第二十話 サンドレイルの戦い(上)  アクロード視点

 戦地に出向いて半月ほど経った頃から、帝都の軍本部からの、馬に関する通達が妙に増えた。


 部下のザイアンが困惑したように言った。


「なんですかこれは。随分馬を大事にするお偉方がいるようですね。馬が病気や怪我をしたら後送しろと書いてある」


 その通達書類を見ると、案の定、エクリシア・フェバステインのサインが入っていた。私は苦笑する。事前に私に話してくれた、軍馬に関わる施策を本当に実行に移したとみえる。しかも名前の前に「馬大臣」と書いてあった。なんとエクリシアは大臣の位を得てしまったらしい。


 どのような魔法を使ったものか。女性の大臣など前代未聞だが、大臣で皇族のエクリシアのやる事は誰にも止められまい。そして彼女の考えることは常に馬優先だ。周囲の困惑が目に浮かぶようだが、もちろん私も彼女のやることを止める気はない。私はザイアンに申し渡した。


「馬大臣からの通達は必ず実行せよ。実行せぬ者は軍令に基いて裁くからな」


 ザイアンは不審げな顔をしていたけれど、私がこう言うと納得顔になった。


「馬大臣は私の婚約者だからな」


 私がエクリシアの側にいるために、それまで一日の休暇も取らずに精勤していたものを、彼女にかまけてすっかり軍務を放り出すようになってしまった事を知っているザイアンは無言で敬礼した。


 今回の戦争はかなり大規模で、帝国軍は二万ずつ三軍に分かれて計六万。対抗するフローバル王国軍は報告が正しければ四万だった。我が軍の方が多勢だが、フローバル王国軍がどこで国境を越えてくるかがまだ分からないせいで分散を余儀なくされている我が軍は戦力の集中が出来ていない。


 場合によってはしばらく二万の軍勢で敵の全軍を受け止めなければならないのだ。戦力差は額面通りには機能しないかもしれない。


 敵の突破を許せば、敵軍はそのまま帝都にまで攻め上がるかもしれない。諜報部門からの報告では、フローバル王国が有利になったら勝ち馬に乗って我が帝国に攻め込もうと企んでいる国もあるらしい。そうならないようにフローバル王国軍を国境付近で撃ち破り、追い返す必要がある。


 そのために我が軍は敵の侵攻を察知してすぐに大軍勢を東の国境に差し向けたのだった。東の国境地帯は険しい山岳地帯だが、何本か峠道が通っている。そのどこから敵が超えてくるかが分からないため、軍を分けて主要な峠の出口に陣を張っているのだった。


 それから既に一ヶ月。敵はまだ国境を侵してくる様子はなかった。宣戦布告が為され、敵軍が王都を進発したことは分かっているので戦争が起こらないという事は無い筈だが。どうやら敵は自国内に陣営を張り、こちらの動きを探っているらしい。小規模な部隊が峠に出没して、こちらの事を偵察しているようだ。


 先年から増えていた小競り合いも偵察の一環だったのだろうと思う。こちらからも偵察部隊を出して相手の動きを探るのだが、なにしろ山岳地帯なのでこれがなかなか思うようにいかない。


 当初、帝国軍としては短期決戦を目論んでいたのだが。敵の停滞によって計算が狂いつつあった。軍隊というのは生産性が全くない組織である、ただただ物資を消費する六万人もの集団が存在するというのは。いわば無駄飯食い都市を丸抱えしているのに等しい。


 短期間なら兵は焚き火のみの野営にも耐えるが。一ヶ月以上となるときちんとした宿営地を造営する必要がある。炊事洗濯、風呂や排泄も大問題だ。劣悪な状況に置かれると兵士は実力が出せないし、下手をすると反乱を起こしたり逃亡してしまったりする。兵士の生活環境を整備することは、指揮官の重大な責務だった。


 そして六万の人間だけでなく数千頭の馬についても考えなければならないのだ。馬だって餌を食うし寝床も必要だ。馬ならではの問題として削蹄やブラッシングの問題もある。自分で考えて動けない分、馬の方が厄介な面も多い。


 しかしこれまで、指揮官はどうしても人間の兵士の方を優先して馬の管理を二の次三の次にする傾向があった。それは仕方の無い面があって。それは兵士と馬とが同様に苦境に立たされていたなら、指揮官はどうしても人間の兵士を優先する。


 しかしここに、馬と人との選択を迫られた時に、迷わず馬の事を優先する者がいた。我が婚約者様は人間の兵士よりも馬の方が大事だと堂々と言うだろう。その彼女が皇族となり、なんと臨時大臣になり、公権力を振るって馬を大事に扱うように全軍に命じ始めたのだ。


 当初は皆戸惑った。不満を言う者もいたが、私は勿論エクリシアの味方だったので、麾下の者たちは渋々ながらも通達に従うようになっていった。


 しかし、効果はすぐに現れた。明らかに馬の稼働率が上がってきたのだ。


 これまでは、馬は疲れたり怪我をしたり病気になったりすれば宿営地で休ませるしかなく、その劣悪な環境での休養が逆に仇となって、そのまま死んでしまう馬も多かった。


 ところが、今回は馬大臣の通達により、そのような馬は後方に送り返す事になっていた。余計な手間が掛かると皆文句を言っていたのだが、半分諦めていたような重症の馬が、意外な速さで完全に回復して送り返されてくるのを見ては瞠目するしかなかった。


 馬が動けなくなれば、または死んでしまえば馬がどんどん足りなくなる。馬が足りなければ重量物を人間が運ばなければならず、重い荷物を担いで行軍しなければならない事になる。それが馬の稼働率が上がったことで激減したのだ。


 それだけでなく、輸送部隊の馬が元気になることによって、人間の糧食補給もスムーズになった。これは兵士の士気を保つためには非常に重要な事である。要求した資材がすぐ届く事で、宿営地の設備を充実させる事が出来るようにもなった。


 他にはエクリシアが馬たちに配布した餌袋だ。これは馬の口に麻袋を被せ、袋の中に馬の一回分の飼料を入れるものなのだが、これのおかげで馬の飼料が大きく節約出来るようになったのだ。


 これまでは大桶に飼料を入れ、馬に好き勝手に食べさせていたために無駄が多かったのだ。餌袋なら一回一頭分を入れてやれば無駄が出ない。それに、餌袋にあらかじめ入れておく事が出来るので準備時間の短縮にもなる。作戦行動を控えて待機中の馬にも容易に給餌出来ようになった。良いことしかない。


 最初はいちいち馬の口に袋を被せるのが面倒だと文句を言っていた者たちも、最終的には大絶賛となった。エクリシアの馬優先主義が結局は人間の利益にもなったのである。


 十分な補給を受ける事が出来るようになった帝国軍はどっしりと構える事が出来るようになった。長期戦を恐れる必要が無いというのは軍隊行動に余裕を与える。


 私は敵が来ない内に兵士たちの訓練を行った。徴募したばかりの兵士達は言わば素人である。このままでは戦列歩兵としてただ前進させる事しか出来ない。指示のラッパや太鼓の音で指揮官が操れるようになって初めて素人同然の兵士達は「軍隊」となるのだ。


 兵士達に訓練をさせるには彼等に十分な食事と待遇を与えなければならない。そうでなければ兵士達は厳しい訓練に不平不満を漏らしただろう。エクリシアの施策で補給が充実したからこそ、私は兵士達に十分な訓練を施す事が出来て、その後の軍事行動に不安がなくなったのである。


  ◇◇◇


 フローバル王国は随分前から帝国への侵攻を目指して国境に前進基地を築いていたようだ。そこに物資を溜め込んで長期戦に耐える状況を構築したのである。一方、帝国軍は国境に基地こそあったものの、六万もの大軍を長期間維持する程の物資はなかった。つまり、長期戦になればフローバル王国軍の方が有利な筈だったのだ。


 しかし、急遽迎撃に出てきた筈の帝国軍が補給を整え、あっさり長期戦の体制を整えてしまった事は予想外だったのだろう。しきりに小出しに部隊を送り込んできて、こちらを誘うような行動をするようになった。


 しかしこちらが挑発に応じないと、敵には焦りが見えるようになった。我が軍もそうだが、山岳地帯に宿営地を築いた場合、食料の現地調達はほとんど不可能である。補給部隊よる輸送に全てが掛かってくる事になるが、帝国軍は輸送部隊の馬の稼働率が上がった事でここに不安が無くなった。


 しかし敵軍は馬の稼働率が段々落ちて、補給が滞りがちになっているようだった。これには山岳地帯は早春の今はまだ満足な草が生えておらず、馬の餌を現地調達していた場合、到底馬の餌が足りないという事が関係していると思われる。我が軍も当初の予定では現地で草を食わせる予定になっていたので危ないところだったのだが、ここでもエクリシアの馬優先が我が軍を救ったのだった。


 補給が満足に届かなくなった軍隊には余裕が失われる。偵察部隊の報告ではフローバル王国軍は大きく軍を動かしているようだった。ついに決戦に打って出ようと言うのだろう。本来であれば短期決戦体制の帝国軍を長期戦に引き込んで疲弊させ、焦ったこちらを山間部に誘い込むつもりが、逆になったわけである。


「我が軍の馬に比べて、敵の馬は痩せているとの報告がありました」


 さもありなん。我が軍の馬には実に潤沢に飼料が与えられ、定期的に休養のため後方に戻されるものだから毛艶も良い。兵士たちからは「馬には休暇があるのに我々には無いのか!」という不満が出ているそうだ。


 帝国軍では馬の方が大事にされているなどと言われては困るので。私は兵士への補給にも気を配った。その結果、兵士たちの士気は高く維持されていたのである。


 帝国軍は三つの主要街道が国境の峠を越えてくるポイントで待ち受けていた。どこもそこは大き目な盆地で、大軍を展開するに十分な広さを持っていた。敵が峠を越えてきたら、一軍がそれを受け止め時間を稼ぎ、その間に他の二軍が駆け付ける計画だ。しかしながら、それには駆け付ける援軍の移動速度が重要になってくる。


 その意味で馬の状態が良く、騎兵隊がすぐに低い峠を越えて駆け付けられそうだというのは好材料だった。


 しかしこの作戦は常識的過ぎて相手も承知していると思われる。そのため、相手がなんらかの奇策に打って出るのではないか、と私は考えていた。考えられるのは我が軍も知らない間道を抜けて来る作戦だが、大軍が通過できる様な峠道は無いと私の部下たちは結論していた。


 結局、相手の動きに対応するしかないという事になり、私は頻繁に偵察部隊を出して敵の状況の把握に努めていた。


  ◇◇◇


 敵が動き始めたという情報は、私が戦地に入ってから丁度二ヶ月目に入ってきた。恐らくは主攻撃方面は私の率いる部隊が待ち受ける峠だろうとの事。


 私はすぐさま伝令を出し、離れた場所にいる二つの軍に情報を伝える。二軍を率いるのは騎士団長と私と同格の副団長である。二人とも熟練の指揮官なのですぐに駆け付けてくれるだろう。


 私は砲兵部隊と歩兵部隊を宿営地から出して前進させ、峠の出口に待ち受けさせた。峠道は狭く、大軍をすぐに展開することは出来ない。出口で待ち受ければ相当数の優位を殺す事が出来るだろう。


 我が軍の展開が終わると同時くらいに、峠を敵軍が越えた。下り坂を一列になって進んでくる。私は後方に待機させた騎兵隊の先頭で、ガーナモントの鞍上で敵が峠を下って来るのを観察していた。


 そして、私が砲兵部隊に攻撃開始を伝えようとした、その時、突然我が軍の前に砲弾が炸裂した。


「ちっ!」


 私は思わず舌打ちしてしまう。先手を取られた。敵は峠道の途中に大砲を据えつけて、眼下の我が軍に向けて撃って来ているのだ。通常ではあり得ない様な砲の使い方だが、フローバル王国軍この峠での戦いがある事を予測して、このような大砲の使い方を研究していたに違いない。


「歩兵を後退させよ! 砲兵は援護射撃!」


 我が軍の大砲も火を吹き、峠を抜けて突入してこようとする敵の歩兵を足止めする。その隙に私は我が軍の歩兵を後退させた。その後、砲兵も後退させ、我が軍は陣形を立て直す。その間に敵の大軍は続々と峠から溢れ出し、盆地に入り込んで陣形を整えていた。


 敵の奇策のせいでいきなり迎撃作戦の出鼻が挫かれた訳だが、私には焦りはなかった。敵に何か備えがあるのは当たり前だと思っていたからだ。むしろ敵軍が早めに山上からの砲撃という手の内を明かしてくれて助かったとさえ思っていた。これを会戦の途中でやられたら厄介な事になる所だったからだ。


 敵軍の歩兵は方陣を組んで進んでくる。その後方には騎兵。砲兵はいるが数が少ない。やはり峠道を越えて来るのが大変だったからだろう。馬が元気だったなら違ったかもしれないが。


 しかし。私は気が付いた。数が少ないな。報告では敵の数は四万以上いた筈。それが、私の目算では精々三万という所だ。残りの敵はどこへ行った?


「伝令! 伝令!」


 その時、伝令の早馬が私の所にやって来た。騎乗したままの伝令兵が叫ぶ。


「ボーバラ将軍、ゾリトルゲン将軍の軍勢がこちらへの移動途中、敵の奇襲を受けた模様!」


 騎士団長ボーバラ侯爵、副団長ゾリトルゲン伯爵の部隊は陣を畳み、ここに向かう途中で敵による待ち伏せ攻撃を受けて足止めされてしまっているらしい。私はまた舌打ちする。


 なるほど、大軍を通すほどの間道は無くとも、少数の軍勢なら通れる間道はいくつかある。本軍がここに下りて来るのに紛れて間道を抜けた部隊が、騎士団長たちの軍勢を足止めしているのだろう。その隙に本軍が私の部隊を各個撃破するつもりなのだ。


 確かにこちらよりも一万も多い軍勢がいれば戦力としては十分だ。私の軍勢を撃破して、返す剣で他の二軍も撃破する。なるほど、戦略的には間違ってはいない。我が軍が分散しているという弱点を突いた見事な作戦だ。


 クククク……。私は思わず笑ってしまう。なるほどなるほど。甘く見られたものだ。このアクロード・フェバステインをその程度の戦力で破ろうなどとは。


「不足だな。三倍くらいの敵がおらねばフローバル王国軍ごとき相手にならん」


 そう嘯いた私は指揮官たちに指示を出す。


「良いか、訓練通りにやれば大丈夫だ。フローバル王国の犬どもを生かして返すな!」


「ハッ!」


 私はそしてガーナモントの黒く逞しい首を叩く。


「よし! 行くぞ! 勝って凱旋して私も其方も嫁取りだ!」


 ガーナモントは首を上げてブヒヒン! と嘶いた。

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