第十四話 嫁取り競馬(上)

 私の提案に、アクロード様もマロンドおじ様もポカーンとしてしまった。あれ? 何ですか? その反応は。


「両家とも言い分があるのです。このままでは収拾が付かないでしょう。ですからここは、競馬のレースの勝負で決めましょう。馬の事なのですから」


 私は更にそう言ったが、アクロード様は明確に呆れ顔で、マロンドおじ様も気が抜けてしまったようなお顔だ。


「エクリシア。それではどちらが正しいか分からなくなるであろう」


 公爵閣下が諭すようにこう仰った。私は首を傾げる。


「そんなの、どちらにも言い分があるのですから、決められないでしょう? 挙げ句に決闘沙汰になったりするのであれば、レースで決めても同じ事ではありませんか」


 私の主張に全員がうーむと考え込んでしまった。公爵閣下などは苦笑している。どうも私の言葉は皆様にとっては大分常識外れ、的外れ、考えもしなかった提案だったらしい。あれ? 私そんな変な事言ったかしらね?


 ……後でアクロード様に伺ったところ、女神様の名の下、剣に賭けて自分の正しさを証明する決闘は、意見が致命的に対立してしまった場合の最終的な解決法として。ごく普通のありふれた問題解決法なのだそうだ。貴族にとって武力は正義なので、自らの力で欲しいものを手に入れる事は責められるべき事では無いのである。勿論、公正である必要があるけど。


 この時も、もう少し意見が対立したままだったら、アクロード様がマロンドおじ様に決闘を申し込むことになっただろうという。その場合、マロンドおじ様には決闘など無理なので代理人を立てる事になっただろうね。


 決闘での勝敗は女神様が認めた絶対的なものになるので、それで命を落としても文句は言えず、そして勝敗で決まった事は絶対に覆せない神聖なものになるのだ。それを私は神聖な決闘と馬のかけっこを同列に並べてしまったのだから、それは皆様が呆れたのも無理は無いのである。


 しかし、私の主張を聞いて皇帝陛下が頷いた。


「ふむ、そうだな。決闘では代理人を立てる場合もあるではないか。それなら代理が馬でも問題無いのではないか?」


 公爵閣下が呆れたように言う。


「馬に我が家の命運を賭けろと仰せになりますか?」


「問題はあるまい。確かに事が馬に関わる事であれば、競馬で決める方が相応しくは無いか?」


「事は馬の話ではありません。我が家の嫁取りの話です」


「その嫁の提案では無いか。ならばますます問題は無い」


 これも後で皇帝陛下に聞いたのだが、決闘沙汰となれば必ずやアクロード様が自分で戦うと言い出すに決まっており、次代の重臣たる彼にそんな危険を冒させたくなかった事と、アクロード様にもしもの事があれば公爵閣下や公妃様、彼の大親友である皇太子殿下がクレバーン侯爵家を許す筈が無いので、結局は内戦になってしまうだろうから、私の提案は都合が良いと考えたのだそうだ。


 公爵閣下もアクロード様も、マロンドおじ様も考え込んでしまった。こんな重要な事柄を競馬の賭けで決めても良いものかと悩んでいるのだろう。貴族の常識には無いからね。そんなの。


 でも、競馬だって馬は命がけで走るのだし、調教師も牧童も人生を賭けて馬に向き合っているのだ。私にとっては競馬だって決闘と同じくらい神聖で真剣なものなのである。


 私と皇帝陛下、皇太子殿下が熱心に推した事もあり、結局クラーリアを賭けた競馬のレースが行われる事になったのだった。帝国史上初の馬による決闘である。


  ◇◇◇


 公爵城に戻ったアクロード様は不機嫌だった。彼は私に言った。


「決闘になれば必ず私が勝った。それで話は済んだのだ。どうしてあんな事を言い出したんだ」


 ……決闘で収まる雰囲気じゃなかったけどね。決闘の後そのままクレバーン侯爵家に殴り込んでマロンドおじ様を惨殺するつもりだったと思うのよ。この人。そんな事になったら大変だ。私はアクロード様が大好きだけど、マロンドおじ様も好きなのだ。好きなお二人が殺し合うところなんて見たくも無い。


 それに……。


「決闘になどなったら、私は見ているしかないではありませんか。私の事なのに」


 私が言うとアクロード様は目を丸くした。


「そんなの性に合いませんわ。競馬なら馬の準備で私も関われます」


 私が言い出した嫁入りの条件なのだもの。そのせいで両家が争うのなら私にも責任があるわけだ。そして私は今や、絶対にフェバステイン公爵家の嫁になりたい。それなのに自分の与り知らぬ所で自分の運命が決まるなんて嫌だ。アクロード様の剣に私の全てを託すなんて許せない。私は私にできる限りの事をして、必ずアクロード様のところにお嫁に行くのだ。


 アクロード様はふんす! と鼻息を荒くする私を見ながら、表情をやっと和らげた。いつも通りの微笑みで私の事をフワッと抱き寄せる。


「そうだな。私と、君とで必ずや勝利を掴み、クラーリアを手に入れ、誰憚る事無く結婚しようではないか」


 その後も何度か両家と皇帝陛下の間で検討が為され、嫁取り競馬(誰かがそう言い出したら定着してしまった)のルールの決定が為された。


・フェバステイン公爵家とクレバーン侯爵家はその所有馬から一頭を出し、マッチレースにて勝敗を決定する。


・レースは距離約六千メートル(ダフネス競馬場二周)のヒート競走で行われる。


・先に二勝した方の勝ちとする。


・負担重量は七十五キログラムとする。


・その他ルールは帝国ジョッキークラブの標準ルールに沿って行われる。


・勝った家はクラーリアを手に入れる。


・レースは皇帝陛下立ち会いの下、決闘に準じた神聖なものとして扱われる。両者は決着についての異議や不満を言うことは許されない。


 最近では珍しくなってきたヒート競走が採用されたのは、マロンドおじ様が強く主張したからだった。


「一度の競馬では運不運によるまぎれもある。本当に強い馬が本当に強い競馬をして勝ってこその競馬ではないか」


 という事だった。まぁ、マロンドおじ様は前から長距離の駆け引きのあるレースが好きだったからね。趣味丸出しだ。実際、短距離のレースだと弱い馬が一気に押し切って勝ってしまう事もある。今回のように勝敗が重大な結果を生んでしまう場合、それでは後で不満が残ってしまうだろう。


 このルールに関しては私もドンドン口を出したわよ。レースを競馬場二周にしたのは私の提案だ。長い距離のヒート競走の場合、競馬場ではなく郊外の道路を使用することが多いのだけど、それでは不正の余地があるし、思いもかけないトラブルがあるかも知れないと主張したのだ。実際、人を道中に隠して馬を脅かしたり、犬をけしかけたりする不正が結構あるのだ。


 私とマロンドおじ様はお互いをよく知っているし、お互いが競馬に詳しい事も知っているから話はスムーズだったわよ。


 そのマロンドおじ様は、今回の件について私に申し訳なさそうにこう言った。


「エリーの幸せの邪魔をしたくは無いが、クラーリアだけは譲れぬ」


 気持ちは分からないでは無い。クラーリアは本当に良い馬だもの。北の王国から自分でも馬を輸入しているおじ様だけど、北の王国では本当に良い馬は自国の貴族に売ってしまうから、マロンドおじ様には買うことが出来ない。それでいつも悔しい思いをしていたのだそうだ。


 その点、クラーリアは国家の威信を賭けて皇帝陛下に贈呈された名馬。北の王国でもそうは手に入らない血統も馬体も素晴らしい馬だ。競馬には三回しか出ていないそうだけど、全部楽勝している。


 クラーリアを手に入れ、この馬を基点に牝系を伸ばしてクランベル侯牧場、そして帝国全体の競走馬を改良して行くのがおじ様の最後の夢なのだと仰った。


 帝国競馬の発展に力を尽くしてきたおじ様らしい夢だ。でも、クラーリアは私だって譲れない。クラーリアを手に入れなければ私はアクロード様に婚約を破棄されてしまう。私は絶対に彼と結婚したい。そのためにはおじ様の夢だって打ち砕いてみせる。それに……。


「大丈夫です。おじ様の代わりに私がクラーリアを基に帝国の馬を良くしていきますから」


 私の言葉におじ様は苦笑したわね。


「結婚後も牧場経営をやる気かね」


「ええ! アクロード様と公爵閣下も任せると仰って下さっていますわ。だから安心してクラーリアを私にお任せ下さいませ!」


 マロンドおじ様は流石に「分かったエリーにクラーリアを譲る」とは仰っては下さらなかったけど、なんだか嬉しそうに満足そうにウンウンと頷いていたわね。


  ◇◇◇


 フェバステイン公爵家の出走馬はガーナモントに決まった。


 というより、他に選択肢がなかった。公爵家の所有馬はマロンドおじ様のお持ちの馬たちには少し見劣りがしたからだ。ペーパロルドが一番良い馬だったけど、牝馬である。超長距離戦となると牡馬には敵わないだろう。


 ガーナモントは体型も長距離に耐えそうなスラッとしたものだし、最近では落ち着きもあって騎手の指示に良く従うそうだ。調教師のケビンによれば順調に調教を積めているので、もう少しでレースに出そうと思っていたとの事だった。


 ただ、ケビンは今回のレースについてあまりいい顔はしなかった。


「ジョッキークラブの理事長とは揉めたくないんですがね。あの方には調教師も騎手もみんなお世話になっているんで」


 ケビンはパイプを加えながら私をジロッと睨んだ。まぁ、確かにね。まだ帝国競馬が全然盛んじゃ無かった頃からマロンドおじ様は私財を投じて競馬界を支援してきた。おかげで生活が立ち行くようになった調教師や騎手は多いだろう。


「あの方と争うんでは、腕の良い騎手は乗ってくれないかも知れませんぜ? 馬乗りはどうするおつもりですか?」


「大丈夫よ。いざとなったら私が乗るわ」


 言ってはなんだけど、私はその辺の騎手よりも馬乗りは上手いと思う。勿論、超一流のジョッキーに比べれば劣るけど。


 ケビンはフンと笑った。


「姫様が乗るくらいなら私が乗りますよ。貴女が馬から落ちたら私の首が飛んじまう」


 ケビンは元騎手だそうだ。まぁ、その前に良い騎手に打診してみようという事に、この時はなったのだけど、その後この問題は意外な展開を見せる事になる。


 クレバーン侯爵家側の馬はハイレガーという六歳の馬だった。超長距離のヒート競走には五歳以上の古馬を使うものである。ハイレガーは既にヒート競走で実績を積んでいる馬だ。首が長く美しい栗毛の馬である。ヒート競走のお好きなマロンドおじ様が配合から手がけた自慢の馬だ。勿論、北の王国から輸入したランニングホースが基になっている。


 強敵である。それにガーナモントはこれが競馬デビューになる。デビュー戦がいきなり超長距離のヒート競走であるのも問題だけど、あんなに臆病だったガーナモントだもの。競馬に行って昔のトラウマが蘇ってしまい大暴れしたらどうしようという不安はあった。


 レースの日取りは一ヶ月後と決まった。すると、このレースの噂はあっという間に社交界にぶわーっと広まってしまった。


 何でもフェバステイン公爵家がクレバーン侯爵家と、競馬での決闘をするらしいぞ。何でも掛かっているのは皇帝陛下所有の名馬、そしてアクロード殿下の嫁取りらしい。もしもフェバステイン公爵家が負けると、アクロード殿下は嫁取りに失敗してしまうそうな。それは大変だ。公爵家は威信に賭けて負けられませんな。でも、競馬と言えばクレバーン侯爵ではありませんか。いやいや、公爵家の婚約者エクリシア様はかの馬ぐるい令嬢。侯爵に負けない馬の知識をお持ちだとか。


 というところから始まって、噂には尾ひれが付き、どんどん拡大した。


 何でもエクリシア様は馬とお話が出来るそうで、荒馬が一声掛けただけで大人しくなったそうですよ。ですから実は馬がお好きなクレバーン侯爵はエクリシア様が欲しいのです。孫の嫁に狙っていたのにフェバステイン次期公爵が攫っていったのが悔しくて、名馬にかこつけてエクリシア様を取り戻そうとしているのです。本当の目的はエクリシア様なのですわ。なるほど、馬の声を聞ける聖女なら、公爵家と対立してでも求める価値はありますな。


 などという無茶苦茶な噂まで乱れ飛んだ。いや、私は馬の声なんて聞こえませんし分かりませんからね? マロンドおじ様がお求めなのは私じゃ無くてクラーリアですから。それにマロンドおじ様の男孫はまだ十三歳じゃありませんか!


 兎に角社交界は嫁取り競馬の事で持ちきりになり、盛大な賭けの対象になってしまっているようだった。まぁ、貴族は何でも賭けのネタにするしね。そういえばアクロード様の結婚相手についても賭博になっていた筈だったけど、あれって私に賭けた人なんていたのかしらね。いたのなら大儲けしたと思うんだけど。


  ◇◇◇


 一ヶ月間、ケビンはガーナモントに超長距離用の調教をした。超長距離を走るには筋肉よりも心肺機能が重要だ。実際に長い距離を走らせて肺と心臓を鍛える。ケビンが言うには、彼が驚いてしまうほどガーナモントの競走能力は優れているという。


「ちょっと私が扱った事が無いくらいの馬ですな。どんなに走らせてもケロッとしています。流石は北の王国の馬だ」


 これならハイレガー相手にも十分勝負になるでしょうとの事だったわね。私はホッとした。ならば残る心配事は一つだった。


「騎手は見つかったの?」


「……見つかりました」


 それは良かった。レース直前の今になっても騎手が見つからないとなると、本当に私が乗らなければならないところだったからね。


「ガーナモントとの相性もようございます」


「へぇ、なんていう騎手?」


 私は大体の騎手は知っている。名前を聞けば顔くらいは思い浮かぶと思う。


「……言えませんな。そういうお約束になっています」


 お約束? なんか変な言い方ね。でもケビンの腕や馬を見る目は信用に値するのはこの一ヶ月で分かっているから私はそれ以上追求しなかった。


 しかし、レース当日。下見所に曳かれて来たガーナモントの背中に鎮座していた騎手を見て、私は驚きにひっくり返りそうになったのだった。

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