第二十一話 サンドレイルの戦い(下)  アクロード視点

 敵軍は砲撃を行いつつゆっくりと迫って来た。こちらも砲兵を前進させ、歩兵を行進させる。騎兵は対抗する敵の騎兵を見ながら突撃の機会を伺う。ある程度両軍が接近したところで、今度は歩兵が砲兵より前に出る。砲兵は左右に退いて歩兵の援護に当たるのだ。


 この盆地はそれほど起伏も無く、敵軍の動きがよく見える。太鼓の音に合わせて両軍の歩兵の方陣が段々と接近して行く。そして距離が二百メートルくらいになって、歩兵指揮官が号令を出す。


「構え!」


 事前に装填されていたマスケット銃を兵士達が構える。


「撃て!」


 号令一下、兵士達が銃を敵に向けて発射した。同じ頃に敵軍も射撃を行う。


「装填!」


 指揮官の命令で兵士達が一斉に銃に装填を行う。銃口を掃除し、火薬と弾丸を入れて棒で押し込む。


「前進!」


 そして号令と共に前進し、十メートル進んだところで再び号令と同時に射撃を行うのだ。


 マスケット銃の命中精度は距離百メートルで目標に半分当たれば良い方、という位なので、お互いの弾が当たり出すくらいまではこのようにして前進を続ける。更に距離が極限にまで近付いた段階で「着剣!」の号令で銃剣を銃の先に着け、敵に向かって突撃するのである。


 ただ、今回は敵の数が多い。敵の方陣は横に大きく広がってこちらを包囲しようと圧迫してくる。そうはさせじとこちらは優勢な砲兵が砲撃するのだが、砲兵が前進しようとすると敵の騎兵が威嚇してくるのだ。どうやら敵は数的に優勢な歩兵でこちらを圧迫し、圧倒させる方針らしい。


 我が軍の後方の、帝都のある帝国中央部に抜ける峠を抑えるのが敵の目的だろう。ここを抑えて帝国侵攻の橋頭堡を築き、追加の軍勢をドンドン送って帝国の領土を侵食する。そんな事をされたらたまらない。私とエクリシアの結婚式は延期になってしまうだろう。


 勿論、私はエクリシアと夏に予定通りの結婚式をするつもりである。


 私は騎兵部隊を率いながら歩兵部隊の戦いを見守る。騎兵部隊は歩兵部隊よりも強力な兵種で、騎兵部隊の打撃力は戦いにおいて重要な意味を持つ。今回は騎兵の数は同等だった。兵力差からいうと意外だが、これには馬での峠越えが難しかったという事情はあるだろうが、やはり馬の稼働率の差という理由があったのだと思う。強力な打撃力を持つ騎兵の数は同等、質は上回っているだろうというのは好材料だった。


 歩兵部隊の戦いはこちらが押されていた。兵数の違いは銃口の数の違いであり、命中の確立が同じならば銃口の数が即ち命中数の差になるわけである。こちらの歩兵には距離が交戦距離が百メートルに達する前に被害が出始めていた。私は右翼の騎兵を率いて戦場を迂回して歩兵の横から突入する態勢を模索してみた。しかし、これに対抗して敵の騎兵も動く。


 私が敵の歩兵に突入した所で、敵の騎兵が背後から襲ってきたり、我が軍の歩兵に攻撃を仕掛けてきたら大変だ。敵の騎兵の牽制がある以上、私の率いる騎兵は動きが取れない。騎兵が動けない間に敵は歩兵を押し込んで我が軍の歩兵を壊滅させ、戦場を突破する方針なのだろう。


 ふむ。大体予想通りだな。


 私はある意味安心した。戦力差を生かした力押しで、何の工夫も無い。これならば十分に私の手の内である。


 敵の歩兵は数の暴力で、圧倒的な迫力で迫って来ていた。敵の距離はもうすぐ百メートル。命中率が五割程度になる距離で、この辺りから歩兵部隊は動かずに、相手が崩れるまで撃ち合いになる事が多い。


 頃合いだ。私は合図を命じた。通信兵がラッパを高らかに鳴らす。すると、我が軍の歩兵部隊の通信兵が一定のリズムで太鼓を鳴らし始めた。後退の合図である。


 すると、帝国の歩兵部隊の方陣が前方を向いたまま、ゆっくりと後退を始めた。装填と射撃を繰り返しながらだ。実は、この歩兵部隊の機動は、かなり難易度の高い行動である。


 歩兵の兵士はほとんどが徴用兵である。各領主が領地からお金か、何らかの方法で徴募して集めた兵士だ。大体が農家の次男三男以下の出世を夢見るような男が多いらしい。後は食い詰め者や借金があるなどの事情がある連中。兎に角彼らは兵士としての訓練をほとんど積んでいない者達である。


 こういうニワカ兵士は、徴募の段階では銃の使い方と「装填」「撃て」「前進」の合図だけを教えられる。基本的にはそれしか教わらない状態で戦場に連れて来られるのだ。これ以上の事を訓練する時間が無いのと、それさえ分かっていれば戦争は出来るという理由による。難しい行動を必要とする中核部隊の歩兵は訓練を積んだ専門の兵士だが、それだけでは数が少なくて戦争は出来ないのだ。


 なので、普通はそういう兵士には後退を指令することは無いから教えないのだ。そもそも戦場において、整然と後退するというのは訓練を積んだ兵士であってもかなり難しい。


 考えてもみるが良い。前方から鉄砲弾が飛んでくるのは誰だって怖い。しかし、その恐怖は前に進む時にはかなり誤魔化される。人間誰しも他の皆と前に進んでいる時には勇気が出るものだ。


 しかし、これが後退するとなると、気持ちを保つのが途端に難しくなる。恐怖が湧いてきてしまう。早く後退したくなってしまう。怖れが脚を早め、隊列を乱し、遂には我先な逃走になり、部隊が壊走してしまうのだ。


 この難しさがある故に、徴用兵の部隊には後退の指令が教えられないのだ。


 しかし、今回は我が軍には時間的にも補給的にも余裕があった事もあり、私は麾下の歩兵に訓練を施す事が出来た。徴用兵に太鼓やラッパの合図による前進後進、陣形変更の訓練をする事が出来たのである。兵士達は宿営地の環境や補給に満足していたこともあり、訓練に真剣に参加してくれた。これがギリギリの補給状況だった場合は、兵士達は動いてくれなかっただろう。


 そして、実戦で訓練は生きた。我が軍の歩兵は整然と隊列を保ち、射撃を続けながらゆっくりと後進する事が出来たのである。これにより、敵軍は我が軍の後退に気が付かず、ドンドンと前進してしまった。しかし、左右からは砲兵が砲撃を加えているし、我が軍の騎兵も控えているので、中央の部隊だけが吸い出されるようにして前進することになる。我が軍の歩兵は下がりながら陣形を変更し、盆地の後方にある谷間の道に入って行く。敵の司令官からすれば、我が軍は盆地から逃れて後方に撤退する事にした、ように見えたかも知れない。


 しかし私は騎兵は下げず、砲兵も下げなかったので、敵は不自然に中央の歩兵だけが突出してしまう事になった。ここで私が騎兵をその側面に突入させるのでは? と考えた敵の司令官は敵の騎兵部隊に前進を命じた。敵の優勢は明らかだったので、騎兵同士の決戦で勝敗を付けようとしたのかも知れない。


 しかし、私の作戦はもうこの時にはほとんど完成されていたのだった。


 私は合図を送る。すると通信兵が今度は合図の烽火を打ち上げた。ピンク色の煙を放つ烽火が火薬で空高く打ち上がる。これは広い戦場の敵味方から見えただろう。


 次の瞬間、敵軍の中央で砲撃が炸裂した。敵軍の中で狼狽の叫びが上がる。砲弾は二発三発、遂には雨のような勢いで降り注ぎ始めた。敵は大混乱になる。我が軍の砲兵は盆地後方の出口近くにいるが、砲弾はそこからでは届かない位置に降り注いでいるのだ。敵は何が起こっているのか分からなかった事だろう。


 種明かしをすれば、砲弾は山の上から放たれていたのだ。盆地後方の山の上。ここに会戦が始まる前から三十門以上の大砲が据え付けてあったのである。


 これらの山はそれほど高い山では無かったが、広葉樹で覆われ傾斜もそれなりに急だったので、大砲を設置するのは中々大変だった。しかし、我が軍には元気な馬たちと人員がいた。麓からつづら折りの林道を造成して、馬に引かせて山上に大砲を運んだのである。高所からなら大砲はかなり遠くまで砲弾を届かせる事が出来る。


 ちなみに、この大砲設置は、今後この盆地の出口を要塞化する為の一環として行ったので、もしも敵軍がここに来なくても無駄にはならなかった。フローバル王国を警戒する意味で、今後はこの盆地の出口に砦を築く予定である。


 意外なところからの砲撃に、敵歩兵は大混乱になった。隊列を乱し後退する。そしてそこへ、帝国の歩兵が殺到した。


 銃撃では無く、既に着剣した銃剣による白兵戦を挑んだのである。砲撃に気を取られたフローバル王国軍はこの攻撃に気が付かず、一撃は痛撃となった。帝国軍は敵軍を圧倒し、押し込み、敵の歩兵は壊走を始めた。我が軍の後退と違って逃げ出したのだ。


 好機だ!


 私は剣を振り上げて麾下の騎兵に命じた。


「今ぞ! 敵は崩れた! 帝国の誇りを見せるべし! 女神様は我らを護りたもう! 突撃」


 私の号令と共に突撃ラッパが鳴り響く。私はガーナモントの馬腹を蹴り、彼を駆けさせた。敵の騎兵の方へだ。


 敵の騎兵は歩兵の壊走に動揺して隊列を乱していた。こちらへの警戒も薄れていたのだろう。我が騎兵の突撃に一瞬反応が遅れた。その隙に我が軍は一気に接近した。射撃騎兵が一斉に騎乗銃を放つ。私は銃は持たず、馬の背中に身体を伏せたまま、一気に敵中に飛び込んだ。流石にガーナモント。速い。


 剣は抜いていたが、軽く斬りつけただけで私とその直属の騎兵集団は敵の騎兵を一気に突破した。そしてそのまま敵の歩兵の中に躍り込む。帝国の歩兵から逃げていた敵の歩兵は騎兵の横撃を受けて更に大混乱になる。私はそのまま敵の歩兵を突っ切り戦場を横断し、今度は敵の右翼にいた騎兵隊に向けて襲い掛かった。


 この時、敵の騎兵は我が軍の左翼騎兵と交戦中だった。その後ろから戦場を横断した私の騎兵部隊が突然襲撃したのだ。私はあっという間に後ろから接近して三騎を斬り落とし、更に突入した。ガーナモントは恐れること無く私の指示に従って敵中に飛び込み、歩兵を跳ね飛ばし、敵の馬を押しのけた。


 敵騎兵の中に一際華麗な軍服の男がいた。口元に立派な髭を生やしている。私はガーナモントを駆って一気にその男に迫った。


「ワックウェル将軍とお見受けする!」


 私が呼ばわると、その男は驚いた様にこちらを見た。茶色の瞳が驚愕に揺れている。私は剣を突き付けて更に叫んだ。


「我こそはフェバステイン公爵家次期当主! アクロードなるぞ! 降伏するか! さもなくば私の凱旋式と結婚式の生け贄になってもらおうか!」


 私の挑発に、ワックウェルは流石に怒った。彼も剣を抜いてこちらを怒鳴り付ける。


「だまれ小童! 貴様に降伏などするものか! 逆に我が剣の錆にしてくれん!」


 そして、彼の護衛の三騎と共に私に向き直った。


「掛かれ!」


 ワックウェイを含めて四騎が私に向かってくるが、動きが鈍い。馬が随分と疲れているようだ。そもそもあまり良い馬でも無い。


「やはりエクリシアは正しかったな。流石は私の婚約者だ」


 私は呟くとガーナモントを促す。するとガーナモントは流石の瞬発力で一気に敵に迫った。あまりの速度に対応しきれないワックウェイの護衛騎士を私は一刀で一人二刀で二人と斬り捨てる。唖然とするワックウェイに私はガーナモントと共に躍り掛かった。


「馬の差が軍隊の強さだぞワックウェイ! 馬を大事にしなかったから貴様は負けたのだ!」


 私は叫ぶと同時に、一気にワックウェイを馬上から斬り落とした。


「敵将! ワックウェイを討ち取ったぞ!」


 私が叫ぶと味方からは歓声が、敵軍からは悲鳴が聞こえた。


 ワックウェイ将軍を含む司令部を壊滅させられたフローバル王国軍は壊滅状態になった。歩兵はこちらの攻撃を背に受けつつ峠に逃げ戻っている。敵の騎兵は馬を捨て、砲兵は大砲を放置して、走って峠を駆け上っていた。かなりの兵士が武器を捨てて降伏して捕虜になっているようだった。


 敗走する敵軍を見ながら、私は叫んだ。


「よし! 歩兵はそのまま追撃して残敵を掃討せよ! 騎兵は全軍集結の上、騎士団長達の軍の援軍に向かうぞ!」


 足止めを食っている味方の軍を救援しておかないと、フローバル王国から追加の軍勢がやってきた時に対応しきれなくなるかも知れない。私は騎兵を集めると、救援のために低い峠道をガーナモントを駆けさせた。


「もう少し頑張るのだぞガーナモント。これが終わったら帝都で其方はクラーリア、私はエクリシアと結ばれるのだ!」


 ガーナモントは当たり前だと言うようにブルンと唸ると、上り坂だというのにグイグイと加速したのだった。


  ◇◇◇


 こうして帝国軍とフローバル王国の戦い。主戦場の盆地近くの町の名前を取って「サンドレイルの戦い」と呼ばれる戦いは、帝国軍の大勝利に終わった。


 フローバル王国軍は二千の戦死者と一万余の捕虜、そして多くの馬と大砲を残して撤退していった。主将であり対帝国強硬派だったワックウェイ将軍を失った事もあり、これ以降フローバル王国が帝国に侵攻してくる事は当分無いだろう。


 後日の話では和平交渉が帝国とフローバル王国の間で行われ、領地の割譲と巨額の賠償金、そして捕虜の身代金で決着が付いたそうだ。賠償金に関しては兵士達への褒賞や軍資金を供出してくれた貴族への返済及び褒賞、物資の買い取り費用に充てられる関係上途方も無い額になるため、恐らくフローバル王国は払い切れないだろうとの事。


 これの代わりにフロイーバル王国の保有する馬を大量に引き取り、各貴族にお金の代わりに配る事になるだろう。北の王国や南の砂漠の国から輸入された名馬ならかなり高額に査定されるだろうから、喜ぶ貴族も多いだろう。馬以外にも大砲や船や武器弾薬を金の代わりに収めさせ、それでも足りなければ更なる領土割譲を要求することになる。


 ちなみに戦場に残された敵の馬は、戦勝将軍の特権で全て私が頂いた。ただ、普通なら敵の馬を捕まえて、それを帝都まで連れて行くのは大事なので、少しだけ戦利品として捕らえて後は放置することが多い(放置した馬はそのまま野良馬かするか、近くの村や町の住民が捕まえて自分の物にすることが多い)。


 ところが今回は、馬大臣の差し向けた牧夫部隊が戦場を駆け巡り、数百頭に及ぶ馬を全て回収して後方へと引いていった。なんとも手回しの良いことだ。エクリシアはこれを治療、育成した後に、公爵家の資産として販売して公爵家負担の戦費の圧縮に大いに貢献したそうだ。


 私は軍を率いて峠を登ってフローバル王国に侵入し、そこに築かれていた軍事基地を二度と使われないように徹底的に破壊して物資はぶん取った。そして宿営地の後始末を済ませてから会戦の半月後、私は帝都に帰還した。

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