったのよ、文書にしちゃ駄目だって。そしたら笑って、そんなんじゃないって言ったの】

「じゃあ、ともかくそれを見つけるのが一番ですね。何に書かれているんですか? 覚えていますよね?」

【もちろん。黒い帳面よ。でも、覚えてた場所にないのよ、肝心の帳面が】

「黒い帳面ですか」

 

「わっ、私の目の前で、変なお芝居するの、止めてもらえます? 書面、帳面って何?! そもそもアケって誰?!」

 

 いきなり月世が爆発した。

 

【気弱かと思えば、まあ】

【やわやわした子じゃないわよ、実のところ】

 

 カナヘビと雀のやりとりに、人間たちも頷く。

 そのとき、ブーッブーッと振動音が響いた。

 

「あ」

 

 カウンターに飛んで行った月世が、置いてあったスマートフォンを掴む。

 

「おばちゃん、どうしたの?」

(月世ちゃん、お客さんたち、まだいるの?)

「うん」

(ちょっと、いっぺん帰って来れない? まさちゃんが騒ぎ出しちゃって)

 

 拡声されているわけでもなさそうだが、電話越しでも相手の大きな声は男たちにもよく聞こえた。

 

「え、うん」

 

 振り返った月世に、3人とも行けと仕草で示した。

 

「わかった。ともかくすぐ帰るね。よろしくね」

 

 電話を切ってすぐ戸口に向かう彼女は、母への心配で帳面の件を忘れたらしい。

 

「自宅、すぐそこですし、顔を見せて落ち着かせてきます」

「大丈夫なのか。その、お袋さんだろう」

「私の顔を見れば安心すると思いますから」

 

 太一と月世のやりとりに、他の2人も痛ましそうな顔をした。

 そわそわと足踏みをしていた月世は、もうシャッターをくぐろうと背を屈めている。

 

「じゃ、ちょっと行ってきます」

「帰ったら、お袋さんに俺らのことを聞くと良い」

「そうしますっ!」

 

 彼女は声だけ残して行った。ついでに雀も【じゃ!】と後について行った。

 

「いいんですか」

しゅが効いてるかどうか、確かめる良い機会だろ」

「は?」

「お役に関すること、無関係な人とは会話が成立しないんだ。知らなかったのかい?」

 

 太一の言葉にぽかんとしている良太郎に、賢介が教えた。

 

「僕もそうだった。前に話しただろう、母とのやりとりのこと」

 

 良太郎は「あっちゃー」と声に出して、自分の顔をぺちんと叩いた。

 

「用意周到ですね。それにしても、おかみさん、大丈夫っすかね?」

「心の準備もない、急なことだったからなあ。陽一郎本人は、ずいぶん淡々としてたみたいだが」

【淡々とと言っても、しょうがなかろう/心を残してどうなるもんでもないからね】

「クロさんも淡々としてるよ。アケさんはずいぶん気を揉んでるみたいなのに」

 

 太一と亀の会話に割り込んだ良太郎は、カナヘビに睨まれて肩をすくめた。

 

【アケもアケだ。陽一郎の教えが足りぬのならば、諭すのがあれの勤めだろう】

「まだ若いよ。これからって考えたとしても」

【ヒトは脆い。ヒトの一生なぞ、瞬きをしている間に終わってしまうわ。儂らがどれだけの代替わりを見てきたと思うておるのか】

 

 言葉に詰まった良太郎はうなだれる。

 

「弱い人間の一人ひとりとして言えば、奥さんもだけど、この先は月世さんも気がかりです。今は相当気も張っているようですからね」

【張りすぎた糸は切れやすい。そう言いたいんだな、賢介】

 

 猫は青い瞳で、店内にしまわれているのれんを見やった。[小料理 まさ]と染め抜かれたのれんを。

 

【それにしても、南が手薄になるのは困るな/ここんとこ、港の方が騒がしいよお】

【連中には雀の力が欠かせんぞ】

「港ねえ。蟻やら毛虫やら、よくまあ次々に出てくるもんだ」

【む。外国とつくにからの連中か】

 

 亀とカナヘビ、そして太一の会話に、良太郎が身を乗り出した。

 

「害虫の駆除は、俺らが関わらなくてもちゃんとやってもらえるでしょう?」

「役所が、そのくらいやるだろう。なんせ、現実の人間にも害があるんだからよ。俺らは他人様が手を出さない部分だけ、見てりゃいいんだ」

 

 太一は小鼻を膨らませて腕を組んだ。

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